側室(仮)の別れ。(2)
陛下は、難なく私を受け止めてくれた。
逞しい腕は、私一人の体重分位ではビクともしない。
太っているとは……思いたくないけれど、決して軽くはないと思うのです。
重さ丸分かりの今の状況が恥ずかしくて、慌てて下りようとした。
「……?」
けれど何故か引き止める様に、陛下の腕に力が込められる。
不思議に思い陛下を見るが、抱え上げられている今は、私の目線の方が高い。胸の辺りにある彼の顔は良く見えなかった。
「……陛下?」
「っ、」
戸惑い呼ぶと、息を飲む音がした。陛下の肩が揺れる。
一言『掴まっていろ』と呟くと、陛下は私を抱えたまま、走り始めた。
「わ、」
慌てて掴まりながらも、肩越し振り返り、窓の外にいた武官さんに頭を下げた。
ごめんなさい、と思いを込めて。
複雑そうな顔をしながらも、礼をしてくれた武官さんを残し、私達はその場を去った。
広い後宮内を、陛下は物凄いスピードで駆ける。
いや、彼にしてみればきっと汗もかかない様な軽い運動に違いない。現に息一つ乱していないし。
最初は振り落とされてしまいそうでビクビクしていたが、そのうち周りを見る余裕が出てきた。
「……」
昼だというのに、後宮内は驚く程誰もいない。
正確には、見回りや定処の武官はいるが、側室や女官の姿は全く見かけないのだ。
「……誰もいない」
「……関わりになりたくないのだろう」
独り言のつもりで呟いた言葉を拾った陛下は、私の問いに答えて下さった。
「……誰とですか?」
「ルリカ・エイリだ」
「……っ、」
淡々と告げられた現実に、私は言葉を詰まらせる。
「利用価値の無くなった娘と、完全に縁を切りたい。厄介事は御免。……此処にいる女達の殆どが、そう思っているだろう」
「違いますっ!」
「!」
即座に否定した私を、陛下は見上げた。鋭い瞳が瞠られている。
「……違うひとたちも、いますっ……」
「…………」
冷たく吐き捨てる様な言葉を、これ以上聞きたくなかった。
後宮が、この方にとって安らげる場所であればいいと願っているのに、なんて遠い。
泣きそうな気持ちを押し込め、唇を噛み締める。
暫く間をあけて、陛下の口から、聞き逃してしまいそうな小さな呟きが洩れた。
「……そうだな」
「!……陛、」
陛下、と呼ぶ前に、突然陛下は立ち止まった。
動揺する私を、そっと下ろす。
門までは、まだ距離がある。此処からなら私の足でも大した時間は掛からないとはいえ……何故?
疑問を口に出来ぬまま、見上げると、陛下は前方を指差す。
其処には、一人の少女の姿。
緩く波打つ赤毛に、宝石の様な翠の瞳。相変わらず細いが、顔色は大分良くなった。
「ホノカ様!」
「サラサ!早く!」
元気になったホノカ様は、焦れた様に大きく手を振っている。
戸惑っていると、トン、と軽い力で背を押された。
「……っ?」
振り返ると、陛下は背を向け来た道を戻っている。
私は慌ててその手を掴んだ。
「っ?」
「陛下……ありがとうございました」
「…………いや」
彼は、振り返ってくれない。拒絶する様な背中が痛い。
「……後で、私にお時間を下さいますか」
「…………」
「どうしても、お話ししたい事が、あります」
必死に、陛下に訴える。
このまま、これを最後にしたくは無い。
陛下は、暫し葛藤している様だった。
「……分かった」
やがて、一言だけ呟くと、彼は腕を解き再び歩きだした。
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