普通の感性
「ふざけるなぁっ!!」
目の前の男子が怒声を上げると、僕はわけも分からず地面に叩き付けられた。まるで、いきなり頭上から不可視の巨大な手で押さえつけられたみたいだった。
えーっと、そろそろいきなり非日常に巻き込まれる事態には慣れてきたんだけど、本当にあの男子は誰だっけ? おっかしいなぁ、友達ならまず、忘れないし。十分ぐらい会話した相手でも、できるだけ人の顔は忘れないようにしているのに。
「お前がっ! お前が僕を馬鹿にしたんだろ!? お前の、お前のせいでっ!」
とりあえず、なんか知らないけど怒り狂っている男子を観察してみる。線が細く、身長は僕より一回りぐらい小さい。後、男子なのに髪が長めで、軽く目に掛かっている。全体的な雰囲気としては暗めで、友達が多いタイプじゃないと思う。
うん、知らないなぁ。
「どうでもいいって言いやがって! ふざけるな! 僕は、僕はどうでもいい存在じゃないんだ! このゴミどもみたいな! 社会の底辺のクズじゃない!」
怒り狂う男子は黒い剣を、執拗に足元に転がる死体へ突き刺した。
何度も、何度も。
自分の中の狂気を、そのまま切り刻むように。
……うーん、それなりにグロテスクなシーンだと思うけど、僕もいい加減、慣れて来たからね。正直、これくらいは『普通』になってきた。っと、あ。
「思い出した。そうか、君は確か、無様に苛められて虫みたいにもがいていた後輩か! いやはや、ごめん、ごめん。僕は人の名前と顔はできるだけ覚えるようにしているんだけど、どうても良い人間は逆に、できるだけ早く忘れるようにしてるんだ」
剣の重さに振り回されながら、剣を振るう無様な姿を見て、僕はやっと思い出した。ふぅ、危ない、危ない。まだゴミ箱フォルダから記憶を削除してなくてよかったぜー。
「……まだ、どうでもいいって言ったな?」
男子の目の中に、暗い焔が灯る。
うわ、ダメだなぁ、こりゃ。完全に地雷を踏んだ。
「おま、おま、お前ぇああああああああああああああっ!!」
不可視の力で地面に抑え込まれている僕には、怒り任せの蹴りを、ただ、受けることしかできなかった。
黒い剣を使えば良いのに、なぜか男子は、僕の背中を何度も踏みつける。僕を恨んでいるみたいだけど、僕を殺したいわけじゃないのか? それとも、いずれ殺すから、その前に痛めつけてやろうとしていたかな? どちらにせよ、その物騒な剣を使われなければ、あんまり踏みつけは痛くない。つか、非力すぎだよ。
「ねぇ、どんな気持ち!? 自分がどうでもいいとか、見下していた奴に見下される気分は!? 為す術無く、ぼろぼろにされる気持ちはっ!?」
これで良い気持ちになってたら、間違いなく変態だって。けど、為す術が無いっていうのも、本当なんだよなぁ。
「ぐっ、あ、ほんと、どうしようもない」
平凡な高校生である僕が、こんなわけわからない力を使う魔法憑きを、どうこうできるのは無理っぽいし……でも、あれ?
「あー、お楽しみのところ悪いけど、しつもーん」
「お前! おま……え?」
いきなり声を掛けられた所為か、僕を踏みつけていた男子は、きょとんと動きを止める。
「あのさ、君。なんか狂っているっぽいけど、若干、自我は残っているよね? それって、まだ物語に押しつぶされて無いってこと? それとも、もっと別の何か?」
「……なんだ、お前? いきなり何を言っているんだよ?」
なぜか僕をいぶかしむような目で睨むと、男子は後ずさり、僕から距離を取る。まるで、僕が気味悪くて仕方ない、みたいな顔をして。
「これは、僕が魔法使いから貰った、魔王の力だ! 銘を『ストームブリンカー』! この世界のほとんどを切り捨てる『絶対切断能力』に、高位魔術も無詠唱で放てる! 最強の魔王の力なんだよ!」
なにそのチート。まぁ、いいや、それは。置いておこう。肝心なのは、やはりこの男子は自分の意識を保っているということだ。
魔法に対する適性とかがあるのかもしれないけど、前に見た女子の反応とじゃ、やっぱり違いすぎる。それに、前の女子より明らかに強力な力を持っているのに、自我が残っているとか、やはり不自然だ。
だったら、考えられる推論はこの男子は魔法憑きでは無いということ。恐らく、ただ、魔法使いから『ストームブリンカー』という魔剣を与えられただけなのではないだろうか?
