側室(仮)の外出。(7)
悩んで足を止めたところで、問題は何も解決しない。
簡単に答えが出る筈も無いと、分かっていた。
「サラサ」
陛下は困った顔をしている。どうしたものかと考えあぐねるかの様に、視線が彷徨っていた。
形の良い唇が数度、言葉を発しようと動くが、諦めて飲み込む。
慰めの言葉の代わりに大きな手が、繋いだ私の手の甲を撫でる。少し不器用なその仕草が、私の胸を締め付けた。
「…………」
俯く私の視界を、小さな影が横切る。
よろよろとした覚束ない足取りの影の正体は、とても痩せた白猫だった。
大通りを行き交う人達の間をどうにか擦り抜けた猫は、細い路地に向かって、ニャオと、か細く鳴く。
「……!」
細い手が、猫に伸びた。
抱き上げたのは、猫と同じ位痩せ細った女の子。
幼い顔や小さな手足には、子供特有の柔らかさは全く無い。身に纏う薄い布は、ほつれ汚れている。
大通りの賑やかさに気圧されたのか、少女は顔を伏せ、逃げる様に路地へ消えて行った。
「……向こうで、西国の織物を扱っている店がある。寄ってみないか?」
呆然と立ち竦む私に、陛下はそう声を掛けた。
やんわりとした力で、私の手を引く。
陛下の位置から、さっきの少女は見えなかったと思います。
けれど、怖いならば見なくてもいいと、優しい手で目を塞がれた気がした。
「…………」
私はまだ、何の覚悟も出来ていない。
陛下の隣に立つ勇気も、重さに耐えられる自信も、受け止められるだけの度量も、私は持たない。
それならば、この優しい手に従えばいい。
笑顔を浮かべて、歩き出せ。楽しみですって、陛下の言葉に乗ればいい。
そう、思うのに。
「……あかつき、さま」
「!」
見上げた陛下の瞳が、瞠られる。そこに映った私は、とても酷い顔をしていた。
「この国は、平和ですか」
止めて、と別の私が叫ぶ。
それでもこぼれ落ちた言葉はもう、無かった事には出来ない。
陛下とデートだって浮かれながらも、ずっと心の片隅に不安がありました。
脳裏を過るのは、真紅の髪に、鋭い眼差しの少女。高圧的に振る舞いながらも、臆病で寂しがり屋な人。
側室の地位を解かれたルリカ様が、何処でどう暮らしているのか、私には知るすべも無かったけれど、世界が彼女にとって、少しでも優しいものであればと願った。
だから街を見て、嬉しかったのです。
活気のある街は、人々の笑顔で溢れていた。私の予想した陰りなんて、欠片も無い。
……そう、思い込もうとしていた。
「わたしは、……私は」
私は、目を背けていただけ。
ルリカ様の身に降りかかる現実から。陛下が背負う、重すぎる現実から。
「貴方の隣を、歩く資格がありますか……?」
絞り出した声は、震えていた。
「…………」
陛下のお顔が、苦痛を堪える様に歪む。返事は無い。
それこそが、飾りも誤魔化しも無い、事実だった。
護られ、綺麗な道だけを歩く私に、そんな資格がある筈もありません。
そんな人間がこの方の……この大国を統べる皇帝陛下の重荷を、共に背負うなんて不可能です。
陛下と繋いでいた私の手から、力が抜ける。
するりと滑り落ちそうになった手は、けれど陛下に繋ぎなおされた。逃げる事など許さないと、示す様な強い力で。
「……サラサ」
顔を上げると、真っ直ぐに向けられた漆黒の瞳とかち合う。
陛下は、怖いくらい真剣だった。
「オレもだ」
「……え?」
言葉の意味が分からずに、私は戸惑った。
陛下は、私が問う前に更に言葉を続ける。
「オレも、お前の隣を歩く資格が無かった」
予想外の言葉に、驚きを隠せない。目を際限まで見開く私を見つめながら、陛下は私の正面に立つ。
「お前に逃げられてしまわない様に、目を塞ごうとした」
懺悔をする人の様に悲壮な顔で、陛下は言った。
「アカツキ様……」
「……来てくれ。サラサ」
陛下はもう一度、私の手を引いた。
決して強制するような力ではない。拒めば逃げられる程度の力加減は、言い訳など許さない。
ここから先は、自分の意志で進まなくては。
「この国を、見せたい」
陛下の言葉に頷き、私は一歩踏み出した。
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