第7話 グレンフォードへ
翌朝、村を出た。
村長が食料を持たせてくれた。黒パンと干し肉と、小さな革袋に入った銅貨がいくつか。昨夜の礼だと言った。断ろうとしたが、グリムが先に受け取った。
「ありがたく頂戴します」
ナナが何か言う前に話が終わっていた。
村を出てから、グリムに言った。
「断るつもりでした」
「なんで?」
「仕事としてやったわけではありません」
「向こうが礼をしたいんだ。受け取る方が相手の気持ちに応えることになる」
少し考えた。
「……そうですか」
「そうだ」
グリムはそれきり前を向いた。レンも何も言わなかった。
街道を歩きながら、銅貨の重さを手のひらで確かめた。
(これが、この世界での最初の収入か)
感慨があるわけではなかった。ただ、数えた。銅貨が14枚。昨夜、宿場の食堂で聞いた値段を思い出した。スープと黒パンで銅貨3枚だった。宿が銀貨3枚、つまり銅貨30枚。
(14枚では、宿に泊まれない)
食料はある。今夜は野宿になる。それで構わなかった。
グレンフォードまでの街道は、昨日より人通りが多かった。
荷馬車が何台も行き交っていた。行商人、農民、旅人。様々な格好の人間が同じ道を使っていた。すれ違うたびに、観察した。
武器を持った者が目についた。剣を腰に差した男。短槍を背負った女。荷馬車の御者が手元に棍棒を置いていた。
(この街道は、それなりに危険ということか)
あるいは、この世界全体がそういうものなのかもしれない。武器を持つことが、ここでは普通なのだろう。
すれ違った者たちがナナを見た。子供が1人で歩いている、と思っているのか、視線が止まることがあった。グリムが隣にいると、その視線はすぐに外れた。
(グリムがいることで、子供連れとして認識されている)
悪くない状況だった。子供1人より、大人が同行している方が声をかけられにくい。
前魔王が言った。
『お前、今、計算しているな』
(何を?)
『その男を使うことを』
(保護者として機能しているという分析だ)
『同じことだ』
少し間があった。
(……否定しない)
『正直なのは良いことだ。ただ、あの男はお前を本当に心配している。それも計算に入れておけ』
(分かってる)
(グリムが昨夜、傷ついた肩で走ってきた。膝をついたとき)
『……見ていたのか』
(見ていた)
前魔王はそれきり黙った。
昼前に、街道沿いの小さな集落に差し掛かった。井戸があって、露店が出ていた。
立ち止まって、露店を見た。野菜、果物、焼いた肉、革製品。値段を確認した。
リンゴが銅貨1枚。焼いた鶏の足が銅貨2枚。革の小袋が銀貨1枚。
(物価の基準が掴めてきた)
グリムが隣に立った。
「何か買うか?」
「値段を確認していました」
「腹は減っていないか?」
「大丈夫です」
グリムは少し黙ってから、焼いた鶏の足を3本買った。銅貨6枚を払って、1本をナナに、1本をレンに渡した。
「食いながら歩く」
「……ありがとうございます」
「礼はいい」
受け取った。温かかった。
歩きながら食べた。旨かった。昨日の黒パンより、ずっと旨かった。
レンが無言で食べていた。グリムも無言だった。
3人とも黙って歩いた。
午後になって、街道の様子が変わった。
行き交う人が増えた。荷馬車の数も増えた。道幅が広くなった。石畳が敷かれ始めた場所もあった。
前方に、城壁が見えた。
高さは10人分ほど。石造りで、所々に見張り台がある。城門には衛兵が立っていた。
(グレンフォード)
前魔王の知識から、この都市の輪郭が流れ込んできた。人口は数千人規模。傭兵ギルドと商業ギルドがある。街道の要所に位置しているため、物資の集散地になっている。
「初めて見る都市か?」
グリムが聞いた。
「はい」
「でかいだろう」
