03
「……あら。」
ご機嫌なシャロン様に、猫の子のように撫でて貰っていると、アヤネ様が低い声で呟いた。
「…?」
アヤネ様の変化を感じ取った私は、顔を上げて、険しい顔をするアヤネ様の視線を辿った。
「……………あ、」
向けた視線が、かち合う。
東屋よりも低い位置にある通路から、此方を見上げていたのはキツい眼差しの美少女…ルリカ様でした。
ルリカ様は立ち止まったまま此方を見上げている。動こうとしない彼女に、お付きの侍女や武官は戸惑っている様ですが、ルリカ様は微動だにせず此方を………いいえ、私を、睨み付けています。
傍にいるアヤネ様やシャロン様には、チラとも視線を移さず、刺さりそうな鋭い視線を私だけに寄越す。
強すぎる視線には、憎悪や殺意さえ感じました。
「………………、」
…何故でしょう。
嫌がらせの数々を受けている身としては、嫌われている事位は理解していましたが…それでも、此処まででは無かったように思います。
現に嫌がらせも、私が大怪我を負うようなものでは無く、陰口もちょっとした厭味程度でした。
こんな殺意のこもった視線を向けられる程には、嫌われてはいなかった筈です。
…ここ数日会わなかった間に、一体何があったのでしょう。
それとも、最後に会った日に、私、何かしてしまいましたか…?
ズキン、と胸が痛んだ。
私はルリカ様の事が嫌いでは無いので、一方的にここまで嫌われるというのは…結構堪えます。
「………、」
キュ、と胸の辺りを押さえる様に掴むと、ルリカ様の姿が何かに遮られた。
「…………?」
遮ったものの正体は、誰かの背中。細身なのに不思議と頼もしさを感じさせる鎧姿…それから、サラサラと揺れる白金の髪。
「…イオリ。」
私付きの護衛武官であるイオリは、私を背中に庇う様に立ち、ルリカ様の視線を真っ向から受け止めていた。
「…イ、」
「…サラサ様。」
立ち上がろうとした私の肩を、イオリはやんわりと押さえた。お手本の様な綺麗な微笑みは、何故か有無を言わさぬ迫力がある。
私は『イオリ、大丈夫だから止めて。』と諫めようとした言葉を思わず飲み込んでしまった。
「…私の役目は、貴方様をお守りする事。それは何も暴漢だけに限定したものでは無いのですよ。」
「…ですが、」
「貴方様が心配なさる様な事はございません。どうか心穏やかにお過ごし下さい。」
「……………。」
甘やかす様な綺羅綺羅しい笑みで、イオリは言外に『貴方はただ守られていればいい。』と言う。
「………………。」
言いたい事は分かる…………けれど納得が、いきません。
何ですか、それ。
私はお姫様でもお人形さんでもありませんよ。
私より余程人生経験豊富であろうイオリの笑顔は、反論を許さない。自分が聞き分けの無い幼子になったような、羞恥と後ろめたさを感じる。
お母さんの言い付けを破ってしまった時のような。
「……………イオリ。」
でも、それで引き下がる程私は、素直な性格ではありません…!
真っ直ぐに向けられる翠の瞳を真っ正面から見つめ返し、私は口を開く。
「…其処を、退いて。」
「…サラサ様。」
困ったような、声。諫める響きを持つイオリの声音に、私の負けん気は益々刺激されました。
守って下さるのは有難いです。役目を全うしようとする姿勢も、好ましいと思います。
…ですが、女の戦いに首を突っ込むのは違うと思うのですよ…!
全力で嫌われて憎まれるのは正直キツいですが…私が隠れてしまえば、逃げた事になります。不戦敗確定です。
まだ何をしたかも分かっていないのに…尻尾巻いて逃げるなんて女が廃りますとも!!
「…退きなさい。命令です。」
静かな声でそう告げると、イオリだけでなく、事の成り行きを見守っていたアヤネ様とシャロン様も目を瞠った。
イオリは、それ以上何も言わない私を、暫く見つめていた。何かを読み取ろうとする瞳から目を逸らさずにいると、やがて一つため息をついたイオリは、数歩横に移動する。
「……………。」
ルリカ様は、まだ其処にいた。
立ち上がり、彼女に対峙する様に向き直る。鋭い視線を受け止め、真っ向から見つめ返せばルリカ様の瞳が瞠られた。
さぁ、逃げも隠れも致しませんから。
やるんなら、真っ向勝負といきましょう。…何の勝負かは分かってませんけどね。
「………………。」
ルリカ様は、数秒私の顔を見つめていたが、やがてツンと顔を反らし、その場から立ち去って行った。
慌ててその後に続く侍女や武官の背を見送り、
脱力した私は息を吐き出しながら、腰を下ろす。
「もう。……何をやっているのよ、貴方は。」
「だ、大丈夫ですか?」
ふぅヤレヤレ、と遣り遂げた気分になっている私に、呆れた声と、心配げな声がかけられた。
「大丈夫なのですよ!」
ニッコリ笑む私に、イオリは困った顔に苦笑を浮かべ
『負けず嫌いな困ったお姫様だ。』と呟いた。
.