相棒
料理が一段落した頃、ハモンドが咳払いをした。
「……ウェイトリーさん」
「ん?」
「単刀直入に申し上げます」
少しだけ声の調子が変わった。
「ハモンド商会の護衛を、お願いできませんか?」
来たか、と俺は思った。
「……条件は?」
「日当は金貨三枚。加えて今回の件の謝礼は別途お支払いします」
ラオスの手がわずかに止まった。
フォーゲンはいないが、同席していれば眉をひそめていただろう。
なるほど、おそらく相場以上の額か……。
「どうでしょう?」
俺はゆっくりとグラスを揺らした。
「悪くない話だ」と、一口飲む。
「だが、やめておくよ」
ハモンドの目がわずかに細くなった。
「理由をお聞きしても?」
「旅をしようと思ってる」
それだけ答えた。
余計なことは言わないに限る。
ハモンドはすぐに表情を戻した。
「……なるほど」と、小さく頷き、
「でしたら、せめてお役に立てることを」と、ハモンドが身を乗り出した。
「港側の通りに『ロウレライ』という道具屋があります。質も良く、値段も良心的です。馬を買うなら市場の西側の牧場へ。見極めが難しいので、ボルックという男にハモンドの紹介だと声をかけてみてください」
次々と情報が出てくる。素直にありがたいと思った。
正直、ここまでしてくれるとは思っていなかったな。
「ありがとう、参考になったよ」
「いえいえ。ご縁があれば、また」
ハモンドは商人らしく、嫌みのない笑みを浮かべた。
* * *
ハモンドに紹介してもらった宿に入ったのは、夜も更けた頃だった。
簡素な部屋だが、清潔で、ベッドがある。
冷たい石の上に寝ていた俺には、それで十分だった。
ハモンドからの謝礼は金貨5枚。
それだけ高価な荷が助かったということなんだろう。
これは当面の生活費として、遠慮なくいただいておいた。
道具屋で買ったばかりの手帳を机に広げる。
革張りの、安物だが手触りが気に入った。
ミノスという牛型の魔獣の皮らしい。
一緒に買った魔法ペンを手に取る。
これは高かった。金貨2枚だ。
魔力を流すと書くことができる。しかも、書いたものは俺にしか見えない。
この性能を考えれば安いものだろう。
少しだけ迷ってから、筆を走らせた。
――リスボルンに着いた。魚がうまい。
それだけ書いて、手が止まる。
我ながら子供みたいだな。
「ふっ……まあ、いいか」
手帳を閉じようとして、もう一行付け足した。
――ワインも悪くない。当たり年だそうだ。
書いてから、少しだけ考えた。
あの地下牢で、これがあればどうだっただろう……。
何日目かもわからない薄闇の中で、同じ天井ばかり見上げていた。
あのとき、こうして何かを書き留めていれば、少しは違ったのかもしれない。
「……いや」と、首を振る。
今さらだな。
ページを指でなぞった。
書けば残る。
残せば、後で読み返せる。
たったそれだけのことだが、俺にはとても贅沢に思えた。
手帳を閉じて、ベッドに倒れ込む。
明日は、馬を見に行くか。
それから……どこへ行くか決めよう。
柔らかいベッドの感触に思わず声が漏れた。
俺はあっという間に眠りに落ちていた。
* * *
港側の通りを抜け、西の市場へ出ると、空気が少し変わった。
魚の匂いが薄れ、代わりに干し草と獣の体温の匂いが混ざってくる。
柵に囲われた一角で、何頭もの馬が繋がれていた。
毛並みのいいもの、気性の荒そうなもの、どれもよく手入れされている。
「馬かい?」
声をかけてきたのは、日に焼けた男だった。
腕が太く、無駄な動きがない。目つきは鋭いが商売人のそれだ。
「ああ。旅用に一頭ね。ボルックさんはいるかな? ハモンドさんに紹介されてきたんだ」
