側室(仮)の思案。
「では、行ってまいります」
カンナは綺麗な所作で、私に向かい頭を下げる。
今日はカンナのお休みの日。里帰りという名目ですが、その実、『日本』の手掛かりを探してくれるようです。
笑顔のカンナに対し、私の表情はどんよりと曇っていた。
側室という身分上、簡単には動けない私の代わりを申し出てくれたのは、とても有難いことですが。
年頃の可愛らしい少女が、一人で街を歩き回っても大丈夫なのか、心配になってきてしまった。活気のある表通りならともかく、入り組んだ路地裏や街外れは、止めて欲しい。くれぐれも、危ない事はしないように言い含めてはあるけれど……。
真面目でお淑やかなカンナですが、時々無茶をするから心配だと言ったら、『サラサ様の侍女ですから』と笑顔で返された。うう……反論し辛い。
「……気を付けてね」
私は彼女の手をとり、呟く。
しつこい私にカンナは苦笑を浮かべたけれど、頷いてくれた。
繋いだ手を離せずに、ぐだぐだと引き留める私に痺れを切らせたのは、カンナではなくイオリだった。
いわく、このままでは後宮の門を出る前に、日が暮れますと。
大袈裟だとは思うけれど、大分時間を無駄にさせてしまっている自覚はあったので、渋々手を離す。
門まで付いていきたかったが、丁重に断られてしまった。
しょんぼりしつつもカンナを見送った後、私は部屋を出る。
「どちらへ?」
「書庫よ」
私の周りに気を配りつつも訊ねたイオリに、私は簡潔に返す。
書庫は私の馴染みの場所の一つなので、イオリはそれ以上何も問わなかった。おそらく、アヤネ様に会いに行くと思われているのだろう。
アヤネ様にいくつか質問もしたいのも事実なのですが、今回は本が目的。
改めて、私の世界に繋がる手掛かりを、探してみようと思い立ったのです。
馴染んだ道を進み、書庫へと辿り着く。今日も今日とて、この辺りはひっそりと静まり返っていた。
「どうぞ」
「ありがとう」
扉を開けてくれるイオリに礼を言い、中へと入る。
外の天気は快晴だが、室内は相変わらず薄暗く、人気は無かった。高確率で出会える書庫の主、もといアヤネ様は、どうやら不在のよう。
隣接する部屋も一応覗いては見たけれど、ひんやりと冷たい空気が、主の不在を告げていた。
「サイリ様はご不在のようですね」
「そうみたい。でも、本を読んでいくわ」
言外に、出直しますかと問うイオリに、残る旨を伝え、私は本棚へと向かう。
書庫に置いてある本は、結構な量読みましたが、異世界に関する記述のあった本は見た事がない。
神話や御伽噺の類も見たのですが……正直、何処から手を付けていいか分からなかった。
そもそも、神や神の御使いが、道歩いて来る筈もなく。突然現れるパターンが、むしろ普通だったりする。
歴史書は一番多く読んだけれど、国の歴史は分かっても個人の歴史を辿る事自体が難しい。詳しく載っているのは、皇帝とその血縁、または偉業を成し遂げた男の人だけ。
昔の日本もそうだったけれど、女の人の多くは、誰々の妻、もしくは娘としか書かれておらず、名前さえ分からない事の方が多かった。
王族が異世界人の可能性は、限りなくゼロに近い。奇跡的に側室になっている私が言うなって話ですが。
でも、偉業を成し遂げた人物ならば、可能性は少しだけ多くなるのではないでしょうか。
この世界の文化水準は、私のいた時代からすると大分遅れている。向こうの世界の専門的な知識を持つ人ならば、歴史書に名を刻むことも出来たかもしれない。
例えば、医療。例えば、建築や治水。
そして偉大な人物達の中で、過去が辿れない人物がいれば、可能性はもう少し高くなる。
鴻国の場合、貧しい生まれの子や、親を亡くした子供は、読み書きを覚える事からして、難しい。学校に通うには、お金が必要だからだ。
武官ならともかく、文官、もしくは医者になれるのは、多くが貴族や裕福な商家の生まれ。家系図を辿れない事の方が、稀だ。
可能性としては決して高くはないが、調べてみる価値はある。
……まぁ、私以外に異世界からやって来た人がいたらって前提なんですけれど。
仮に知識人や技術者が迷い込んだとしても、異端として迫害されるかもしれない危険を冒すより、平凡な人生を選ぶかもしれませんし。
色々無理があるって、分かってます。一応。
でも何もせずに、じっとしていられなかった。
部屋に閉じこもって、悶々と考えているだけでは、おかしくなりそうだった。
出来得る限り、足掻きたい。
今は、そう思う。
「…………」
本を棚から抜き取り、積み重ねる。
片手で持つのが辛くなる前に、持ちます、とイオリが手を貸してくれた。隣接する部屋に運んでもらい、取り敢えず片っ端から読む事にする。
アヤネ様が居る時は、本が積み重なっている机の上は、今日はすっきりと何も無い。少しだけ席を外している、という訳ではないらしい。
「書庫にサイリ様がいらっしゃらないのは、珍しいですね」
私の思考を読み取ったかのように、イオリが言った。
確かに、珍しい。アヤネ様が書庫に毎日通っているかは分からないけれど、私が訪れる時は居ました。
書庫といえばアヤネ様。アヤネ様といえば書庫。そんな風に連想してしまう位には。
「そうね……」
いらっしゃい、と微笑む主がいない書庫は、いつもより寂しく思えた。
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