魔法について
「秒針は凍りつき、時は止まる。すべては雪降る静寂の終わりに連って」
紡がれる呪文。
語り口調はどこまでも淡々としているというのに、耳に残る独特の声。
魔法使いは【時間凍結】の呪文を七十七の起点で発動させる。それらは複雑に見えない線でつながれ、幾何学的な文様を――魔法陣を作り出す。
作り出された魔法陣は『世界を止める』という意味を持つ、反則級のものだ。発動してしまえば、この白銀の世界で動けるのは【魔法使い】のみ。俺の敗北は確定になる。
「らぁっ!」
ならば、発動前に潰す。
俺は鉄パイプを雪原に叩きつけ、自分の足場ごと魔法陣を破壊した。半径五十メートルほど、周囲の地面を巻き込んで。
【侵食】の異能によって創られたこの鉄パイプだが、難点は、その強すぎる威力にある。おまけに、この【スクリブル】の創造主でもない俺では、威力を抑えることもできない。小経口の銃がロケットランチャークラスの威力をぶっ放している感じだ。だが、それでも、この規格外の存在である魔法使いと戦うには、ちょうど良い。
「灰空より来たれ、冷たき息を持つ氷竜よ」
崩れ去る足場から跳躍、空を足場に俺は灰色の空へと駆け上がる。
視線の先には、赤い髪をなびかせ、朗らかに笑う【魔法使い】。
その背後の空から、巨大な魔法陣によって召喚されたのは、氷細工の竜。高層ビルほどの長さの翼を広げ、小山ほどの体躯を唸らせ、俺に突撃してくる。
「はんっ、上等じゃねーか」
【魔法使い】の思考をトレース。
解析、理解、対策。
召喚呪文【契約者の血族】の脆弱性を発見。
――――俺は犬歯をむき出しに、鉄パイプを構え、氷竜を迎え撃った。
■■■
「正確には、呪いを受けた代償として、知識と権限が引っ付いてきた、ですかね」
有里さんは、無表情に言葉を紡いでいく。
「まぁ、俺の呪いについては置いておいて。俺が魔法についての知識を持っていることだけは確かなので、美鶴に頼まれたとおり、佐々木さんにお話しましょうか」
気づけば、いつの間にか真冬の中に放り込まれたような寒さは感じなくなっていた。手足の震えもないし、元通り、皮膚の上から生ぬるい夏の空気がのしかかってくる。
「まずはですね、この世界で流通している技術である魔法と、佐々木さんが見た魔法の違いについて説明しましょうか」
有里さんが説明してくれたことをまとめると、こうなる。
・この世界では魔術、神道、陰陽道、召喚術などといった、『世界の理に従っている魔法』が存在する。
・僕が見た魔法とは、『世界の理に従っている魔法』ではなく、『世界の理を捻じ曲げる魔法』らしい。どうやら、その性質は異能に近いとか。
・『世界の理に従っている魔法』は、才能や性質しだいだが、誰でも使える。しかし、『世界の理を捻じ曲げる魔法』は、原則、一人しか使えない。その者は【魔法使い】と呼ばれている。
・【魔法憑き】というのは、その【魔法使い】により、魔法を貼り付けられ、魔法に使われることになった者を言う。
「そもそも、『世界の理を曲げる魔法』というのは、数百年前、とある異能者によって開発されたものです。自分が空想する魔法を実現させるため、一冊の古びた本に己の異能を込めながらそれを【グリモワール】、つまり、魔導書としたのです」
それがこれですね、と、有里さんは何も無い空間から、分厚い、辞書のような本が一冊取り出した。そう、有里さんの動作は、本当に取り出した、としか言いようがない動きだった。
その本は分厚いこと以外、特徴は無く、シンプルなものだった。装丁だって、どこにでもあるようなハードカバーのもので、タイトルは金字で何かよくわからない文字の羅列が記されている、レンガ色の本。しかし、なぜか、ただそれだけのはずの本に、僕は底知れない違和感を覚えた。
まるで、そこに存在してること自体が間違いのような、強烈な違和感を。
