側室(仮)の相談。(2)
「どうぞ」
「ありがとう」
卓の上に、茶椀が置かれる。
熱い茶に息を吹きかけた私は、立ち上る湯気越しに、チヨリ様を見た。
つん、と尖った唇。大きな瞳は眇められ、細い眉はひそめられている。
非常に分かり易く、不機嫌だ。
貴族のご令嬢が、不審者と同等の扱いをされたのですから、機嫌を損ねてしまうのも無理はありませんが。
分かってはいても、居た堪れない。沈黙が重過ぎる。
いくら私が能天気だとはいえ、この静けさはつらい。つらすぎる。
アヤネ様やカンナと一緒にいる時の静けさは、全く気にならないどころか、好きなんですが……。
流石に、ほぼ面識のない方と向かい合った今の状況で、ずっと無言を貫ける程強い心臓は持っていません。
「……あの、チヨリ様」
思い切って私は、沈黙を破る。
緊張の為、声が少し掠れたのを、咳払いで誤魔化した。
「私に、何か御用でしたか?」
頑張って笑顔を浮かべる。多少引き攣っているのは、見逃していただきたい。
今まで不機嫌さを隠そうともしなかったチヨリ様は、その瞬間我に返ったように、肩を揺らした。
居住まいを正した彼女に、私は目を丸くする。
「突然お邪魔してしまい、申し訳ありませんでした」
「……いえ」
「ですが私、どうしてもサラサ様とお話がしたくて……」
表情が、ガラリと変わる。俯いた彼女の表情も声も弱々しく、庇護欲をそそる……のでしょう。本来は。
でもさっきまでの様子を見ていた私としては、唖然とする他ない。
何だろう、この人……。
さっきまで横に放り投げてあった猫を、目の前で平然と被るのは如何なものでしょう。
「私と、ですか?」
「はい」
困惑した私が問うと、チヨリ様は俯いていた顔を上げる。
潤んだ大きな瞳に見詰められ、何故か居た堪れない気持ちになった。女の子の涙ってものは、どうしてこうも攻撃力があるんだろう。
「サラサ様。どうか私と、仲良くしていただけませんか?」
「……はい?」
チヨリ様の言葉を聞いた私の口から、間抜けな声がこぼれた。
彼女のお父上から贈り物を頂いた時点で、ある程度予測の出来る事態ですが、こうも直球でくるとは思いませんでした。
呆然とした顔で黙っている私を、どう思ったのか、彼女は聞かれてもいない懺悔を始めた。
「図々しいとお思いでしょうね。いくらルリカ様に命令されたとはいえ、私も貴方に嫌がらせをした一人なのですから」
自嘲気味に笑いながら告げる言葉に、私は更に驚いた。
え。初耳なんですが。
ご存じでしょうが。なんて前置きを入れたチヨリ様は、私に向かって頭を下げる。
全く知らなかったなんて、言える雰囲気ではない。
嫌がらせをされていた時期は、確かにあった。ルリカ様が首謀者だろうと予測もしていましたが、誰が何をしていたかなんて、分かる筈もない。
チヨリ様が加担していた事も、当然知りませんでしたし。
本当、何なんだろう……この方。さっきから語るに落ちるというか……悪人になりきれないタイプというか。
「ですが、貴方が憎くてしていた訳ではないのです……! もしルリカ様に逆らえば、私だけでなく、父や家族にまで被害が及ぶかもしれなかった」
「……」
「本当は、あんな我儘な子、大嫌いだった! 気紛れで自尊心ばかり強くて、気に入らない事があると、二言目には『お父様に言い付ける』 ばかり!」
ヒートアップしていくチヨリ様に、私は同意も反論もしない。
黙って傍観していた。そういえば同じようなキレ方を、ホノカ様もしていたな、なんて考えながら。
でもホノカ様は、誰かに自分の罪を擦り付けるような真似はなさらなかったけれど。
「いなくなって清々したと言いたいところですが……まさか最後まで、迷惑をかけられるなんて思わなかった。エイリ家の没落に引き摺られる形で周りの皆の家も、力を削がれました。私の家は、深く関わっていた訳では無かったので、他家のような没落は免れましたが」
怒りに満ちた形相で、チヨリ様は吐き捨てる。
舌打ちでもしそうな顔を見ていると、さっき浮かんでいた涙は幻覚ですかと言いたくなった。
「ルリカ様と懇意にされていた方は皆、ルリカ様のせいで後宮を去りました。そして私も孤立してしまった。全て、あの方のせいで」
「……」
「サラサ様も、ルリカ様にはとても苦しめられたでしょう? 私達はとても似ている。だからきっと、仲良くなれると思うんです」
チヨリ様はそう言って、歪んだ笑みを浮かべた。
……ルリカ様に苦しめられていないと言えば、嘘になる。
敵視されていた事も、殺されかけた事も事実。それにルリカ様が我儘で気紛れな方だと、私が思っていた事もまた事実です。
ルリカ様や彼女のお父上が権力を振り翳し、追い込まれた人がいるのも、私は知っている。
チヨリ様は、間違った事は仰っていない。
境遇が似ているとは思わないけれど、同じようにルリカ様に振り回された者同士。
――けれど、一つ。決定的に違う事がある。
「……チヨリ様。もし私と仲良くしていただけるのならば、ルリカ様のお話はなさらないで下さい」
「何故ですか?」
「私の考えを、押し付けてしまいそうになるからです」
不思議そうに首を傾げるチヨリ様に、私は苦笑しながら答える。
それをどう受け止めたのか、チヨリ様は、分かっていると言いたげに、ゆっくりとかぶりを振った。
「構いませんわ。それ程酷い事をされたのですから、当然です」
「そうではなくて……私は、あの方が『大嫌い』ではないから」
「えっ?」
最初から、嫌っていなかったのではない。苦手だったし、関わり合いたくないと思った。
ドロドロとした醜い気持ちは、確かに私の中にあったのです。
けれど、彼女の痛みや苦しみを知って、同情にも似た感情が湧いた。
そして、彼女の気高さや潔さを知って、それは好意に変わってしまった。
そう。チヨリ様との決定的な違いは、私がルリカ様の事を、好きだと言う事。
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