「ハモンドが……あいつもたまには役に立つな」
そう言って、男が笑う。
「もしかして、ボルックさん?」
「ああ、そうだ。旅用の馬か、案内しよう」
「ありがとう」
ボルックは数頭を順に見せてくれた。
足運び、歯、背の張り。ひとつひとつ説明がつく。
だが、どれも普通だった。
「うーん……」
今一つ決め手に欠ける。
これから長い時間を過ごす相棒になる馬だ。妥協はしたくない。
ふと、少し離れた場所にいる一頭が目に入った。
他の馬から距離を取るように繋がれている。
黒に近い栗毛で、筋肉は締まり無駄がない。
だが、一頭だけ目つきが違う。人間を値踏みするような鋭さがあった。
「あの馬は?」
俺が顎で示すと、ボルックは一瞬だけ顔をしかめた。
「ありゃぁ……やめときな」
「なにか病気でも?」
「いや、身体は健康そのものなんだがな、なんせ気性が荒くて……誰も乗せようとしねぇんだ」
ボルックは肩をすくめる。
「だから離してあるのか」
「ああ、かわいそうだが、怪我人も出てるからな……」
なるほど……。
俺はゆっくりと近づいた。
馬は耳を伏せ、低く息を鳴らす。
明確な威嚇だった。
「チスパ、って呼んでる」と、後ろからボルックの声。
「火花みたいに速く走るんだ」
「良い名前だな」
柵の前で足を止め、チスパと視線を合わせた。
睨み返してくる目に、怯えではなく意地がある。
一歩、また一歩と近づき、鼻息が顔にかかるほどの距離まで来ても、チスパは逃げなかった。
「……」
しばらく、そのまま見つめ合う。
こいつは試している。こっちが引くかどうか。
俺は少しだけ魔力を解放した。
『ヒィイイインッ⁉』
チスパが俺の魔力を感じ取ったのだろう。
怯えたように嘶く。
「安心しろ」俺は小さく呟いた。
「無理に従わせる気はない」
ゆっくりと手を伸ばす。
普通の馬ならここで逃げるか、噛みついてくる。
だが、チスパは俺をじっと見たまま動かなかった。
鼻先に触れるとほんのり温かい。
ゆっくりと撫でてやると、わずかに緊張が解けた。
「……ほぅ」
後ろでボルックが低く声を漏らした。
「乗ってみるよ」
「お、おい! やめておいた方が――」
「平気さ」
鞍もつけず、そのまま背に手をかけ、一気に跳び乗った。
――瞬間、チスパが跳ねた。
前足を浮かせ体を捻り、あらゆる方向へ激しく動く。
手綱もない。
体重だけでバランスを取りながら、俺は思わず笑みを浮かべていた。
何度跳ねても俺は落ちない。やがて、動きが止まった。
荒い息。だが、さっきまでの敵意はない。
ゆっくりと首を撫でる。
「どーぅどーぅ、ははっ、気に入った」
チスパが小さく鼻を鳴らした。
「おいおい……ホントに乗っちまったよ」
ボルックが呆れたように言う。
「いくらだ?」
と、訊ねると、ボルックは少し考え込む。
「……あんたなら、金貨一枚でいい」
「ずいぶん安いな?」
「誰も扱えないんだ、餌代の方がかかる」
納得だ。
「名前は変えてもいいが、どうする?」
俺はもう一度、首筋を撫でた。
チスパはじっとしている。
「そのままでいい」
軽く笑うと、ボルックはふっと表情を緩めた。
「いい主人に当たったな、チスパ」
ボルックに金を払い、鞍をつけてもらった。
真新しい手綱を受け取り、軽く引く。
チスパは素直に一歩、前に出た。さっきまでの警戒はない。
「……賢いな」と小さく呟いた。
本能でわかっているのだろう、誰に従うべきかを。
背に乗り直し、軽く踵を当てると、チスパは静かに歩き出した。
いいねぇ、悪くない。
こういうのがいいんだよ。
「よろしくな、相棒」
チスパの首を叩くと、短く鼻が鳴った。