「この本は始まりの異能者が手にした時は、およそ、最初の数ページしか記されていなかったそうです。ですが、異能者が死に、次の【魔法使い】になった者は、記されていたページが増えていたことに気づきました。そう、この【グリモワール】は、代を重ねるごとに新しくページを増やしていく本だったのです。いえ、正確には物語が進んでる。と言ったほうが良いでしょうね。この本に記されているのは、魔法の使い方、では無く、こことは異なる世界の壮大な神話なのですから」
「えーと、つまり、アレですか? 専門書や実用書と言うよりは、その、小説という形になるんですか?」
「ええ、その通りです、佐々木さん。物分りが良いですね」
なんだろう? 褒めてくれているのに、ピクリとも表情が動かないのは、本当に不気味だ。いかに人間によって表情というものが大切なのか、改めてよくわかった。
ちなみに、白鷺さんは無表情に見てて、ちょくちょく表情が若干変わったりするから、観察すると結構楽しかったりする。
「【魔法使い】が魔法を使うときには、その物語の中で使われている魔法をイメージします。呪文なんかはほとんど適当ですね。物語の中に記されている呪文をそのままトレースするも、改めて呪文を考えるのでも、どちらでも良いんです。そして、【魔法憑き】というのは、【魔法使い】の手により、【グリモワール】のページ、もしくは文章をコピーアンドペーストされることにより作られます。そのため、自分をページに記されている登場人物だと思い込み、【魔法】を使わされるのです」
ああ、なるほど。だから、あの時の女子は魔王様とか、生贄とか、そんなとち狂ったことを言っていたのか。
ん? でも、おかしくない?
「その、【魔法使い】は原則一人なんですよね? そして、今はその権限を有里さんが持っているんですよね?」
「ええ、そうですよ」
いやいや、そうですよって…………あのー、白鷺さん。こっそりと視線を送っているのに、首を傾げるの止めてくれませんか? とても不安になります。
「ふふっ、そんなに心配しなくても、俺は君たちの敵でも、【魔法憑き】を作っている犯人でもありませんよ。安心してください」
「で、ですよねー」
気のせいか、完全な無表情なはずなのに、有里さんが笑っているように見えた。笑い声ですら、冷たく、機械的だというのに、僅かに微笑んでいるように見えたのは錯覚だろうか?
「確かに、原則として【魔法使い】はそれぞれの代に一人ずつです。ですが、何事にも例外というものが存在します。恐らく、今、【魔法憑き】を次々と作っているのは、【最後の魔法使い】がコピーした【グリモワール】を継承した者でしょね。まったく、俺に呪いをかけながら、しっかりと嫌がらせも用意しているなんて、あいつらしい」
「えーっと、すみません。その、白鷺さんも言ってた、【最後の魔法使い】ってどういう意味ですか? 話を聞く限りじゃ、某RPGみたいに、全然ファイナルじゃない感じなんですが」
「ははは、そうですね。あいつもまさか、後々そんな風にディスられるなんて思ってないでしょうね」
無機質な笑いを漏らし、有里さんは再び、【グリモワール】を手の中に出現させた。
「この【グリモワール】は先ほど説明したとおり、代が変わっていくごとに物語が進んでいく本です。そして、【最後の魔法使い】とは、その物語が完結した代の【魔法使い】のことです。本来なら、代が変わるごとに【グリモワール】は物語を紡ぎ終わったなら、もう代を続ける必要は無くなり、【最後の魔法使い】を殺した時点で、チェックメイトだったんですが、思いのほか、悪あがきされてしまいましてね。我が身の不甲斐なさを嘆くばかりです」
有里さんが自虐するように嘆息すると、今まで黙っていた白鷺さんが、急に、有里さんに抗議するように声を上げた。
「冬治、それは違う。貴方は良くやった。ありとあらゆる魔法を極め、不老不死まで手に入れて、【管理者】の領域まで踏み込んだあいつを殺せたのは貴方だけ。貴方は、本来なら大英雄として称えられるべき存在」
「美鶴。英雄だというのなら、こんな不始末は起こしませんよ。それに、俺がやったのはただの復讐で、人殺しです。とても、褒められたものでない」
