側室(仮)の相談。(4)
相談したい事があると、私が言っていた事を、カンナは忘れていなかったらしい。
さぁどうぞ、と彼女は、わざとらしく胸を張る。私が切り出しやすいように、空気を和ませてくれているのでしょう。
ああもう。私の侍女、可愛くて優し過ぎです。
「うん。お願いします」
私は引出から布を取り出してから、テーブルへと戻る。
後ろに立つカンナを見上げ、隣の席をポン、と叩く。
「カンナも座って?」
普段は、カンナが私と同じテーブルに着く事はない。
身分や階級のあるこの国では当たり前の事かもしれないけれど、私は未だに馴染めない時がある。食事をしている時とか、傍に立つよりは、前や隣に座ってくれた方が嬉しいと思う事も多い。
困らせてしまうので、我慢してはいますが。
今は室内に二人きり。誰も咎める人はいない。
それに何より、距離が遠くては内緒話がし辛い。
その辺りの事情も心得てくれているようで、カンナは私のすぐ横に座り、悪戯っぽく微笑んだ。内緒ですよって、人差し指を唇にそっと押し当てる仕草が、悶絶しそうに可愛かった。
「相談は、沙羅に関しての事なの」
小さな声で、私は切り出す。
室内には二人きりだし、例え窓の外から耳を澄ましたとしても、聞き取れないとは思う。けれど念には念を入れて、ぼかした言い方をした。
私が偽物である事は、誰にも知られてはいけないから。
「……沙羅様が、どうかなさいましたか」
カンナは柔らかな微笑を消し、表情を引き締めた。
「まずは、これを見て」
布を手渡すと、カンナはそれをまじまじと眺めた。
「綺麗な刺繍ですね。桜でしょうか」
白く細い指が、刺繍を辿る。
この国にも桜があるんだ。
喜びかけた私は、いやいやそうじゃないでしょう私、と脳内で突っ込む。それは確かに嬉しい事だけれど、気にするべきところは、そこじゃない。
「これは、どうなさったんですか?」
「先日、陛下に街へ連れて行っていただいた時、偶然手に入れた物よ。小さな女の子が行商人から貰った物を、更に私が譲って貰ったの。刺繍や布自体に問題はないのだけれど……カンナ。この部分に、何か見覚えはない?」
身を乗り出して、布の中央に書かれた文字を指差す。
「この模様ですか?……いいえ、残念ながら」
カンナは文字と私を見比べ、困惑した表情でかぶりを振る。
ああ、やっぱり。と思いつつも、少し落胆してしまった。肩を落とした私を、カンナは心配そうに見た。
この布をくれた親子も、不思議な模様、と認識していたし、色んな国の言葉や文化を知っているであろう陛下も、ご存じないように見えた。
広く出回っている物ではないだろうと、予測はしていたのに。
自分で思っている以上に、焦っていたらしい。
こうしている間にも、小さな手掛かりが、消えてしまわないかと。
「これは、模様ではなく文字なの」
「文字?」
私の言葉にカンナは驚きの表情で、改めて布を見る。
確かに鴻国の文字と日本語は、全く違う。
それに、近隣諸国の文字を見ても、日本語のように三種の字を組み合わせて表記される、複雑な言語はない。
文字と認識出来なくて、当然なのかもしれません。
「そう。沙羅の母国の文字」
「……沙羅様のお生まれになった国の?」
カンナの瞳が、見開かれる。
たっぷり十数秒固まった後、顔を上げた彼女の表情には、動揺と困惑が見てとれた。
「沙羅様の母国と我が国には、繋がりがあるのでしょうか」
遠回しな言い方をしなければ、カンナは、行き来する方法があるのか、と言いたかった事でしょう。
異世界という定義のない国で、私のした説明がどの程度伝わっているかは怪しいけれど、少なくとも『馬でも船でも行けない途轍もなく遠い国』だとは理解されていると思う。
何故そんな国の文字を記した物が、鴻国の市で手に入れられたのか。
カンナの疑問は、そのまま私の悩みに直結する。
私は目を伏せ、かぶりを振った。
「分からないわ。……分からないから、私も、それが知りたい」
「……サラサ様」
「誰かの手によって、持ち込まれたのか。文字を知る誰かの手で、書かれたのか。……それとも偶然、隙間から零れ落ちたのか」
私のように。
最後の呟きは、ほとんど音にならなかった。けれど至近距離にいたカンナは、聞こえたのか、もう一度彼女は、目を際限まで見開く。
自虐的な言い方になってしまったと、そこで気付いた。
ネガティブな独り言は、一人の時にしなさいよ私!と内心で己を罵りながら、フォローを口にしようとした。けれどカンナは何故か、呆然としている。
「……私、勘違いをしておりました」
「え?」
「沙羅様は、遠い遠い異国から、この国にいらっしゃったのだと旦那様から教えていただきました。馬でも辿り着かない、とても遠い国なのですから、沙羅様も、お帰りになる事が出来ないのだと、勝手に思い込んでしまっていました」
「……」
カンナの言葉に、私は何も返せなかった。
帰るすべがあるのか、それは私にも分からない。
暫し、沈黙が室内に流れる。
やぶったのは、カンナだった。
「サラサ様。私に一日、休暇をいただけませんか」
「えっ?」
「布を扱っていた行商人、私が探してみます」
呆気にとられる私に、カンナは続けて言った。
淡い栗色の瞳に、決然とした色が宿る。その美しさに見惚れていた私は、一拍置いて、慌てて首を横に振った。
「ごめんなさい、カンナ。そんなつもりで言ったのではないの。これは沙羅の問題なのだから、貴方がそんな事する必要はないわ」
「いいえ。これは私自身の意志です」
貴族の令嬢で、当代皇帝陛下の側室であるサラサ・トウマが抱えている問題じゃない。異世界の女子高生、相馬沙羅の、ごく個人的な悩みだ。
そう言外に告げても、カンナは強い目で、曲げないと返す。
「ご意志とは無関係に、偶然この国にいらっしゃったのなら、帰るときも、ご意志とは無関係かもしれない。……お別れも出来ないかもしれないなんて、私は嫌です」
「カンナ……」
……そうだ。
突然この世界に飛ばされたのなら、帰る時も突然かもしれないって、自分でも思っていた時期があった。
突然帰るというのは、そういう事。
お別れどころか、決意する時間もない。カンナと内緒話をする事もない。シャロン様やアヤネ様やホノカ様にだって会えない。
陛下のお顔をもう一度見る事なく、永遠に引き離されるんだ。
「っ……!」
背筋が凍るような、言い様のない恐怖が襲う。
突然は、『今』でもおかしくないのだと、唐突に理解した。
「沙羅様は、私にとっても大切な御方。どうかお手伝いさせて下さい」
そっと重ねられたカンナの手は、泣きたい位に温かかった。




