側室(仮)の別れ。
エイリ家当主の処刑より3日後の今日。
ルリカ様は、後宮を去る。
「其処を退いて。イオリ」
私は、前に立ち塞がるイオリを見上げて、強い口調でそう言った。
「なりません」
だが相対する、私の護衛武官は厳しい表情を崩さず一蹴する。
普段甘過ぎる位に甘い彼女は、今度ばかりは私の我が儘を聞いてくれる気は無いようだ。
「お願い、イオリ」
「…………」
命令しても懇願しても、彼女は頷きはしなかった。何度このやり取りを繰り返しただろう。
イオリは無言で、諫めるような視線を寄越すだけ。
「……っ、」
感情的に怒鳴り散らしても、何の解決にもならない。
落ち着け、と己に言い聞かせるが、気は急くばかり。
こうしている間にも、別れは迫っている。
もしかしたら、二度と会えないかもしれない……特別な別れが。
「お願いよ、イオリ……!私は、これ以上後悔したくない!」
「…………っ」
必死な私は、酷い顔をしているのかもしれない。イオリは一瞬、息を詰めた。
しかし表情に迷いが感じられたのは、ほんの数秒で、振り切る様に顔を反らした彼女は私に背を向ける。
「……何と仰られても、お通しする事は出来ません」
「イオリ!」
無情にも、扉が閉められる。扉を叩くが、開かない。
外側からも鍵がかかるのか、これ。と下品にも舌打ちしてしまった。
「これ以上、御身を危険に曝す事は出来ません。……どうか聞き分けて下さい」
苦い声だった。
彼女の、護衛武官としてのプライドを傷付けてしまったのは、私の浅慮ゆえ。
それを承知で我が儘を言う私は、本当に自分本位だと思う。
でもこれは、諦める訳にはいかない。
私は、ルリカ様に言いたい事がある。
閉じ込められてしまった私は、扉とは反対側の窓に近付いた。諦める気はゼロです。
はしたないと思いつつも身を乗り出すと、裏手にも別の武官が待機していた。
目が合い、曖昧に笑って誤魔化すが、丁寧に礼をされる。……気まずい。
「……」
予想はしていたとはいえ、ショックです。
前も後ろもダメとなると、……どうしよう。
心は痛みますが、ここは仮病で騙すとか。演技力に自信は全くありませんが。
しかも私、殆ど病気にかかった事が無いので、余計に不安がつのる。
頭痛が痛いとか言いだしそうで怖いわ。我ながら。
……それでも、やるしか無いんだ。
そう、私が覚悟を決めた時だった。
裏手の窓が、コンコン、とノックされたのは。
「……?」
窓越しに、手が見えた。
一瞬、さっきの武官さんかと思ったけれど、すぐに違うと否定する。
女性の手では無い。骨張ってゴツゴツとした手だ。
「……っ、」
我ながら、これは病に近い気がする。手だけで分かるって、結構な重症だよね。
後宮に出入りする事が出来る男性、と考えて辿り着いた答えじゃない。
私の大好きな手だと、感情が訴えた。
「…………っ、」
窓を開けて身を乗り出す。もう、恥じらいなんて感じない。
勢い良く開けた窓の向こう、少し驚いた様に瞠られた漆黒の瞳に、泣きたくなった。
「……へい、か」
上手く言葉が出ない。
伝えたい事は山とあるのに、臆病な心と混乱する頭が邪魔をする。
「…………」
何も言えない私に、陛下は眉間にシワを寄せた厳しい表情で、手を伸ばした。
「……ルリカ・エイリに、会いたいのだろう?」
「!」
瞠目する私に向けて、陛下は両手を広げる。
「イオリを説き伏せている時間は無い。……おいで」
何故ご存じなのだろう、とか疑問はあった。
でも、そんな事は些細な事。
多忙なこの方が、私の為に動いてくれたのに、何を躊躇う事があるだろう。
私は、広げられた両手に飛び込んだ。
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