「それでも――――」
「あの、ちょっといいですか?」
珍しく白鷺さんがムキに、というより、泣きそうな顔で有里さんに掴みかかりそうになっていたので、僕は二人の間に入り、それを制する。
「僕は有里さんについては初対面ですし、【最後の魔法使い】うんぬんの事情はさっぱりわからない。でもですね、白鷺さん…………押し付けるのも、無理するもいけないよ?」
「確かに、押し付けがましいかも。でも、私は絶対に、無理なんかしてない」
「じゃ、こう言い換えようか。有里さんに、無理をさせちゃいけないよ?」
白鷺さんは、言葉に詰まり、俯いて黙り込んだ。
本当だったら、僕は白鷺さんにそんな顔をさせたくない。けど、さっき、ちゃんと止めておかなかったら、白鷺さんはきっと、もっと悲しい顔をしていただろう。だから、後悔も反省もしながら、とりあえずこれでよかったんだと思っておく。
そして、僕は有里さんの方へ向き直りながら、ため息交じりに言った。
「有里さんも、そんなに自分に厳しくしなくていいんじゃないですか?」
「性分ですので、直しようがありません」
「そうですか。では、仕方ないですよね。あ、でも、一言だけ」
白鷺さんを悲しませたこの男へ、平々凡々な僕ができる嫌がらせを。
「辛いなら、辛いって言えば良いじゃないですか」
有里さんは無表情を崩し、ほんの少しだけ目を剝いた。
消えていたはずの冬の寒さが、僕を貫き、思わず体が震える。けれど、その寒さは一瞬で収まり、有里さんは元通り、無表情を作り直していた。
「ご忠告、痛み入りますよ、佐々木さん」
「やだな、中学生の戯言っすよ。適当に流してください」
丁寧に頭を下げる有里さんへ、戦慄を覚えつつ、僕は曖昧に笑う。
まったく、この人はどんだけメンタルが強いんだか。多少なりとも図星を突かれた後に、しかも自分より年下の中学生に言われたのに、一瞬で平静を取り戻した。
見た感じ、僕と数歳ぐらいしか違わないのに、ここまで人間っていうのは成熟しているものなのかな?
「買いかぶりすぎですよ、佐々木さん。俺はただ、年下相手に見栄を張っているだけの高校生です」
「心読まないでくださいよ」
「読んでませんよ。ただ、顔に出ていましたので」
「……わりとポーカーフェイス頑張ったんですがね」
「残念、合格点はあげられません」
なかなか厳しい採点っすね、有里さん。
「さて、話を戻しましょう。佐々木さん、貴方の身の回りで起きている【魔法憑き】の事件は、間違いなく、コピーされた【グリモワール】を持つ【魔法使い】です。いくらコピーとはいえ、無理やりその権限を押し付けられた俺とは違い、【グリモワール】が選んだ適格者です。まだまだ未熟のようですが、それでも、そいつが作り上げた【魔法憑き】は、【魔法使い】の権限を持つ俺でも元に戻してやることはできません」
「……つまり?」
「もし、今後【魔法憑き】が現れたなら、躊躇わずに殺すことです。いや、違いますね。美鶴が殺すのを、どうか、責めないでやってください」
そう言う有里さんの表情は、相変わらず感情が無くてロボットみたいだったけれど、案外、この人はお人よしなのかもしれない。
つか、こういうやり取りはもう、白鷺さんのアパートでやっちゃったんだけどね。でも、言っておこう。
「少なくとも、僕は好きな女の子を泣かせるような真似はしないようにしてますよ?」
「うにゃっ!?」
あ、やっぱり白鷺さんにも聞こえてたか。まぁ、聞こえるように言ったんだけど。
あははは、白鷺さんの白い肌が、茹で上がったみたいに真っ赤だよ。
「言いますね、佐々木さん」
「今のところ、口だけですけどねー」
有里さんは静かに首を横に振る。
「いいえ。俺の前に立ち、こうやって俺の話を聞いている時点で、既に合格ですよ。なにせ、下手をすればこの話を聞いたせいで、貴方が死ぬ可能性もあるんですから。死の危険も顧みず、美鶴と共に真実を追い求めるその姿勢、素晴らしいと思います」
「…………へ?」
死の危険?
