側室(仮)の相談。
帰った私達を出迎えたのは、予想通りというか、仁王立ちしたセツナ大将様だった。
その背後でイオリは、やけに綺麗な笑顔を浮かべていたけれど、目が笑っていない。どっちもお説教コースは免れないですねと、覚悟を決めました。
ですが、後宮に戻ってからも、イオリは私を叱らなかった。
絶対怒られると思ったのに。
怒られなかったら怒られなかったで、すっきりしません。モヤモヤとしたものを抱えた私は、変な顔をしていたのでしょう。
イオリは苦笑を浮かべて、理由を教えてくれた。
今回悪いのは全面的に陛下である、と。
立場を考えれば拒否権などないのだから、貴方は悪くないとイオリは言った。
拒否しなかったのは私の意志だし、全然嫌ではなかったと伝えても、大事な事はそこでは無いのですと一蹴された。
その日の夜は、私の部屋に、陛下はいらっしゃいませんでした。
きっと大量のお仕事と戦っている事でしょう。
申し訳ないと思いながらも、少しほっとした事も事実です。
陛下から見たら、おかしな模様が描かれただけの、なんの変哲もない布に、過剰反応して挙動不審だった私を、どう説明したらいいかなんて分からない。
そしてそれ以前に、私も受け止めきれていない。
日本語が書かれた布が、何故この国にあるのか。誰が、書いたのか。誰が持ち込んだのか。
もしそれを書いた人が、私と同じく異世界から迷い込んだ人間なら、帰れたのか。もしくは、帰る方法を知っているのか。
疑問は山のように浮かぶけれど、答えは一つも得られない。
「サラサ様」
気遣わしげな声がかけられた。
ゆっくりと瞼を押し上げ、声の方を見ると、心配顔のカンナと目が合った。
「今日は書庫にいらっしゃらないのですか?」
行けばアヤネ様達に会えるだろう。でも、こんなに混乱した状態で、暗い表情の私が行っては、心配させてしまうだけ。
緩くかぶりを振る。
「なら、東屋はいかがでしょう。今日は天気も良いですし」
「今日はいいわ。街に出て、イオリに心配かけてしまったし。大人しくしている」
頑張って笑ったつもりだったが、失敗したようだ。表情が晴れるどころか、カンナの眉はますます下がってしまった。
聡い彼女は、私が何かを悩んでいる事なんてお見通しだと思う。
だからこそ閉じこもっている私を見かねて、一生懸命気分転換を勧めてくれているのだろうけれど。
「……」
私、随分カンナに甘えてしまっていますね。
毎度心配かけて、本当、どうしようもない主人です。
でも甘えついでに、相談しても許されるでしょうか。
私がこの国の人間ではない事……サラサ・トウマではなく、相馬沙羅という異世界人である事を知っているのは、ここではカンナだけ。
すなわち、今回の件を相談出来るのは、カンナ一人だけなのだから。
「カンナ」
「はい」
「相談したい事があるのだけれど、いいかしら?」
私がそう切り出すとカンナは、つぶらな栗色の瞳を瞠った。
大きな目が、ぱちりと瞬く。
戸惑いは一瞬で消え、綺麗な笑顔を浮かべたカンナは頷いた。
「私でよければ、喜んで」
快諾してくれたカンナに、私は安堵の息を吐き出す。
そして引出にしまっておいた、日本語の書かれた布を取り出そうとした。
だが、その時。
扉の外で、誰かの声がした。
「……イオリ?」
「……どなたとお話ししているんでしょう」
過保護な護衛武官の声だと判断したのは私だけではないようで、カンナも不思議そうに首を傾げた。
見て参ります、と告げてカンナが扉を開ける。
角度的に、誰が来ているのかは見えない。
「ユウキ様、どうなさいましたか」
「クダン殿」
遠く会話が聞こえる。
良く知った二人の声に混ざって、知らない声が聞こえた。
「トウマ様に、お会いしたいの」
高く可愛らしい声は、記憶のどこにも引っ掛からない。
ついつい好奇心が刺激され、私は扉へと近づいた。
長身なイオリの影に隠れ、良く見えない。少し身を乗り出して、ようやく姿が見えた。
綺麗に巻かれた髪は、明るい金茶色。小作りな顔の中で、アンバランスは程大きなアーモンドアイズは、綺麗なアンバー色だ。
背丈や声から、年頃はさほど変わらないだろうと思うが、ほぼすっぴんの私と違い、綺麗に化粧をしている為、随分大人びて見える。
その少女に、私は見覚えがあった。
「……チヨリ、様?」
「!」
大きな目が、私を捉える。
唖然とした私目がけて、彼女は手を伸ばしてきた。
「トウマ様っ!」
「!」
咄嗟に、イオリが割り込む。
背に庇われ、私はほっと息を吐き出した。流石にあの勢いは、ちょっと怖い。
「貴方……いくら護衛武官とはいえ、無礼でしょう!」
「申し訳ございません。ですが私の任務は、サラサ・トウマ様をお守りする事。どんなに高貴な御方が相手であっても、退く訳には参りませんので」
言葉では謝っていても、イオリの声はひやりと冷たい。
おそらく表情も、同様なのだろう。チヨリ様は心外だと言わんばかりに、声を荒げた。
「私が、トウマ様を害そうとしていると言うの!?」
「そうではありませんが……」
雲行きが怪しい。
不穏な空気を感じた私は、イオリの腕を掴だ。
「イオリ。大丈夫よ」
「しかし……」
「申し訳ありませんでした。チヨリ様」
渋るイオリの言葉を遮って、私はチヨリ様の前に出る。
頭を下げると、戸惑ったように眉を寄せたチヨリ様を、私は改めて自室へと招いた。