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或る令嬢の慟哭。

 吏部尚書の娘、ルリカ・エイリ視点となります。


 残酷な表現がありますので、ご注意下さい。



「……え、」



 モエギを、振り返る事は許されなかった。

彼女は私の腕を強く引き、前を向かせる。



 視界に飛び込んで来たのは、ずっと焦がれていた方。

雄々しく美しく気高い、私の王。



 一目で恋に落ちた。その日から、あの方に嫁ぎ、愛される事だけを夢見ていた。

けれど……、



「……っ、」



 恋い焦がれている私でさえ恐ろしいと感じる陛下の鋭い視線が、一瞬だけ和らぐ。

護衛武官の背に庇われた少女を気遣わしげに見るその瞳には、確かな愛情があった。



「…………」


「前を向いていなさい。目を逸らしてはいけません。」



 見ていたくなくて俯いたのに、モエギはそれさえも許してはくれない。



 前へと固定された私の視界に、並ぶ二人の姿が映る。

触れ合っている訳では無い。距離で言えば、少女と武官の方が余程近いのに、陛下の傍にあの人がいる……それだけで、私の胸は抉られた。



 醜い感情が、再び沸き上がって来る。

止めて、とらないで。私の愛しい方を奪わないで。

何故私が必死になっても欠片さえ手に入らなかったものを、貴方は簡単に得てしまうの。



 愛し愛される旦那様も、親しい友も、仕える人間の信頼をも。



 妬ましい、憎い、と叫ぶ己の心を、必死に押し留める。

その醜い心が、モエギの大切な方を奪ったというのに、私はまだ繰り返すというの。



「その悪趣味な鎧……貴様がエイリの狗ではないのか?」



 葛藤を繰り返している私を置いてきぼりに、話は進む。陛下は訝しむように、モエギに声をかけた。



「追い込まれて錯乱した末の行動か……それともエイリは、飼い犬に手を噛まれたか?」



 冷静な声に、侮蔑が混ざる。

鋭い視線に怯む事無く、モエギは不敵に笑った。



「元より飼われた覚えはありませぬ。あのような外道に忠誠を誓う位ならば、冥府の王に跪く方を選ぶ。」


「恨みか。」



 言い捨てるモエギに何かを察したのか、陛下は疑問調では無く断定した。

モエギは、それにあっさりと頷く。



「仰せの通りです。私は、あの男に虐げられた者の一人。従う振りをしながら、あやつの首を斬り落とす日を夢見ておりました。」


「ならば、直接奴を狙え。その娘には、関係なかろう。」



 陛下が、私を見る。

それを喜ぶ事は出来なかった。関係無い、の前に『一応』と聞こえた気がしたから。



 言葉に出さずとも、冷たいその目が、私への侮蔑を伝えてきた。

きっと陛下は、私の傲慢で身勝手な行いを知っている。私が、あの人にした醜い嫌がらせの数々を。



 そして、これから知られてしまうのだ。

私が、陛下の寵妃を……サラサ・トウマを殺そうとしてしまった事を。



「悪党ほど、しぶといものです。他人の命は塵芥(ちりあくた)の様に扱えるくせに、己の命を護る為には金は一切惜しまない。」


「…………?」



 私は、呆然とした。

『関係ならある』そうモエギが返し、過去から今にかけての、私の行いへと話が進むものと覚悟していたのに。



「あの男を殺す隙が無かった。……私としても、不本意ではありますが、ならば、大切にしている娘を、と考えたのです。」


「……っ、」



 モエギは、私の事を話さない気なの?……どうして!!