いや、確かに僕は今、死の危険がありそうな事件に巻き込まれているけど、うん? なんだか、ニュアンスがちょっと違うような。
「あれ? 美鶴から聞いてませんか? さっき、俺が話した事は、第一級秘密事項なので、その情報を持っているだけで、さまざまな組織に狙われるんですが」
「うん、聞いてないですね」
ちらりと白鷺さんの方を向くけれど、白鷺さんはまだ、顔を赤く染めたままふらふらと、心ここにあらずといった状態。ああ、こっちも聞いてねぇや。
「あのー、白鷺さん? なんか、僕、一般人から、色んな組織から狙われる重要参考人になってしまったんだけど?」
やっと、こちらに気づく白鷺さん。はっ、と息を飲み、一瞬で体裁を整え、いつも通りの無表情へ移行。
そして、心なしかきりっとした表情で僕に告げる。
「大丈夫、貴方は死なない。私が守るから」
「いやいや、その原因の一端を白鷺さんが担っているんだけどね?」
ふむぅ、と白鷺さんは唸り、僕の顔をおずおずと上目遣いで覗く。
「大丈夫、責任取るから。私がずっと貴方の側で守ってあげる……たとえ、お風呂の中でも」
「そこは躊躇うところだよ、白鷺さん」
「でも、組織の中にはそんな空気を読まずに裸で貴方を連れ去ろうとする人も居ますよ、佐々木さん」
うわぁ、有里さん。なに、変な援護射撃入れてるんですか? ほら、白鷺さんが「やっぱり私がやらなきゃ」みたいな決意を固めて覚悟しちゃってる!
「佐々木君」
「えーっと、白鷺さん? なにもね、そこまで重く考えなくてもいいと思うんだけど?」
「私は佐々木君にだったら、全部見られても…………いいよ?」
やめて! 上目遣いで頬を赤く染めないで! 若干、はにかんだ表情やめて! 中学二年生は、それだけで取り返しが付かなくなりそうだから!
「だけどね、佐々木君。もし、全部見ちゃったら、責任取って?」
「あはは、いや、そのね、確かにさらっと好きって言っちゃったけど。格好つけちゃったけど、そのね、しょせん僕は中学二年生の若造で――――」
そっと視線を逸らし、そのまま僕は走り出す。
逃げるためじゃない、立ち向かうために、今は退くんだ。
「だから色々覚悟するための時間をくださーい!」
僕は、多分、猛烈に格好悪いんだろうな。
そんなことを考えながら、僕は事務所のドアから飛び出していった。
■■■■
俺は走り去っていく佐々木さんの後ろ姿を眺めて、思わず苦笑しました。
「さすが、貴方が選んだ人です。なかなか面白い」
「うん、その上格好いい。TRPGも付き合ってくれる。私、結構彼に惚れているかも?」
「結構、ではなく、かなり、でしょう?」
「かもしれない」
実際、走り去っていく佐々木さんを見る美鶴の姿は、恋する乙女そのものです。まぁ、彼女を見慣れていない者には、ただの無表情に見えるかもしれませんが。
しかし、それにしても美鶴は随分と感情豊かになったものです。元々、表情を作るのが苦手だっただけで、感情はそれなりにありましたから、後は素直になれる相手さえいれば、徐々によくなるとは思っていましたが、ここまでとは。
やはり、佐々木さんには感謝をしなければいけませんね、美鶴の戦友として。
「さて、そろそろ貴方も帰りなさい、美鶴。これ以上、俺の側に居れば、貴方でも冬の呪いの影響が出ます」
「…………冬治、私は――――」
「行け。俺はこれ以上、貴方に嫌われたくねぇんだよ」
冬の呪い。
それは、どれだけ絆を持っていようが、どれだけ愛情を持っていようが、それら全てを根源的な恐怖と寒さで凍りつくす、絶対零度の呪い。
逃れようが無い、俺の罪だ。
「わかった、帰る。でも、佐々木君を連れて、また来る」
美鶴は静かにソファーから立ち上がり、事務所のドアへ歩いてく。
その背中に、俺はささやかな忠告を。
「美鶴。絶対に彼の手を離すなよ。彼とお前が今、ああやって一緒に居られること自体が奇跡みたいなもんなんだ。その奇跡を、決して無駄にするな」
俺の忠告に、美鶴は振り返らずに答えた。
「言われなくても、わかってる」
意地っ張りで強がりな美鶴は、そう言って事務所から出て行った。
まぁ、佐々木さんが隣にいるなら、多分、大丈夫だろ。
なにせ、
「佐々木さんは強いからな」
少なくとも、俺が見た限りでは、一番、強かった。
あんなに強い人間は、初めて視たんだ。




