皇帝陛下の困惑。(2)
「……サラサ?」
「……はい」
「その願掛けは、オレの罰にもなり得るのだが?」
「………………………………?」
オレを見上げてくるサラサの顔には、『何で?』とありありと書いてある。
……馬鹿正直というか素直というか。
こんなにも顔に出やすいと、さぞかし生き辛かろうと心配になったが、この手の人間は味方も多いな、と思い直した。
現にオレは、出会ってまだ数ヶ月だというのに、無条件に近い信頼を寄せつつある。
こういう類の人間を裏切るには、相当の覚悟……もしくは、相当の悪意が、必要だろう。
「………お前はオレの癒しだ。……折角会いに来たのに触れないというのは、少々辛い」
「!」
我ながら、タチが悪い。何が少々か。
サラサの漆黒の艶やかな髪を指先に絡める様に一房掬い、引き寄せたそれに、軽く唇を押しあてる。
覗き込んだ彼女は、真っ赤な顔のまま固まってしまった。
「……サラサ?」
間近で瞳を合わせたまま、口元だけで笑ってみせると、サラサは忙しなく視線を彷徨わせた。
……あまり虐めるのは可哀想だが、オレにも譲歩出来ないものがある。
「……願掛けは、他の事にしないか?」
「………………」
オレがそう提案すると、サラサは不服そうに眉を下げた。
小さく『一番じゃないと意味ない気がするのに』と呟いているが、逆効果だとは分かっていないな。
……そんな風に真っ直ぐな好意を向けてくれる可愛いお前が隣にいて、触れられないなど……一体なんの拷問だ。
「……サラサ」
「!」
意識的に声を低くし耳元に囁く様に呼べば、抵抗していたサラサは、あっさりと白旗を上げた。
「………分かりました……止めます。別方面のものにしますです……」
肩を落とし項垂れた彼女の旋毛を見ながら、オレは満足げに笑む。
漸く得られた感触を堪能するべく、ゆっくりと手の平をサラサの頭に滑らせれば、直前まで暗い表情をしていたのが嘘かのように、サラサは嬉しそうに破顔した。
……可愛い。可愛いが……お前、オレがいないところで、誰かに騙されるんじゃないぞ。
自分のした事を棚に上げ、心配してしまった事は、彼女には秘密にしておこう。
「……ところで、サラサ。何を失敗したんだ?」
「………………」
思う存分撫で、満足したオレは、彼女が注いでくれた酒を飲みつつ、気になっていた事を聞いた。
……さっきは彼女に触れられるか否かに重点を置いてしまったが、何に対しての反省だったのかまでは聞いていなかった。
サラサは手元の酒瓶を両手で握り、僅かに俯く。
「……可憐な小鳥さんを、怯えさせてしまいました」
「……………」
小さな黒猫が、鳥に戯れつく光景が頭に一瞬浮かんだ自分に呆れつつ、頭を振る事でソレを追い払った。
「……小鳥?」
「凄く繊細で、とても綺麗な小鳥さんです。…いくら仲良くなりたかったからって、物陰から忍び寄るのはダメです。というかきっと私の目が肉食獣ばりにギラギラとしていたのですよ。だから引いたんです。逃げちゃったんです」
「………………」
……オレの目の届かないところで、この少女は一体何をしているんだろう。
内容はいまいち理解出来ないが、ズレた方向に一生懸命なのは分かった。
「……よくは分からないが、虐めようとした訳ではないのだろう?」
「勿論です!」
「なら、嫌われてはいないのではないか?」
「…………そう、でしょうか?」
不安そうに表情を曇らせるサラサを、安心させる様にオレは笑った。
「敵意や害意が無い事が分かれば、時間はかかるかもしれないが、いつかは打ち解けられるんじゃないか?」
「…………はい」
素直に頷き微笑むサラサを見ながら、オレはひっそりと苦笑を浮かべた。
サラサの言う『小鳥』が、比喩なのかそれとも言葉通りのものなのかは分からない。
……本物の野生の小鳥と仲良くなろうとする、などという突飛な発想が否定出来ないのが、サラサがサラサである所以なのだろうが…、
一体、何をし始めようとしているのやら。
……本当にこの猫は、目が離せない。
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