側室(仮)の惑い。(2)
どうしよう。上手く頭が回りません。
忙しなく動いているのに、全てが空回りとなって、まともな思考には何一つ繋がらなかった。
「顔色が悪いわ……大丈夫?」
真っ青な顔で動きを止めた私に、女の子の母親は気遣わしげに声を掛ける。
伸ばされた白い手と、優しそうな顔が、自分の母親に一瞬ダブって見えて、余計に私は混乱した。
「だ、大丈夫です」
無理矢理笑ってみたけれど、かなり引き攣ってしまった自覚がある。安心させるどころか、更に表情を曇らせてしまった。
「無理は良くないわ。家が近いから、少し休んでいって下さいな」
「いえ……あの、本当に大丈夫なんです」
「おねえちゃん、いたいの?」
母親と私を交互に見比べていた女の子は、どうやら私の具合が悪いらしいと幼いながらも理解したようで、眉をハの字に下げてこちらを見上げた。
小さな手が、私の額へと懸命に伸ばされる。
「いたい? おねつあるの?」
「……ううん、平気よ。ほら」
屈んで前髪を手で上げる。額を差し出すと、ぴと、と柔らかな感触が触れた。
間近にある潤んだ瞳に映る私は、今度は引き攣る事なく笑えていた。
「心配してくれて、ありがとう」
よかった、と無邪気に笑ってくれる女の子のお蔭で、少し落ち着く事が出来ました。
「本当に休まなくて、大丈夫?」
「はい。お気遣いありがとうございます。……あの、ご迷惑ついでにお聞きしたい事があるのですが、よろしいですか?」
「ええ、どうぞ。何かしら?」
気遣ってくれる女性にお礼を述べ、それから気になっている事を切り出す。
女性は快諾してくれた。
「この布は、どうなさったんですか?」
言いながら、女の子から借りた布を差し出す。
何の変哲もない布に拘る私に、女性は不思議そうに首を傾げながらも、答えてくれた。
「それは、行商人から貰ったの」
「貰った?」
女性の説明によると、何点か商品を買った時に、おまけとしてくれたと言う。
娘がしきりに『きれいね』と繰り返していたから、ねだった形に近いかもしれないわ、と女性は苦笑した。
「不思議な柄の布を、多く取り扱っていたわ。これもそうだけれど、何の模様なのかしらね」
不思議な柄の布。行商。
その言葉を呟いてみると、何か引っ掛かるものがある。
「……!」
そういえばさっき、擦れ違った。大きな荷を背負った行商人と。
首都に行商人がいたって珍しくも何ともないかもしれないけれど、それだけじゃない。
私はさっき、大きな手掛かりを見過ごしていた。気のせいだと、勝手に片付けていた。
荷物を包んだ布に、描かれた模様。
いびつで不格好だったから、たまたまそう見えてしまっていただけだと結論付けていたけれど、今思えばあれは、確かにアルファベットだった。
単語としては認識出来なかったけれど、Dとeが見えた気がする。
「っ、」
ドクン、と鼓動が大きく跳ねる。
すれ違ったのは結構前だけれど……もしかしたら、まだ間に合うかもしれない。
寧ろ今を逃したら、一生巡り合えないかも。
焦燥が募り、居ても立ってもいられない。思わず立ち上がり、振り返る。
駆け出そうとした瞬間、腕を掴まれた。
「サラサ!? 何処へ行く気だ?」
「あ……」
引き戻されて我に返る。
腕の中から見上げれば、陛下は困惑した表情で私を見ていた。
「一体、どうした」
「……え、と……探している、人が」
言葉を探すが、どう説明すればいいか分からない。
全部を話してしまう訳にもいかないし、かと言って、何でもないでは納得してもらえないでしょう。
詰まりながらも答えると、陛下は軽く目を瞠った。
「探している人? お前の知り合いか?」
「知り合いではないのですが……教えて欲しい事があるんです」
「……良く分からないが、この混みようでは、探すのは難しいだろう」
陛下の言葉通り、混み合った中で、たった一人を探すというのは、とても難しい。
尚且つ、擦れ違ってから随分と時間が経過してしまっている。大通りから外れているかもしれないし、建物の中に入ってしまった可能性だってある。
探すのは、とても困難だ。
それに私はもう、城へ戻らなければならない。
分かっているのに、諦めきれない。手掛かりを手放す事が、とても怖かった。
「……」
「おねえちゃん?」
くい、と服の裾を引かれた。
振り返ると女の子の大きな目が、私を見上げている。
無意識のうちに握りしめかけていた手を慌てて開き、屈んで少女に差し出した。
「貴方のものなのに、長く借りちゃってごめんね」
ありがとう、と布を差し出すと、何故か女の子は、すぐには受け取ろうとしない。
私を数秒眺めてから、にっこりと可愛らしい顔で笑った。
「おねえちゃんに、あげる」
「えっ?」
「あげるね」
驚きに目を丸くする私に、にこにこと笑う。
苦笑を浮かべた母親は、女の子の頭を優しく撫でた。
「どうぞ、でしょう?」
「どーぞ!」
「で、でも……」
「いいのよ。貰いもので申し訳ありませんが、この子が飛び出したお詫びに貰ってやって下さい」
丁寧に頭を下げられ、私は慌ててかぶりを振る。
どうしよう。何もしていないのに、貰ってもいいものなんでしょうか。
しかも小さな女の子のものを、取ってしまうようで、心苦しい。
「有難く、貰っておけ」
突き出したままの私の手に、陛下の手が重なる。
そっと握り込ませた彼は、私の目を見て、子供に言い聞かせるように告げた。
「……」
顔を上げると、女の子もお母さんも、とても優しい顔で笑っている。
私は少し躊躇った後、深々と頭を下げた。
私がその日手にしたものは、何の変哲もない小さな布。
けれどそれは、私の人生を変える大きな手掛かりとなるのかもしれないと、そう思った。