第5話 仇の影
グレンフォードまでの街道は、思っていたより人通りがあった。
荷馬車が行き交い、行商人らしき男が追い抜いていった。村と村をつなぐ道として機能しているようだった。前魔王の記憶から流れ込んでくる地理の知識と、実際の景色が少しずつ一致していった。
グリムの足取りは昨日より安定していた。右肩をかばう動きはまだあるが、歩くぶんには問題なさそうだった。
昼過ぎに、小さな宿場町に差し掛かった。街道沿いに宿が1軒、食堂が1軒、雑貨屋が1軒。こじんまりした場所だった。
「少し休もう」
グリムが言った。肩のことを考えれば妥当な判断だった。
食堂に入った。木のテーブルが4つ。先客が2人いた。どちらも旅人らしい格好だった。
料理を頼んだ。スープと黒パンだった。味は普通だったが、温かかった。森を出てから初めてまともな食事だと思った。
食べながら、周囲の会話を聞いた。
隣のテーブルの男2人が、声をひそめて話していた。完全に聞き取れるわけではなかったが、断片が拾えた。
山の方で、また被害が出たらしい。
あの化け物だろう。もう3つ目の村だ。
冒険者が討伐に行ったが、全員帰ってこなかったと聞いた。
(化け物)
スープを置いた。
「すみません」
隣のテーブルの男に声をかけた。男が振り返った。子供が話しかけてきたことに少し驚いた顔をした。
「今の話、もう少し聞かせてもらえますか?山の化け物というのは?」
男は連れと顔を見合わせた。それからナナを見た。
「嬢ちゃん、怖い話だぞ?」
「構いません」
男は少し迷ってから、椅子を向けた。
話はこうだった。
この街道から北に入った山沿いの地域で、ここ半年ほど、集落への被害が続いている。家が壊される。家畜が消える。ひどいときは人が行方不明になる。
目撃した者の証言によれば、一つ目の巨人だという。身の丈は3人分ほど。一撃で木を薙倒し、地面を陥没させる。夜に動き、昼は山の奥に引っ込む。
冒険者ギルドが討伐依頼を出したが、Bランク複数人でも手が出なかった。討伐に向かった者のほとんどが戻らなかった。
「ギルドはもうBランク案件じゃ済まないと言っているが、Aランクの冒険者なんてこの辺りにはいない。だから誰も動かない」
男は肩をすくめた。
「山沿いの村はもう逃げ始めているところもある。街道から外れれば危ない。気をつけな」
「ありがとうございます」
食堂を出た。
グリムが無言だった。
歩きながら、横を見た。グリムの顔が変わっていた。食堂に入ったときとは別の顔だった。どこか遠くを見ているような、それでいて何かを噛みしめているような。
(心当たりがある顔だ)
しばらく黙って歩いた。レンも何も言わなかった。
少し行ったところで、グリムが口を開いた。
「その話、俺も知っている」
声が低かった。
「倒れていたのは、そいつにやられたからだ」
ナナは足を止めなかった。歩きながら聞いた。
「仲間がいたんだ。5人のパーティで、その化け物の討伐依頼を受けた。Bランク案件だった。俺たちには相応の依頼だと思っていた」
グリムは右肩に触れた。無意識の動作だった。
「結果は、見ての通りだ。俺だけ生きて帰ってきた。それも、逃げることしかできなかった」
レンが一度だけグリムを見た。それから前を向いた。
「仇を取りに行くつもりですか?」
ナナが聞いた。
「いつかは、と思っている。だが今の俺では話にならない」
「そうですね」
素直に言うと、グリムが少し苦い顔をした。
「慰めの一つも言えんのか?」
「事実を言いました。今の状態では無理です。治ってからの話です」
グリムは少し黙ってから、短く笑った。苦い笑いだった。
「違いない」
その夜、宿を取った。
部屋に入って、グリムとレンが眠ったあと、ナナは起きていた。
食堂の男から聞いた話を頭の中で整理した。
一つ目の巨人。サイクロプスと呼ばれる種の怪物だ——前魔王の知識がそう教えてくれた。身体能力は高い。視力は単眼ゆえに遠近感が弱い。聴覚と嗅覚で補っている。昼は動かず夜に行動する習性がある。
(弱点は、その視覚特性だ)
遠近感が弱いなら、距離を使った戦術が有効になる。単眼の死角は正面ではなく斜め、左右の端。そこから攻めれば、距離の把握が狂う。
荷物の中から、村でもらった紙の端切れを取り出した。炭の欠片で、聞いた情報を地図に落としていった。
街道の位置。山の方向。被害が出た村の大まかな位置。男が言っていた「山の奥に引っ込む」という習性から、昼の潜伏場所の候補。
地図を見ながら、考えた。
(今すぐ戦う話ではない。だが、知っておく必要がある)
グリムの仇だ。いつか向き合う日が来る。そのときに何も準備がなければ、同じ結果になる。
『珍しいな』
前魔王の声がした。
(何が?)
『今すぐ必要でもないことを考えている。お前は合理的な奴だと思っていたが』
(合理的に考えた結果だ。いずれ必要になる情報は今のうちに整理しておいた方がいい)
『ふむ。……それだけか?』
少し間があった。
(グリムの仲間が死んだ。それも関係している、かもしれない)
『かもしれない、か』
前魔王は笑ったのかもしれなかった。声に笑いはなかったが、どこかそういう気配があった。
『サイクロプスについては我も知っている。教えてやろうか?』
(聞かせてくれ)
『単眼ゆえに遠近感が弱い。それはお前も気づいていたな?加えて、奴らは音に敏感だ。大きな音で混乱する。それから、足が速くない。追いかけてくる前に距離を取れれば、時間を稼げる』
(足が遅いのか。それは使える)
『力は本物だ。直撃を受ければ人間など吹き飛ぶ。近づいてはいけない』
(分かった。ありがとう)
『……お前、我に礼を言うのか?』
(情報をもらったので)
前魔王はしばらく黙っていた。何か言いたそうな間があった。
『100年待っていたが、礼を言われたのは初めてだ』
(そうなのか?)
『そうなのだ』
それきり、声は消えた。
地図に情報を書き足した。単眼の死角。音への反応。移動速度の遅さ。
書き終えて、紙を折って荷物にしまった。
部屋が暗かった。窓から月が見えた。
(いつか、か)
グリムが眠っている。右肩をかばうように横向きになっていた。
仲間を全員失って、1人で生き残って、それでもいつかと思っている。
どんな気持ちだったのだろう。
答えは出なかった。出す必要もなかった。
ただ、地図はできた。
目を閉じた。




