或る凶手の追憶。
エイリ家私兵 モエギ視点です。回想入ります。
死ぬ間際、今までの己の人生が脳裏を駆け巡る事があるという。
死に直面している訳では無い。まだ。
それなのに私は、ぼんやりと己の人生を振り返っていた。此処が終点だと、何かに言い聞かせられたかのように。
望まれて、生まれた子では無かった。
だがそれは、大して珍しい話では無い。全ての子供が望まれて生まれるのならば、堕胎や口減らしなど存在しないだろう。
生き残れただけ私は、幸運だと言える。
母は妓女だった。
都の一角にある妓楼の、そこそこ名の売れた妓女で、身を売る娼妓では無く、あくまで芸を売る人であったという。
ある時、身分の高い男の酒宴に呼ばれ、酔った男に半ば無理やり手籠めにされ私を身籠った。
男の身分を考えれば、妓楼に金を渡し、女には堕胎させれば良かったのだろうが、正妻との間に子がなかった男は、一時の情で生む事を許してしまった。
それが母と私の困難の始まり。
最初は良かった。男は母を身請けし住まいを与え、時折私に会いに来て、本を与えた。
そのお陰で読み書きを覚えられたので、そこは感謝している。
時折訪れるその男を『父』とは思えなかったが、気紛れに頭を撫でる手は嫌いではなかった。
だが数年後、事態は一変した。
正妻が子を授かったのだ。
当然、男は其方に掛かりきり。私達は忘れられた様に放置された。
だが、本当に忘れてくれていた方が、どれ程幸せだったか。
片や、王家の遠縁である妻と、愛らしい娘。片や、元妓女の愛人と無表情の、男の様な娘。天秤に掛ける必要すら無いだろう。
男は私達親子の事が、露見する事を恐れた。
結果、いらないものは、処分される事となった。
……今も時折、魘される夜がある。
逃げなさいと叫んだ、母の声。響いた悲鳴。暗闇を焼く様に高くのぼる炎と黒煙。
幼い私にも、分かった。独りになったのだと。
それから、必死に生きた。草の根を噛り、雨水を集め、盗みもやった。
一人で生きるようになってから半年もしない時に、盗賊の一味に拾われ、其処で剣を覚えた。
働き次第では、分け前も貰える。だが、甘えさせてくれる人などいない。仲間がいても独りだ。
私は生きる為に、何でもやった。勿論、殺しも。
十代になる頃に、盗賊団の長が捕まり、死罪となった。仲間の殆どは捕まったが、私は逃げ延びた。
次に身を置いたのは、傭兵団。戦争の多いこの国では仕事に困る事は無く、地獄の様な最前線を駆けた。
生きている事が、不思議でならなかったが、私の最後の日は中々訪れない。死神さえも私を受け入れはしないらしい。
その頃には、私は、表情の動かし方すら忘れていた。
誰も私を私と認識しない。私は、何処にあっても独りだ。
そんな亡霊の様な存在と化していた私は、一時戻った都で……出会ってしまった。
私の母を殺した男の娘……半分だけ血の繋がった妹に。
最初は分からなかった。攫われそうになっている少女を救けたのも、ただの気紛れ。……いや、私という人間を、誰かに認識して欲しかったのかもしれない。
兎に角、意図した出会いでは無かった。
『……あのっ!たすけて下さって有り難うございました』
剣を鞘に戻し、泥に汚れた頬を手の甲で拭っていると、物陰に隠れていた少女が駆け寄って来た。
振り返った私は、少女のあまりの美しさに目を瞠る。
艶やかな紅の髪。長い睫毛に飾られた大きな瞳に、白磁の肌。
輝く様な美貌の少女は、恐ろしかったのだろう、震えながらも、私を見て頭を下げた。
『私は、クレハ・カナイと申します。……どうか、我が家にいらして下さい。救けていただいたお礼をさせて欲しいのです。』
『!……カナイ?』
『はい。父をご存じですか?』
無邪気に笑んだクレハは、工部侍郎だ、と決定打までくれた。
間違い無い。この少女は、母を殺した男の娘。私の腹違いの妹。
確信した私は、クレハを家まで送り届けた。
だが、男に会う事は、どうしてか躊躇われて、少し手前で彼女と別れた。
『……あのっ、……お、お名前を、教えていただけますか……?』
『…………』
別れ際クレハは、必死に私を引き止めた。家に来てほしいと何度も言ったが、私が拒むと泣きそうに顔を歪める。
せめて名前を教えて欲しい、と懸命に繰り返した。
『……モエギ』
『!モエギ、さま?』
本名では無い。
だが、偽名であろうと、名乗る気など無かった。それなのに、泣きそうなクレハを見ていられず言ってしまった。
大切そうに、何度も『モエギ様』と繰り返すクレハ。
例え、あの男の娘であろうとも、例え、この少女が生まれなければ、私が苦労せずに済んだのだとしても、憎む事なんて出来なかった。
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