「それなのに、お前はっ!」
魔王の力とか言うのが本当だったら、かなり違和感あるし。だって、目の前の男子は、どうみても、
「どうして、そんな目で僕を見ていられるんだ!?」
僕と同じような平々凡々の男子中学生にしか、見えないし。
どれだけ凄い魔剣を持っていようが、その持ち主は、ただの平凡な人間だったんだから。
「お前、おかしいよ、お前! お前今、命の危機なんだぞ!? 僕にこれから殺されるんだぞ!? なのに、どうしてそんな、なんでもないような目で僕を見るんだ!? あのゴミどもは全員、鼻水撒き散らして泣き喚いたのに! どうしてっ! お前だけっ!」
「や、そんなこと言われてねぇ。ここ最近、色んな経験をした所為か、こうね、自分が殺される程度のことは、『普通』になったんだ」
「……はぁ?」
心底、僕の言葉の意味が解らない、といった表情の男子。
そんなに難しいことは言ってないつもりなんだけどなぁ?
「ほら、人間って『慣れる』動物だろ? 寒い国に行けば、その寒さに慣れるし。熱い国に行けば、その暑さに『慣れる』。そして、どれだけ怖い映画でも、何度も見れば、その怖さに『慣れて』くる」
普通という定義は、とても難しい。人それぞれの価値観によって、普通なんて異なるし、おまけに、普通というものはいつも揺らめいていて、あっという間にその基準を変えてしまったりする。なので僕は、とりあえず、僕が見ても感情が余り揺さぶられないという意味で『普通』という定義を使うことにした。
「どんなことでも、慣れれば『普通』になるんだよ。だから、僕は『普通』の君が作り出す、『普通』の事態を怖がったりしない」
「…………ぁ」
目の前の男子は声を絞り上げ、ふらふらと、切っ先をさ迷わせながら黒い剣を振り上げた。
「お、お前、気持ち悪いよ」
今までの見下した目ではなく、まるで、理解不能な化物でも見るような目をしていた。
「だから、殺す」
うーん、どうしたものだろう?
いくら『普通』の事態とはいえ、『普通』に死ぬときは死ぬし。絶対切断能力とか使われなくても、あの剣を振り下ろされただけで、僕は死んでしまうだろうし。
やばいね。
僕がこうやって死ぬのはまぁ、どうでもいいとして。でも、それで白鷺さんを泣かしてしまうのはさすがに――――
「ったく、世話が掛かる教え子だ」
僕の葛藤を切り捨てるように、鋭い旋風が頭上を暴れ回った。
「う、うわぁっ!?」
剣を振り上げていた男子は、情けない声を上げて尻餅を着く。それと同時に、僕を押さえつけていた力が、背中から急に無くなった。
「せっかく、人が一般人を避難させていた矢先にこれとか、マジやってられん」
聞き覚えのある、気だるい声が聞こえる。
「一応、そのガキに殺されたのは、そのガキを苛めていた主犯どもらしいし? そいつらが殺されている間に、他の奴らを逃がすのは、そんな罪悪感は無いんだけどよー」
毎日、学校で聞いていた、とある男性教師の声だ。けど、わけが解らない。どうして、こんなときにその人が登場するのか、わからなかった。
「でも、さすがに俺の教え子が殺されるのは、我慢できないわ」
その教師は、普段通りのくたびれたスーツを着ていたんだけど、その手には、扇のように何枚もの『札』を携えていた。
「本来なら、俺は諜報専門なんだけどな……くそ、どうにでもなれだ」
そして、その男性教師――――藤崎は、僕にもわかりやすいように、状況説明も兼ねて名乗りを上げる。
「世界平和委員会諜報部、藤崎 秋良。これより、第三級関係者の保護に入る。できるだけ早く、戦闘員をよこしやがれよ、鴉!」
藤崎の言葉に答えるかのように、何処かで鴉の声が聞こえた。
こうして、僕の日常はまた、非日常へ変わってく。




