03
「何が知りたいの?」
私の阿呆さ加減に毒気を抜かれたのか、美人さんは呆れた様に嘆息した後、私にそう投げ掛けた。
階段を下り、私の隣に立った美人さんは、私の返答を待たずして、本棚から本を抜き取って行く。
「鴻国の歴史でいいのよね?時代によって本がわかれているから、触りだけ知りたいのなら、この辺りがいいと思うわ。逆に詳細に知りたいのなら、これね。お堅い文章だけれど、史実に沿って書かれているから、変な偏りが無くていいの。…この辺りは面白いけれど、推測が織り交ぜてあるから暇潰し程度に止めておくことね。」
「ご、ご丁寧にありがとうございます。」
耳に心地よいアルトボイスが、流暢に響く。
まるで司書の方の様に、求めていた以上の説明を与えてくれる美人さんに、私は吃りながらもお礼を述べた。
「…で?どの辺り?」
にっこりと笑みを浮かべる美人さんは、まるで水を得た魚の様に生き生きとしている。
…本が、とても好きなんですね。
年上の女性に、可愛らしい、なんて失礼でしょうか。
ヘラリと笑み返しながら、私は答えた。
「……えっと、初めから通して知りたいのですが、…一番知りたいのは今、でしょうか。」
「…今?」
「はい。…少し前から、今に至るまで…現皇帝陛下が、どの様に生きてこられたのかを。」
「…………………。」
私の言葉に、美人さんは驚きと呆れが入り交じった様な顔をした。
「…陛下の事が好きって、本当なのね。」
「はい。」
美人さんは、迷い無く頷いた私をじっと見たが、やがて理知的な美貌に苦笑を浮かべながら、手元の本を棚に戻した。
「……確かに、魅力的な方だわ。皇帝という地位を差し引いても、女なら一度は抱いて欲しいと夢見るかもしれないわね。」
…何でしょう。
誉めている筈なのに、美人さんの言葉はとても客観的で冷静です。まるで、その括りの中に、自分はカウントしていないかの様に。
不思議に思いつつも、その大多数の女性の枠に納まっている私は、素直に頷いた。
「そうですね。とてもお優しいですし。」
「…え?」
本を棚に戻していた美人さんは、一拍置いて訝しむ様な声とともに、私を振り返る。
硬質な光を宿す瞳が、品定めをするように私を見た。
「……そういえば貴方、陛下の事を知りたいと言っていたわね。……現時点でどれくらいの知識があるのかしら。」
「…………。」
言われて私は戸惑った。
私がサラサの実家で教わった知識の中に、陛下に関する事は殆ど無い。
それは箱入り娘であった本物のサラサ自身が、政治や王族に関する知識をほぼ持たないから、と説明されていたが…今となっては、意図的に隠していたのではないかとさえ思う。
そしてその隠された意図が、シャロン様の怯えや、美人さんの驚きの示すものなのではないかと。
「………………、」
「……呆れた。貴方のご両親は、貴方を箱にでも納めていたのかしら。」
私の沈黙に答えを読み取った美人さんは、ため息をつき、肩を竦めた。
「…でも、だからこそ、そんなに真っ直ぐ慕えるのね。」
「…………………。」
…私は、何も返す事が出来ませんでした。
無知な私は、此処で否定するだけの材料を持ちません。
そんな事無い。陛下の何を知ったって、私はあの方が好き。…そんなのは、ただの理想論です。目を逸らしているだけです。
知ってからでなければ、私は胸をはって、好きだと言い切る事も出来ない。
「………………。」
棚に本をしまい終えた美人さんは、俯いた私を見て、暫し何か考え事をしていた。
そしてしまった本の代わりに、彼女は一冊の本を取り出す。
無言で手渡されたソレを開くと、それは…
「…………地図?」
「…貴方、時間はある?」
「…はい。」
「じゃあ、私が簡単に教えてあげるわ。」
「……え、」
驚きに目を丸くする私に構わず、彼女は話を進める。
曰く、長くなるから、既存の歴史書は今はいい。
もし興味があるなら、後で自分で読みなさい、との事。
「…いいんですか?」
戸惑う私に、美人さんは形の良い魅惑的な唇を、吊り上げた。
「いいわよ。これはただの好奇心。知識を得た後でも、その真っ直ぐな愛情が歪み無くいられるのか……そんな、質の悪い知識欲だから。」
美人さんの言葉を聞きながら、私は無意識に、手のひらを握り締めたのでした。
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