側室(仮)の思案。(2)
二年近くもお待たせしていまい、本当に申し訳ありませんでした。
「うー……」
低く呻きながら、首を回す。
鈍痛を訴える首の付け根に手を置けば、凝り固まっているのが分かる。肩こりのせいか、目を酷使し過ぎたせいか、頭痛までする。
原因は考えるまでもない。
昨夜、遅くまで本を読んでいたせい。注意してくれる可愛くてしっかり者の侍女がいなくなった途端、このザマです。
書庫から数冊の本を持ち帰り、自室で読んでいたけれど、結局成果はゼロ。
家系図を辿る以前に、優れた医師や技術者について書かれた本が、圧倒的に少ない。
鴻国は武を尊ぶお国柄なせいか、軍師や武人の歴史書ばかり。医療や建築技術についての本はあったけれど、医師や建築士については書かれていなかった。
夜更けまで本を読み漁った結果、残ったのは私の体の不調だけ。
あ。あと、家系図辿るというのが結構な無理ゲーだと気付きました。
現代日本の図書館のように、データベースで管理されてはいない。一つ一つ手作業で探しだすなんて、物凄く気が遠くなります。
あきらめたらそこで試合終了ですよと、某少年漫画の監督さんも仰ってますが、割りと本気で心折れました。
再び書庫へとやってきた私ですが、本を探す前に、隣接された談話室へと足を運ぶ。
逃走ではありません。戦略的撤退です。
……というのは半分冗談で、ちょっと休憩挟んでから探したい。
アヤネ様とお話して癒やされてから、もう一回頑張ります。
「こんにちは」
談話室の扉を開けて、中を覗き込む。
分厚い本へと落としていた視線をあげ、いらっしゃい、と微笑んでくれる佳人の姿を想像しながら。
「……あれ」
しかし私の期待を裏切り、中には誰の姿もなかった。
艶のある紫檀の机の上には、何の本も置かれておらず、茶器も使われた形跡がない。談話室は昨日と同じく、しんと静まり返っていた。
「サイリ様は、今日もいらっしゃらないのですね」
護衛であるイオリが、私の心中を代弁するように口を開く。
昨日と同じようなセリフ。でも、私の寂しさは昨日よりも大きくなっていた。
おかしいですよね。同じ後宮内にいるのに、寂しいなんて。
会いたければ、アヤネ様のお部屋へ行けばいいだけの話です。でも何故か、直接お部屋を訪ねるのは躊躇われた。
「お忙しいのかもしれないわ」
私は自分にも言い聞かせるために、そう言った。
「もしかしたら遅れていらっしゃるかもしれないし、お茶でもして待っていようかしら」
「……では、侍女に用意させます」
「お願い」
沈んだ気持ちを誤魔化すように笑むが、たぶん失敗しているんだろう。
イオリは、気遣わしげな表情を浮かべて私を見た。でも結局は追求する事なく、私の話に合わせてくれた。
外にいる侍女に声をかけようと、イオリは扉を開ける。
「……おや」
イオリは、扉を開けた姿勢のまま動きを止めた。
形の良い唇から小さな声が洩れる。長い睫毛が数度瞬き、彼女は瞳を柔らかく細めた。
「失礼致しました。どうぞ」
イオリは道を譲るように、一歩後退する。
誰かが部屋の外にいるらしい。
もしかして……。
「アヤネさ……」
アヤネ様、と呼びかけようとして、私は途中で言葉を飲み込んだ。
「……アヤネ様じゃなくて、悪かったわね」
目尻の下がったペールグリーンの瞳が潤む。
部屋へと入ってきた女性は、恨みがましい目で私を睨み付けた。
わー……。やらかしたー……。
一番間違っちゃいけない人、間違えたー……。
「ご、ごめんなさい。ホノカ様」
「こっちこそごめんなさい。お呼びじゃないのに来ちゃって」
緩く波打つ赤毛や、垂れ目がちの翠の双眸が魅力的な細身の美女は、子供みたいに頬を膨らませながら、ツン、と横を向いた。
わー……。面倒くさいー……。
私は遠い目をしながら、乾いた笑いを洩らした。
まあホノカ様は、ぶっちゃけ、そんな面倒くさい部分が一番可愛いんですけどね。
「そんな事ありません。久しぶりに会えて嬉しいですよ」
「そうよね。久しぶりよね。貴方からは全然会いに来てくれないものね」
……面倒くさいホノカ様には、割りと慣れた気でいたんですけど。
ちょっと、これだけは突っ込ませて欲しい。
彼女か!
遠距離恋愛中の彼女か!!
久々に会った彼女に、メールの返事が遅いとか、たまにはそっちから連絡くれてもいいんじゃないかとか、詰られる彼氏の気分だ。
おかしいな。私、彼女いないはず。寧ろ、旦那様しかいないはずなんですけど。
どう宥めたものかと悩みながら、私はホノカ様を見る。
ん?
あれ、なんか衣装が……。
「ホノカ様」
「……なに」
「その着物、素敵ですね」
「!」
ホノカ様の華奢な体躯を包む裙襦は、初めて見るものだった。
襦……上衣の基調は白。幾何学模様が刺繍された交領と、腰帯は水色で揃えられ、白い玉佩を吊るす組紐は濃い赤紫。
下衣である裙は、紺色から花緑青、そして水色へと見事なグラデーションを描く。白い花の模様が鮮やかな色を更に引き立て、美しい。
花の名前は分からないけれど、ニワナナカマドに少し似ている。
「綺麗な色です」
「そ、そう? ……お父様からの贈り物なの」
ホノカ様は、今まで拗ねていたのも忘れたかのように、喜色が滲むような笑みを浮かべた。
ホノカ様のお父様というと、安璃州の州牧補佐を勤めていらっしゃる方ですよね。
「もしかして、マトリの染め布ですか」
西国マトリの染め布は、側室の皆様方にも人気の一品だ。
ホノカ様のお父様が、愛娘へ贈るために取り寄せたんじゃないかと思って聞いてみたら、ホノカ様は嬉しそうに頷いた。
「う、うん。……どうかな?」
袖口を指で押さえながら、ホノカ様はくるりと回ってみせる。
頬を紅潮させて、はにかむホノカ様、尊い。
壁を殴りながら悶たいくらい可愛いんですけど、一個言っていいですか。
――彼女か。
一張羅見せに来た彼女か。
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