庇われる価値なんて、私には無い。貴方もそう思っている筈なのに。



「……それだけが理由か?後宮でこれだけの事をして、よもや生きて帰れるとは思うておるまい。」



 陛下は、低く問う。こんな大それた事をした理由は、それだけでは無い筈。全て話してしまえと。

だがモエギは、陛下の誘導には従わなかった。



「命が惜しければ、後宮に侵入などしませんよ。」


「……何?」



 地を這う様な凄みのある声にも、モエギは引かなかった。場にそぐわぬ笑みを浮かべる。



「二度、後宮への侵入を果たしたのは私です。」


「!」


「……貴様、」



 唖然とする周りや、モエギの意図を理解したのか、低く呟く陛下をも無視し、モエギは淡々と続ける。



「まさか吏部尚書が、愚かにも独断で送り込んでくれるとは……。知っていれば、そんな面倒な真似をせずに済んだのですが。」


「ふざけるな……。貴様如きに王宮の警備を掻い潜る事など出来ようも無いわ。」



 今まで黙って見ていた近衛軍のイノリ大将が、吐き捨てる様に言い放つ。激昂する事は無かったが、静かな怒りを感じる。



 そうよ、無理なの。何故モエギが、私を庇うような発言を繰り返しているのかは、分からないけれど、そんな事無理なのよ。

侵入経路や方法なんて、思い付かない。尋問されても貴方は、それを黙秘で通す気なの?



「モエギ……、」


「ルリカ様」


「っ?」



 モエギは、私だけに聞こえる様に、耳の後ろ辺りに唇を近付けた。



「前を向け。……本当に、誰も貴方を受け入れていないのか、ちゃんとその目で見ていなさい。」


「!」


「これから、貴方には地獄が待っている。でもそれから逃げてはなりません。」



 言いながらモエギは、剣を握る手に力を込めた。もうすぐ私の終わりの時間が来るようだ。



「どうしても、その馬鹿げた発言を誠にしたいのならば、侵入経路を申してみよ。」



 セツナ大将の言葉に、モエギは笑い声を洩らした。



「そんな事は、ご自分で解明されるがよい!!」



 モエギは、叫ぶと同時に剣を引いた。滑る刃が首筋を斬り裂く未来を覚悟し、目を瞑り身を固くする。



「…………」


―――ドンッ、



 だが、私に与えられたのは、背を押された衝撃。

その直前に囁かれた言葉に、目を見開いた私の視界に飛び込んできたものは、



 陛下では無い。武官でも無い。



「ルリカ様っ!!」



 護衛武官を押し退け、私に向かって必死に手を伸ばす少女の姿。



 どうして。私は、貴方を殺そうとしたのに。



 手を掴まれ、引っ張られる。勢いを殺せず、そのまま倒れそうになるが、二人まとめて陛下に抱き留められた。



「セツナ!!そいつを止めろ!!」



 怒号が飛ぶ。

陛下の指示した方を振り返った私の目に映ったのは、赤。



 モエギの剣が、彼女自身の喉を切り裂く。吹き出した血の鮮烈な紅が、私の目に焼き付いた。



「…………」



 ゆっくりと傾く、モエギの体。目はその光景をしっかりと捕えているのに、頭は何一つ理解しない。



「……っ、」



 耳元で、息を飲む音がして、抱き締められた。薫るのは、陛下の香では無く、優しい匂い。柔らかで暖かな腕が、私を包んだ。



 その温もりが、私を正気に戻す。

ドシャリ、と人形が倒れる様な音がして、辺り一面が血の色に染め上げられた。



「…………あ、」



 微かに、モエギの手足が、痙攣する様に動く。まだ、生きている。まだ!!



 武官らが、駆け寄る。だが、その表情は暗いものへと直ぐに変わってしまう。

そうしている間にも、流れて行く夥しい量の血。一緒にモエギの命が流れ落ちる。



「……あ、あ……ぁああああ!!!」



 私は狂った様に悲鳴をあげた。



 モエギ、モエギ、モエギ!!!

何故……何故!!



「ルリカ様……」


「あぁああああっ…!!!」



 私は獣が吠える様に慟哭した。

みっともないとか、陛下の御前である事なんて、全て飛んでいた。狂いそうな私を、暖かな感触だけが現実に留める。



 これは、救いではない。

彼女が科せた、私への罰。



 モエギの最後の言葉が、耳に残る。



『償いなさい。ルリカ様。……生きて。』



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