護衛武官の見解。
サラサ付きの護衛武官、イオリ・ユウキ視点です。
「…これはこれは。」
突然の来訪者に、苦笑を浮かべる私を押し退ける様に、彼女は部屋へと押し入った。
「…失礼するわよ。」
「アヤネ様っ?」
理知的な美貌に険しい表情を浮かべ、サラサ様の部屋へ入って来た女性は、アヤネ・サイリ様。礼部 侍郎のご息女である。
私を困らせない様、室内で大人しく本を読んで過ごして下さっていたサラサ様は、突然の訪問に驚き、漆黒の瞳を丸くした。
立ち上がる際、膝の上の書物を取り落としそうになり、慌てて受け止める。
それを大切そうに引き出しにおさめたサラサ様は、アヤネ様に向き直り、気遣わしい視線を向けた。
「…どうかなさいましたか?」
「………どうもこうも無いわ。」
サイリ様は、実に分かりやすく苛立っておられた。
美人な彼女の怒りの表情は、より一層美しいが…その分迫力も増す。
ただその怒りは、サラサ様に向けたものでは無いようだ。サラサ様もそれを理解しているのか萎縮する事無く、ただ困った様に眉を下げた。
「下らない噂を耳にしたのよ。」
「……噂?」
虚を突かれた様な表情は、少し幼く見え、愛らしい。
そんな彼女にアヤネ様は声を更に荒げた。
「…貴方の噂でもあるの…!」
「………はぁ。」
噂、とやらの内容はまだ分からないが、あまり良い内容では無い事は予想がつく。
たがサラサ様は、気の抜けた返事を返しつつも、サイリ様に『まずは、座りませんか。』と椅子をすすめる。…侍女にお茶まで頼むサラサ様は、大物だと思う。
「アヤネ様。」
「……何。」
苛々としていたサイリ様は、ニッコリと笑むサラサ様に若干押された様に身を引いた。
「取り敢えず、落ち着きましょう。」
「…………………。」
…立場が逆転しているな。
この方々のやり取りを、毎日見ている訳では無いが、私が知る限り、『好奇心旺盛なサラサ様を嗜める、冷静なサイリ様』というのが基本図式だった筈。
出端を挫かれた形になったサイリ様は、一つため息をついて、椅子に腰掛けた。多少の脱力感は否めないが、頭に血が上った状態よりは良いだろう。
絶妙な頃合いで侍女がお茶を出し、それが半分に減る頃には、大分冷静さが戻ってきた様だ。
「…それで、噂というのはどのような?」
サラサ様が訊ねると、再び眉が吊り上がりはしたものの、サイリ様は冷静な声で話しだした。
「…先日、賊が再度侵入した件について噂が広がっているの。」
「はい。」
「元々後宮は厳重に警備されているわ。一度目の侵入だって至難の業だった筈よ。…なのに、更に強化された警備をまたも掻い潜るなんて、不可能に近い。…そうでしょう?」
「…そうですね。」
サイリ様につられる様に、サラサ様も真剣な顔で頷く。
その表情は、可愛らしいというよりは、美しいという表現が似つかわしい。
「…その不可能を可能に変える方法として、『誰か内部の人間が手引きをしているんじゃないか』という噂が流れているわ。」
「………成る程。」
サラサ様は、一つ頷き、
「それが私の噂に繋がるのですね。」
実に冷静に、そう呟いた。
キッとサイリ様は、眼尻を吊り上げる。
「…それだけなの!?根も葉もない不名誉な噂を流されているのよ…!!」
声を荒げるサイリ様に、サラサ様は目を瞠り、次いで嬉しそうに微笑んだ。
「…アヤネ様。」
「何っ…!?」
「ありがとうございます。」
「…っ、」
またも、サイリ様は勢いを挫かれ言葉を詰まらせた。
「根も葉もないからこそ、取り合う必要も無いかと思うのです。…どうせ理由としては、私がルリカ様と対立しているから程度のものでしょうし。」
「……その通りよ。…だから貴方だけじゃなくて、ホノカ様の名前もあがっているわ。」
厳しいお顔だったサイリ様は、暫く沈黙した後、深く嘆息し、そう呟いた。
サラサ様は嬉しそうにそんな彼女を見つめている。
サラサ様にとっては根拠の無い馬鹿げた噂などより、冷静なこの方が、こうも取り乱す程にサラサ様に肩入れしている…その事実の方が余程重要なのだろう。
頬を染め、幸せそうに相好を崩す様は、目眩がする程に可愛らしかった。
「心配して下さったのですね。」
「っ!…お馬鹿!」
直球なサラサ様の言葉に、サイリ様は珍しくも顔を赤らめ外方を向いた。
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