第8話 黒い翼
傭兵ギルドは大通りから少し入った場所にあった。
石造りの建物だった。入口の上に剣と盾を交差させた看板が出ていた。扉は分厚い木製で、開けると油の匂いと煙草の煙が混ざった空気が出てきた。
中は広かった。テーブルがいくつも並んでいて、昼前にもかかわらず人が座っていた。奥に長いカウンターがある。壁に紙が貼られていた。依頼の掲示板だろう。
人々の視線がこちらに向いた。
グリムを見て、レンを見て、ナナを見た。ナナのところで視線が止まった。数人が顔を見合わせた。
無視して歩いた。
カウンターに近づいた。受付に女が座っていた。30がらみで、赤い髪を後ろで束ねていた。書類を確認していたが、顔を上げてこちらを見た。
ナナを見て、一瞬だけ表情が止まった。すぐに戻った。
「登録希望か?」
「はい」
「3人とも?」
「はい」
女は書類を取り出した。
「名前と種族を」
「ナナ。魔族です」
「レンだ。人族」
「グリムだ。人族」
女が書いた。それからナナを見た。
「年齢は?」
「10です」
女の手が止まった。
「10歳」
「はい」
女は少し黙った。それからグリムを見た。
「保護者か?」
「一緒に行動している」
「……ギルドの規定では、14歳未満の単独登録は認めていない」
ナナは一歩前に出た。
「単独ではありません。3人での登録です」
「子供が依頼をこなせるとは思えないが」
「判断するのはギルドではなく依頼主ではないですか?」
女が少し目を細めた。反論ではなく、確かめるような目だった。
「……戦えるのか?」
「試してもらえますか?」
しばらく沈黙があった。
女が立ち上がった。
「ついてこい」
ギルドの裏手に出た。
広い空き地だった。的が立っていた。木製の的で、中心に丸が描いてある。距離は20歩ほど。
他に数人の男がいた。ギルドの職員だろう。腕を組んで立っていた。子供が来たことを面白がっているのか、ニヤニヤしていた者もいた。
女が的を指した。
「あれを狙え。3回やってみろ」
(距離は20歩。昨日の戦闘より近い)
手のひらに炎を集めた。
小さく絞った。できる限り密度を上げて、できる限り小さくした。大きくするのは簡単だ。小さく、狙い通りに当てる方が難しい。
放った。
炎が的に当たった。中心からわずかに外れた。
(2センチほどずれた。風がある。左から右へ)
2発目。風を計算に入れた。
中心に当たった。
3発目。同じ場所に当てた。
振り返った。
職員たちの顔が変わっていた。ニヤニヤしていた者が、口を閉じていた。
女が的に歩いていった。3発の痕跡を確認した。戻ってきた。
「風魔法も使えるか?」
「はい」
「やってみろ」
今度は風を使った。的に向けて、狭く絞った風を送った。的が揺れた。ぴたりと止めた。
「土は?」
地面に向けた。足元の土が盛り上がった。小さな山が3つ、等間隔に並んだ。
女は少し黙った。
「全部で何属性使える?」
「今のところ確認できているのは4つです」
「4つ」
「火、水、風、土です」
女がグリムを見た。グリムは何も言わなかった。レンも黙っていた。
女がナナを見た。
「……登録を認める。ただし条件がある」
「聞きます」
「14歳になるまでの間、Cランク以上の依頼は受けられない。DとEとFのみだ。それと、何かあったときの保護者としてそこの男、グリムか……の名前を書類に入れる」
(Dランク以下の縛りか)
制約としては妥当だった。今の戦力でDランクの依頼を受ける気もなかった。
「分かりました」
「それと」
女が少し声を低くした。
「無茶はするな。子供が死ぬのを見たくない」
ナナは少し間を置いた。
「善処します」
女は短く息を吐いた。
カウンターに戻って、書類を書いた。
「団の中で役職はあるか」
