04
『聞いて、モエギ!私、後宮に召し上げられる事になったの!』
『…………』
嬉しそうに報告するルリカ様に、私は何も返せなかった。
何も知らないこの方を責めてどうなる。そう繰り返し、握り締めた拳を振り上げないよう堪えるだけで精一杯だった。
『……喜んでくれないの?』
『…………』
何を喜べというのか。妹の一生を台無しにして、蹴落とし伸し上がった事に祝辞を贈れと言うのか。
口を開いたら、罵倒が飛び出してしまいそうだ。私は無言で頭を下げ、その場を辞した。
傷付いた顔のルリカ様は、見ない振りで。
その後も、ルリカ様が後宮へとあがるまで、私は徹底的に彼女を避けた。
業を煮やしたルリカ様に呼ばれる事は度々あったが、以前と違い人形の様にただ傍に居るだけだ。言葉も仕事に関係しなければ、絶対に返さない。
それを繰り返すと、次第にルリカ様も、私を呼ばなくなった。
そうしてルリカ様が後宮入りして暫く経ち、クレハも嫁入り先が決まったと聞いた。
今度こそ幸せになれるのだろうか、と抱いた希望は一瞬で潰える。クレハの嫁入り先を世話したのが、吏部尚書だと聞いて。
あの男の息のかかった輩に、期待なぞ出来ようも無い。私は走った。
会う資格が無い事は分かっている。だが、これ以上クレハを傷付けられたく無い。
カナイ家までの道を駆けていく間に、だんだんと人が増えていく。何かの祝い事でもあるのか、と考え直ぐに思い至る。
歓声と共に撒かれる花弁。人ごみの向こう、鮮やかな衣装に身を包み、輿に乗ったクレハが居る。
最悪な事に、今日が嫁入りだった様だ。
『クレハ……!!』
叫んだ私の声は、歓声や音楽にかき消される。人がひしめき合い、これ以上一歩も進めない。
行くな、頼む。これ以上、傷付かなくていい。
『クレハッ!!!』
私は、声の限りに叫んだ。だが変わらず他の音に消されてしまい、届かない。……そう思った。
『…………、』
だがクレハは、俯いていた顔を上げ、辺りを見回す。必死に目を凝らし、輿から身を乗り出す様に。
『クレハ…クレハ!!』
『……!!』
叫んだ私を見つけ、クレハは大きく目を見開く。
暫く会わないうちに、クレハはとても美しく成長を遂げていた。化粧の施された美貌が、泣きそうにゆがめられた。
モエギさま、と唇が動く。声は届かないけれど、確かに私を呼んだ。
『クレハ、一緒に行こう……私と、逃げよう!!』
『……!』
叫んだ私の声は、きっとクレハには届いていない。それなのにクレハは、嬉しそうに笑った。
人目を忍んで会っていた頃のような、柔かな笑顔で。
『……クレ、』
『モエギ様……』
私の名を、クレハは大事そうに呼び、ゆっくりと言葉を紡いだ。
さようなら、と。
去っていく輿を、私は呆然と見送る。クレハはもう、私を見る事は無かった。何かを覚悟したような静かな表情で、ただ前を向いていた。
ああ、私は二度と、クレハに会えないのだ。
嫁入りしたからでは無い。身分がどうとか、醜聞がどうとかでは無く、もう生きて会う事は叶わないのだと、その横顔を見て、悟った。
だから、クレハが自ら命を絶ったと聞いても、驚きはなかった。ただ胸の中心に風穴があいたかの様に、虚しさと孤独がゆっくりと私を侵蝕して行く。
吏部尚書を殺して、私も命を絶とうかとも思った。だがその度、ルリカ様の顔がちらついて……。
『後宮へ行け。』
だから、そう命ぜられた時は、迷い無く頷いた。
ルリカ様の護衛だけでなく、他の側室を探らせあわよくば、という薄汚い思惑が透けて見えたが、構わない。
見極めよう、と思った。
ルリカ様が、クレハの事を気に病んでいるのなら。……いや、知らないままであっても、他人を思いやれる方に成長なされていたなら。
その時は、ルリカ様をお守りしよう。いなくなってしまった妹の分まで。
「お話しましょう!」
「……何?」
結果、私の決意は無駄になった。ルリカ様は父親と、何ら変わりなかった。
己が愛される為に、邪魔者を消す……尚書の娘に相応しい鬼畜ぶり。
最早、躊躇いなど無い。
それなのに、被害者である筈の寵妃は、私に向かってそんな事を言う。
どこまでお人好しなのだろう。私にもルリカ様にも、殺されかけたというのに。
「他人が口をはさむ事では無いかもしれません……ですが、少しでもルリカ様の言い分も聞いて下さい!」
彼女は私に訴えた。
あまりの必死さに、時間稼ぎだと判断しながらも、考えずにはいられなかった。
ルリカ様の、言い分?
そこで漸く私は、拘束しているルリカ様に、視線を向けた。
「…………」
怯えているだろう、と思っていた。
自分本位な父親と同じく、生きる為ならば何でもやるのだろう。命を狙っていたトウマ様に縋ってでも、助かろうとするのだろう……そう、見下していた。
だが違った。ルリカ様は、黙って私を見ていた。とても哀しそうな目が、じっと私を映している。
涙の膜が張った大きな瞳は、絶望に暗く淀んでいた。
「………っ、」
「……やっぱり私は、モエギにも憎まれていたのね」
私だけにしか聞こえないような、力無い声で呟き、ルリカ様は自嘲気味に笑った。
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