皇帝陛下の困惑。
「……どうかしたか?」
またも深夜、忍んで訪れた部屋でオレを待っていてくれた少女に、オレはそう問うた。
何時も通り笑顔で、おかえりなさいと出迎えてくれたサラサの様子が、今日は少々おかしい。
嬉しそうな笑みも、オレのグラスに酒を注いでくれる、少しだけぎこちない手付きも何時も通りなのだが……何故か今日は、いつもよりも距離がある。
心の距離、などとは言わない。武骨な男が、精神論など語るつもりは無い……物理的に少し遠いのだ。
いつもは意識せずとも、柔らかで甘い彼女の香りを感じる。戯れに伸ばした手が、容易く彼女の髪を絡め取れる位の位置が常だ。
それなのに、今日は違う。
サラサが意識的に開けたであろう、人一人座れる位の隙間が、酷く落ち着かない気分にさせる。
「………え、」
オレの問いに、彼女は目に見えて狼狽した。
ソレを見て、この隙間が彼女の意志である事を確信する。
「……サラサ?」
「……う」
体を退こうとした彼女の、寝台に付いていた手を上から重ねる様に押さえ、距離を詰める。
至近距離で真っ直ぐに瞳を覗き込めば、頬が薄らと赤く色付いた。
「……オレが何かしたか?」
「…………へ?」
「気付かないうちに、お前に不快な思いをさせてしまったか?」
「……え、は?」
オレの言葉に、唖然としたサラサは、次いで戸惑う様に瞬きをする。
「そんな事、」
「……気を遣う必要は無い。嫌な事は、嫌と言ってくれ」
慌ててかぶりを振るサラサの言葉を遮り、オレはそう続けた。
「オレは、気のきかぬ粗野な男だ。王族とはいっても、詩を諳じ楽を奏でる様な雅やかさなど欠片も持たぬ。……戦局は読めても、今お前が何を憂いているかは分からぬ情けない男だ」
だからサラサ、嫌な事は嫌と言え。
でなければオレは、お前にどう触れたらいいか分からない。
そう、心のままに吐露すれば、サラサは愛らしい顔を、熟れた果実の様に真っ赤に染めた。
見開かれた目が戻るのに合わせ、眉も下がる。
困り顔のままサラサは、上目遣いにオレを見た。可愛い。
「……陛下は、何もしてません。…………これは私の問題なんです」
ついつい引き寄せられる様に、サラサの髪を撫でようとしたが、サラサは顔を反らす事でそれを避ける。
……これで、何もしてないと言われてもな。
「……サラサ?」
若干、恨みがましい目付きになってしまった様だ。サラサは呻き、言葉に詰まる。
やがてバツが悪そうに、彼女は小さな声で呟く様に話しだした。
「……これは何と申しますか……えーっと、罰則?」
「……は?」
「私なりに、私の気を引き締める為に決めた条件と申しますか……」
「……サラサ?」
意思の疎通を図る為、名を呼ぶが、サラサはすっかり己の思考に捕らわれているようで、ぶつぶつと呟いている。
「私はダメダメです。初戦敗退したダメ子なのですよ。次は同じ失敗をしない為にも、罰の意味で陛下断ちといいますか……」
「……オレ断ち?」
それは一体何だ。と目で問うと、キョトンと目を丸くしたサラサは、
「願いが叶うように、好きなものを断つ……ようは願掛けなのです」
と、事も無げに言ってのけた。
意志薄弱な私は会う事まで断てませんでしたので……せめて接触断ちです。
などと言う愛らしい猫を、
まったく。
どうしてくれようか。
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