「団長が私です。グリムが副団長です」
女がペンを走らせた。
女が登録証を3枚出した。薄い金属の板だった。名前とランクが刻まれていた。
ナナ Eランク 団長
レン Eランク
グリム Eランク 副団長
グリムが自分の登録証を見た。
「俺、以前Cランクだったんだが」
「再登録は新規扱いだ。実績を積めばすぐ上がる」
グリムは少し黙ってから、登録証をしまった。何も言わなかった。
(Cランクだったのか)
グリムの実力について、改めて認識を修正した。以前のパーティでBランク依頼を受けていた。本来はCランク相当の実力がある。
女がナナを見た。
「名前は決まっているのか? 団の」
「まだです」
「登録するなら今日中に決めろ。掲示板に名前が出る」
ナナは少し考えた。
黒い翼。
どこから出てきたのか、自分でも分からなかった。ただ、浮かんだ。
「黒い翼で」
女が書いた。
「黒い翼、か」
グリムが繰り返した。噛みしめるような言い方だった。
「悪くない」
レンは何も言わなかった。ただ、登録証を一度見て、しまった。
女が掲示板の方を見た。
「依頼を選ぶなら今日からできる。Eランクの依頼はあそこの左端に貼ってある」
「分かりました。ありがとうございます」
「ベラだ」
「え?」
「名前だ。また来たときに毎回『受付の人』と思われても困る」
ナナは少し間を置いた。
「分かりました。ベラさん」
ベラは短く頷いた。それだけだった。
掲示板の前に立った。
Eランクの依頼が5件貼ってあった。
薬草の採取。行方不明の荷物の捜索。害獣の駆除。老人の護衛。倉庫の警備。
1枚ずつ確認した。報酬、場所、期間、依頼主の名前。
(害獣の駆除が一番効率がいい)
報酬は銀貨5枚。期間は2日以内。場所はグレンフォードの南の農村。
グリムに見せた。
「これにします」
「害獣か。何が出てる?」
「大型の野犬が3頭だと書いてあります」
「俺とレンで十分だな。お前の魔法はいらないかもしれないが」
「念のため全員で行きます。次の依頼の前に、3人の連携を確認しておきたい」
グリムは少し目を細めた。
「……連携、か」
「はい。各自の動き方を把握しておかないと、いざというときに機能しません」
グリムはしばらく黙った。それから短く笑った。苦い笑いではなかった。
「分かった」
レンはすでに依頼書を見ていた。場所を確認しているのだろう。
ベラに依頼書を持っていった。
「これを受けます」
ベラが登録証を確認した。書類に何か書いた。
「明日の朝までに出発しろ。依頼主への報告を忘れるな」
「はい」
「黒い翼の初仕事だ」
ベラの声に特に感慨はなかった。ただ事務的に言った。
それで十分だった。
ギルドを出た。
通りに出ると、昼の光が眩しかった。
登録証を手の中で確認した。薄い金属の冷たさが、指に伝わってきた。
(黒い翼、か)
前魔王が言った。
『名前をつけたな』
(浮かんだ)
『我の翼は黒かった。魔王化したときの』
(知らなかった)
『お前が知るはずもない。ただ——悪くない名前だ』
それきり、前魔王は黙った。
グリムが隣を歩いていた。
「腹が減った」
「昼を食べてから戻りましょう。明日の準備もあります」
「何を準備する?」
「食料と水。農村までの道順の確認。野犬の習性の確認」
グリムは少し黙った。
「野犬の習性まで調べるのか」
「調べられるなら調べます」
「……お前と組むと、抜かりがないな」
「抜かりがあって死んでは困ります」
グリムはまた短く笑った。今度は苦くなかった。
レンが少し先を歩いていた。こちらを振り返らなかった。ただ、歩幅が昨日より少し広い気がした。
(気のせいかもしれない)
そう思いながら、ナナは歩いた。
黒い翼の、最初の日だった。




