側室(仮)の混乱。
夕暮れになり、オレンジ色に染め上げられた街を、ゆっくりと馬が進む。
東側の空は既に藍色に染まり、夜の気配がする。当初予定していた到着時間を、過ぎてしまいそうだ。
私の体調を慮って下さった陛下は、大丈夫だと何度言っても、馬の速度を上げようとはしなかったから。
カポカポと一定リズムで鳴る蹄の音を聞きながら私は、綺麗なグラデーションを描く空を見上げていた。
夕飯の時間が近いのか、家々からは煮炊きの煙が立ち上り、良い香りがする。
商売を終え家路に付く人達や、買い物帰りの親子連れで、朝程ではないものの、大通りは混み合っていた。
「……?」
行き交う人々をぼんやりと見ていた私は、目の端に映ったものを追って、振り返る。
小柄な体で大きな荷物を背負ったその人は、もう大分遠くなって、人ごみに消えて行った。
行商人だと思われるが、見覚えのある人だった訳じゃない。
そもそも馬上からでは、顔なんて見えなかったし。年齢どころか、男性か女性かすら分からなかった。
気になったのは人物ではなく、荷の方。
商品を包んでいた布だ。
通り過ぎる一瞬だったので、良く見えなかったけれど、不思議な……見覚えのある模様だった気がして。
「サラサ?」
ずっと後ろを見つめている私を、陛下が呼ぶ。
どうかしたか、と問うような目に、かぶりを振った。
きっと気のせいだと、自分に言い聞かせて、前を向く。
「遅くなってしまいましたね」
「ああ。セツナが仁王立ちで待っていそうだな」
陛下は短く息を吐き出した。
説教が長そうだ、と独り言めいた呟きに、思わず同意する。
ただし私に待っているのは、イノリ大将様の説教ではなく、心配性な護衛武官の説教ですが。
「アイツの説教は、長い上にくどい。少しでも余所見をしようものなら、その分の説教も上乗せされ、中々終わらない」
苦い顔で言う陛下に、私は苦笑を返した。
どうやら大将様とイオリの説教は似ているらしい。
彼女に怒られている時も、目を泳がせる度に、聞いておられますかと詰め寄られる。
「心配をおかけしてしまいましたし、素直に怒られましょう?」
「……そうだな」
陛下は目元を少し緩め、笑みを浮かべる。
「また、一緒に出掛けよう」
柔らかな声に、すぐに返事は出来なかった。
外の世界を見て、この国の事をもっと知りたいと思う。
でもその前に、私には解決すべき問題が沢山あるから。
難問ばかりで、向き合う事を考えるだけで、足が竦むけれど。
目を背けても、何も変わらない。自分自身の事は、自分で決めるしかない。
私は悩んで、貴方に答えを返さなきゃ。
「……アカ、」
「!……っと、」
アカツキ様、と呼びかけようとすると同時に、手綱が引かれた。
馬が急停止して、体がガクンと揺れる。傾いた私を、咄嗟に陛下が抱き留めてくれた。
「す、すみません!」
謝罪の声は、私のものではない。
見れば馬の前に、子供を抱き込んだ女性がいた。
「いや。こちらこそ、すまない」
どうやら馬の前に、子供が飛び出してきたようだ。
必死に頭を下げる母親の腕の中で、幼い少女は、キョトンと目を丸くしている。
陛下は馬から下り、親子に、怪我がないかと問う。
馬上に残されてしまった私は、自力でおりる事も出来ないので、見守る事しか出来ない。
女の子は泣く事もなく、痛がる様子もない。不思議そうに、陛下を見上げている。
お母さんの方にも怪我はないみたいなので、一先ず安心だ。
うろうろと視線を彷徨わせていた女の子は、やがて私の存在に気付き、零れ落ちそうな目で私を見た。
首を傾げる可愛い仕草に、笑顔を返す。
ひらひらと手を振ると、目に見えて表情が輝いた。
笑顔で女の子は、私に手を振る。
それだけでは足りなかったのか、小さな手に握っていたハンカチみたいな布を、大きく振った。
可愛いなぁ。
お母さんに窘められても、女の子は止めなかった。
とても和む光景に、表情を緩めいた私は、次の瞬間凍り付く。
「……っ!?」
顔を強張らせ、固まる私に、女の子も動きを止めた。
振っていた布も、だらりと垂れ下がる。
それを凝視したまま、私は息を呑んだ。
女の子の手に握られた布……そこに書かれている文字は、私の良く知る文字。
この世界にある筈の無い文字に、見えた。
.