「そうですね」
「俺も最初に見たときは驚いた。もっと北の小さな村の出身だから」
グリムが自分のことを話すのは珍しかった。ナナは特に反応しなかった。グリムも続けなかった。
城門に近づいた。衛兵が通行人を確認していた。ほとんどの者はそのまま通っていた。
衛兵がこちらを見た。グリムを見て、ナナを見た。
「連れか?」
「ああ」
それだけだった。通れた。
城門を抜けると、音が変わった。
人の声、荷馬車の音、どこかで鍛冶の音がしていた。通りに露店が並んでいた。建物が密集していた。匂いが混ざっていた。食べ物と、動物と、人と。
立ち止まって、周囲を確認した。
通りの構造を把握した。大通りが東西に走っている。南北に細い路地が枝分かれしている。人の流れは東の方向に多い。市場がある方向だろう。
(まず宿を探す。次にギルドを確認する)
歩き出したとき、レンが少し足を止めた。
視線を追った。通りの一角に武器屋があった。入口に弓が何本か立てかけてあった。レンはすぐに歩き出した。何も言わなかった。
(見ていた)
ナナは武器屋の場所を記憶した。
「ギルドを知っていますか?」
グリムに聞いた。
「傭兵ギルドなら知っている。以前来たことがある」
「宿を先に取りましょう。そのあと、少し寄りたい場所があります」
「構わないが、どこだ?」
「武器屋です」
グリムが少し目を細めた。それ以上は聞かなかった。
宿に着いた。「銀の鹿亭」という看板だった。古い建物だが、手入れはされていた。
グリムが扉を開けた。カウンターに太った男が座っていた。
「部屋はあるか」
「ある。いくつ要る?」
グリムがナナを見た。
「2部屋でいいですか? 私とレンで1部屋、グリムさんで1部屋」
「構わないが、お前ら2人で大丈夫か?」
「はい」
「……分かった」
グリムが払った。銀貨6枚。ナナは金額を記憶した。
「後で返します」
「いい」
「返します」
グリムは少し間を置いてから、
「……分かった」
と言った。
荷物を部屋に置いてから、3人で武器屋に向かった。
店に入ると、剣、槍、短剣が並んでいた。壁に弓が数本かかっていた。革鎧や手甲も並んでいた。
レンが壁の弓を見ていた。手を伸ばしかけて、止めた。値段を確認したのだろう。そのまま視線を外した。
ナナは店主に聞いた。
「あの弓はいくらですか?」
店主が値段を言った。銀貨8枚だった。
手持ちの銅貨は14枚。銀貨には遠く及ばない。
ナナはグリムを見た。
「貸してもらえますか。後で必ず返します」
グリムは少し黙った。それからレンを見た。それからナナを見た。
「……お前が使うのか?」
「レンに」
グリムはまた少し黙った。財布を出した。銀貨8枚を払った。
レンが弓を受け取った。何も言わなかった。ただ、一度だけ弦を引いてみた。静かな所作だった。手に馴染んでいるのが、見ていれば分かった。
矢も買った。20本で銀貨2枚。グリムが払った。
店を出てから、レンがナナを見た。
「なんで」
「戦力です」
レンは少し間を置いてから、前を向いた。
「……返す」
「仕事をしてから返してください」
レンは何も言わなかった。
歩き出したとき、グリムが足を止めた。
「待て」
ナナとレンが振り返った。グリムがナナを上から下まで見た。それからレンを見た。
「お前たち、その格好で依頼をこなすつもりか」
ナナは自分の格好を確認した。森で拾った古い布を巻いたような、継ぎ接ぎだらけの服だった。レンも似たようなものだった。
「問題ありますか?」
「ある。依頼主に会うとき、格好が仕事の信頼に関わる。それと、お前は魔法使いだろう。魔法使いらしい格好をした方がいい。依頼をとりやすくなる」
(なるほど。外見も情報だ)
「グリムの言う通りですね」
