側室(仮)の弱さ。
それから私は、アヤネ様にしがみ付いて泣き続けた。それこそ、泣き疲れて気を失ってしまうまで。
ふと気が付くと、真っ暗な場所にいた。
上も下も、右も左も無い。何処までも闇が続く空間に、一人ぼっち。
「…………」
不思議と、恐怖は無い。
ぺたん、とその場に座り込み、私は膝を抱えた。
頭を埋め、目を瞑る。
こうしてしまえば、何処だって一緒。自分の殻に閉じこもれば、場所なんて関係無い。
(逃げるんですか)
頭の中に、声が反響する。
その声は、モエギさんのもの。私が、見殺しにしてしまった人の、声。
(私を殺しておいて、逃げるのですか)
責め立てる声に、私は目を瞑ったまま、かぶりを振る。
違う。逃げる訳じゃない。
私はもう、誰も傷付けたくないだけ。
(傷付けたくない?貴方はそうしている間にも、沢山の人を傷付けているのに?)
私が、今も誰かを傷付けているの?
目を瞑って、耳を塞いでいる今も?
(全てを拒んでも、何も変わらない。護られるのは、貴方の臆病な心だけだ)
(そしてその代わりに周囲は、そんな貴方を見て、無力さに苛まれ続ける事になる)
「……っ、」
残酷な声は、私の甘えや弱さを、容赦無く切って捨てた。
返す言葉も無い私を更に追い詰める様に、冷えた声音は続ける。
(本当は、気付いていたんでしょう?差し出されている手に)
「……私はっ、」
(巻き込んで傷付けるのが嫌だなどと、綺麗事を言うな。貴方は繋いだ手を離される事が、恐ろしいだけ。傷付けられる事よりも、傷付ける事を選んだ卑怯者だ)
「……っ、違う!!私はっ……!!」
耐えきれずに私は、顔を上げた。
だが、叫ぼうとした声が途切れる。憤りは、恐怖に塗り替えられた。
目の前に広がるのは、黒に変色した赤。
ドロリと伝い落ちる赤が、私の手を染め、ゆっくりと体全体を侵食して行く。
「……い、やっ」
(認めろ。……どんなに足掻いた所で、どうせ貴方の両手は)
(真っ赤に染まっているのだから)
「いやぁあああっ!!」
「……っ!!」
ハッ、と両目を開けた。
変わらず其処には闇が広がっている。
「…………」
全力疾走した後みたいに、鼓動が早鐘を打つ。
その音を聞きながら、私は辺りを見回した。
真っ暗な闇だと思っていた場所が、自分の寝室である事に、漸く気付く。
闇に慣れてきた瞳が、ぼんやりと部屋の天井や壁を認識した。
まだ夜が明けない時間らしい。雨もまだ止んでいないらしく、パラパラと瓦を打つ音が、遠く聞こえる。
「…………」
漸く私は、詰めていた息を吐き出す。
夢か。と胸中で呟いた。
「……起きたの?」
「っ!?」
突然声を掛けられ、私は体を強張らせる。
私以外誰もいない筈の寝室に、何故、と身構えた私を宥めるように、繋がれていた手をやんわりと握られた。
「……、……?」
繋がれていた、手?
そうよ。何でか、ずっと手が暖かかった。右手だけじゃなく、左手も。
「……私よ、サラサ」
苦笑する様な密かな笑い声と共に、身を起こした誰かに覗き込まれた。
「……アヤ、ネさま……?」
何時もは後ろに結い上げた黒髪を下ろした艶めかしい美女は、応える様に笑み、繋いでいない方の手で、私の頬を撫でた。
「お早う……といっても、夜明けはまだよ。もう少しお休みなさい」
幼子にする様に、優しく頬や髪を撫でられ、うとうとと微睡みそうになる。
けれどある事に気付き、私は目を開けた。
「アヤネ様が、何故此処に?……自室に戻らなければ、規則を破る事になってしまいます」
側室は、夜の間、自室を抜け出す事を禁じられている筈。
「いいのよ」
焦る私とは対照的に、アヤネ様は楽しそうだ。
悪戯っぽく笑むアヤネ様は、私に寄り添う様に寝台に横になる。
「私、あまりお父様を困らせた事が無いし、たまにはいいのではないかしら」
「で、でも」
「それに……私だけでは無いしね」
アヤネ様の言葉に、私は目を瞠る。彼女の視線を追う様に、反対隣を見ると、白く細い手が、私の左手を握っていた。
「……シャロン、さま」
彼女は、私の手を胸に抱く格好で、安らかな寝息をたてていた。
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