側室(仮)の別れ。(5)
「…………」
ルリカ様は、僅かに俯いて黙り込んでしまった。
紅の唇が、引き結ばれている。
どうしよう。怒らせた?
「……当り前よ」
私が動揺していると、ルリカ様は小さく呟く。
顔を上げないまま、彼女は此方へと歩み寄った。
遮ろうとした門番の方々を、かぶりを振る事で制す。
お願いします、と静かに告げると、苦い表情ながらも一歩下がってくれた。
私の前に立つルリカ様。背丈は私の方が少し大きいので、表情は窺えない。
「……ルリカ様?」
名前を呼ぶと、彼女は漸く顔を上げた。
大きな瞳が、睨む様に私を見る。けれど頬が僅かに赤い為、然程迫力は無い。
「何処でだって、強かに生きてみせるわ。貴方に言われるまでも無く」
「……そうですか」
良かった。
胸の内で呟いて、私は表情を緩めた。
「……っ、そうやって、貴方は!!」
ルリカ様は、ヘラヘラ笑う私を見て怒りだす。
真っ赤に染まった顔で、眉を吊り上げた。
「怒ればいいでしょう!!何故そこで笑うの!?……理解出来ないわ!」
「えっと……」
怒っているのは寧ろルリカ様の方じゃ……?
何故そんなに怒られているのか、私もいまいち理解出来ておりません。
馬鹿正直にそう言ってしまえば、更に火に油を注ぐ結果になりそうなので、私は口を閉ざした。
一応私にも、空気を読む機能が備わっていた模様です。
「腹が立つのよ貴方!一方的に押し付けて、此方からは何も受け取ろうとしない……聖人君子にでもなったつもり!?」
……私、かなり煩悩まみれなんですが。
聖人君子には死んで生まれなおしても、なれそうにありません。
「借りを作ったままにするなんて、真っ平御免だわ!!……見てなさいよ、いつか絶対返すんだから!」
「……え、は……はい……?」
借り?借りって、なんの話?
目を丸くして頭を捻る私を放置し、息巻いたルリカ様は、ビシッ、と此方を指差す。
「私は必ず、力を付けてみせるわ!……だから、いい?もし何か困った事があったら、私に言いなさい」
「……え?」
「後宮に直接関わる事は、もう私には出来ないわ。……でも!もし何かあって、後宮の誰の手も借りれ無い様な事態になったら、私を思い出しなさい」
声も出せず目を見開いたまま彼女を凝視する私に、ルリカ様は声高らかに宣言する。
「私を、呼びなさい。……どんな小さな声でも、駆け付けてあげるから」
「……っ、」
私は声を詰まらせる。
胸が締め付けられる様に痛んだ。気を抜くと、泣いてしまいそう。
嫌われていると思っていた。
……ううん。命を狙われる程に嫌われて、いた。憎まれていた。
今も好かれた訳じゃないかもしれない。
それでも、いい。
こうして、目を合わせて話をしてくれている。それだけで。
「……!?ちょ、何よ!?」
手を伸ばして、ルリカ様を抱き締める。
細い体が跳ね困惑した様な声が聞こえたが、離さない。
「……呼びますっ!呼びます、からっ……どうか、お元気で」
「…………」
途切れ途切れの声で、私がそう言うと、暫くした後、細い手が躊躇いがちに私の背に回された。
「……私が言うのも、変だけれど、……貴方も元気でね」
「はいっ!」
「……さよならは、言わないわ。
また、いつか。……………サラサ」
「っ!!」
ホロリ、と
表面張力で、かろうじて留まっていた私の涙が頬を伝う。
堪え切れず、後から後からこぼれ落ちる。
名前を、呼んでもらえた。
贅沢を言うなら、本当の名前を呼んで欲しいけれど、そこまで望んでは罰が当たりそう。
「は、いっ……また、お会い、しましょう」
私は暫くの間、ルリカ様にしがみ付いていた。
それこそ、放置されて拗ねたホノカ様が乱入して来るまで。
私とホノカ様のやりとりに、長いため息をついた後、ルリカ様は綺麗な笑みを浮かべて、背を向けた。
凛とした背中が、だんだんと遠退く。
見えなくなるまでずっと、私達は彼女を見送った。
こうして、ルリカ・エイリ様は後宮を去った。
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