「近くに仕立て屋がある。行くぞ」
グリムが歩き出した。
仕立て屋は武器屋から2本隣の路地にあった。小さな店だったが、棚に様々な布と既製品が並んでいた。
グリムが店主に言った。
「この子に魔法使い向けのローブを見せてくれ。黒いやつ。それと、そっちの子に動きやすい服を一式」
店主が棚を確認しながら、いくつか出してきた。
ナナの前に置かれたのは、黒い生地のローブだった。裾と袖の縁に白い刺繍が入っていた。シンプルだが、布の質は悪くなかった。インナーは白い薄手のシャツ、靴は黒い革靴だった。
(動きやすいかどうかが問題だが——)
グリムが見た。
「どうだ?」
「問題ありません」
「気に入ったか?」
ナナは少し間を置いた。
「……はい」
正直に答えた。黒いローブは悪くなかった。
レンの前には、濃い茶色の上衣と動きやすいズボン、軽い革のブーツが置かれた。斥候や弓使いに向いた格好だった。余計な装飾がなく、身体の動きを妨げない設計だった。
レンが袖を通してみた。腕を回した。問題なさそうだった。
「これでいい」
それだけだった。
グリムが値段を確認した。店主と少し交渉した。
ナナのローブ一式が銀貨4枚。レンの服一式が銀貨2枚。合計銀貨6枚。
グリムが払った。
ナナは金額を記憶した。
「後で返します」
「……また言うのか」
「返します」
グリムが短く息を吐いた。それ以上は言わなかった。
店を出た。3人とも新しい格好だった。
レンが歩きながら、腕を軽く振った。動きを確かめているのだろう。何も言わなかった。
ナナはローブの袖を一度確認した。白い縁が、夕暮れの光を受けていた。
宿に戻った。
部屋に入った。レンが寝台に座って弓を確かめていた。弦の張りを確認して、弓の反りを見て、静かに膝に置いた。
ナナは窓から外を見た。通りが見えた。人が行き交っていた。
(傭兵ギルドに登録する必要がある)
金が要る。グリムの世話になり続けるわけにはいかない。宿代、弓、矢、服——合計銀貨22枚。返すだけでも、仕事をしなければならない。
前魔王に聞いた。
(この都市でできる仕事は何がある?)
『傭兵ギルドに依頼が出ている。護衛、討伐、調査。お前の魔法があれば、下位の依頼なら問題ないだろう』
(ギルドへの登録条件は?)
『我の時代とは変わっているかもしれんが、基本的に誰でも登録できたはずだ。年齢制限がある場合もある』
(10歳では弾かれる可能性がある)
『そうだな。そこは行ってみなければ分からん』
正直な答えだった。
(明日、確認する)
『ふむ。それと。今日のお前は、よく周囲を見ていた。物価、人の動き、建物の配置。それは良い習慣だ』
(当然だ)
『当然、か』
少し間があった。前魔王の声が、わずかに重くなった。
『力を手に入れると、見ることをやめる者が多い。お前は今、力に頼れない分、目が動いている。それを忘れるな』
(ああ)
前魔王はそれきり黙った。
窓の外で、夕暮れが始まっていた。通りの露店が片付けられていった。人の流れが変わった。昼の賑わいから、夜の静けさへ移っていく境目だった。
レンが口を開いた。
「明日、どうするつもりだ?」
「ギルドに行きます」
「俺も行く」
「はい」
それだけだった。
ナナは窓から離れた。寝台に座った。今日1日で得た情報を頭の中で整理した。物価の基準。都市の構造。ギルドの場所。宿の相場。レンの弓の腕前は、まだ確認していない。明日以降に分かる。
足りないものを確認した。金。仕事。ギルドへの登録。
(順番に解決する)
急ぐ必要はなかった。ただ、止まる理由もなかった。
燭台の火を消した。
暗くなった部屋で、目を閉じた。
グレンフォードに着いた。レンに弓を持たせた。それが今日の成果だった。




