第4話 村
村に着いたのは、夕暮れが終わりかけた頃だった。
柵の前に男が2人立っていた。農具を手に持っている。武器ではないが、構え方が警戒しているそれだった。ナナたちを見て、すぐに顔つきが変わった。
グリムを見て、次にナナを見て、それからレンを見た。
「怪我人か?」
年配の男が言った。グリムの右肩を見ていた。布で押さえているが、血が滲んでいる。
「はい。治療はしましたが、まだ完全ではありません。一晩、休ませてもらえますか?」
男はナナを見た。子供が答えたことに少し面食らった顔をした。
「お前たちは何者だ?」
「旅の者です。お金は払います」
グリムが腰の袋を出した。中身はわずかだったが、音を立てて見せた。男は少し考えてから、もう一人の男と目を合わせた。
「入れ。揉め事は起こすな」
「はい。ありがとうございます」
村は小さかった。家が十数軒。畑が広がって、井戸が1つ。中央に少し大きな建物があった。集会所か何かだろう。
案内された家は村の端にある空き家だった。古いが屋根はある。藁が積んであって、簡単な竈もあった。
グリムが壁に背をつけて座った。顔色がまだ悪い。
「無理をしないでください」
「分かってる。ただ、腹が減った」
レンが無言で立ち上がり、外に出た。しばらくして、野菜をいくつか抱えて戻ってきた。どこで調達したのかは聞かなかった。
竈に火を入れた。炎を出すのに、もう迷わなかった。
グリムがそれを黙って見ていた。
「魔法で火を起こせるのか?」
「はい」
「便利だな」
「そうですね」
それ以上は言わなかった。グリムも聞かなかった。
翌朝、外に出た。
グリムはまだ休ませておく必要があった。レンは水を汲みに行っていた。1人で村の中を歩いた。
村人たちはこちらを見た。警戒というより、珍しそうな目だった。旅人が泊まることは滅多にないのかもしれない。子供が1人で歩いているのも奇妙に映るのだろう。
気にせず歩いた。
村の端、畑に近い場所まで来たとき、足元に目が止まった。
地面に跡があった。
しゃがんで確認した。前足と後足の間隔。爪の形。深さ。それから——左前足のところだけ、わずかに浅い。
(猪だ。かなり大きい個体。左前足を怪我している)
顔を上げると、畑の端に柵が補強された跡があった。急ごしらえだ。壊された箇所を塞いだような形跡だった。
さらに視線を動かすと、家畜小屋の扉に爪痕があった。
(これが続いているなら、村は相当手を焼いている)
立ち上がったとき、後ろから声がかかった。
「何を見ている?」
振り返ると、年配の男が立っていた。昨夜の門番ではなかった。六十がらみで、日に焼けた顔をしていた。落ち着いた目をしていた。
「足跡です」
「足跡?」
「猪だと思います。左前足を怪我しています」
男は少し間を置いてから、ナナを見た。
「なぜ分かる?」
「足跡の深さが均一ではありません。左前足だけ浅い。体重をかけられないんだと思います」
男はしばらく黙っていた。それからゆっくりと、自分も足跡の前にしゃがんだ。じっと見た。立ち上がって、またナナを見た。
「わしはこの村の村長だ。お前、昨夜来た旅人だな?」
「はい。ナナといいます」
ここで初めて、他者に名乗った。自分で決めた名前を、声に出して人に告げた。
それだけのことだったが、少し、腹が据わる感覚があった。
「ナナ、か。いくつだ?」
「10です」
村長はまた少し黙った。
「その猪、この数週間程ずっと出てきて困っている。畑を荒らして、家畜小屋に入ろうとする。罠を仕掛けたが、かかったことがない」
「罠の位置が合っていないんだと思います」
「どういうことだ?」
「左前足を怪我しているなら、動きに癖が出ます。罠はその癖に合わせた場所に置かないと意味がありません」
村長はナナを見た。今度は値踏みではなく、確かめるような目だった。
「お前に、仕掛け直すことは出来るか?」
周囲を見回した。森の入り口までの距離。風向き。畑の配置。夜になれば獣はどこから来るか。
(できる)
「罠の材料を貸してもらえれば」
「……分かった」
グリムは休ませた。レンが材料運びを手伝った。
作業をしながら、レンが一度だけ口を開いた。
「足跡で、そこまで分かるのか?」
「訓練次第では分かります」
「どこで訓練した?」
少し間があった。
「色々と」
レンはそれ以上聞かなかった。
罠を3箇所に仕掛けた。
1箇所目は森の入り口から畑への最短ルートの中間。2箇所目はそこから少しずれた位置——左前足をかばう動きで自然に踏む場所。3箇所目は念のための保険だった。
夜になった。
村人たちは家に入った。ナナとレンだけが、物陰で待った。グリムも来ようとしたが止めた。
「傷が開きます」
「だが——」
「何かあれば呼びます。約束します」
グリムは少し黙ってから、頷いた。
しばらくして、森の方から音がした。
低い、重い音だった。枝を踏む音。葉が揺れる音。それから——罠が作動する音がした。
甲高い鳴き声が上がった。
立ち上がって、罠の方向へ歩いた。
かかっていた。大きな猪だった。左前足が予想通りの位置で止まっていた。罠から逃れようと暴れているが、仕掛けが外れない。
レンが後ろから来た。
「どうする?」
「村の猟師を呼んでください。仕留めるのは村の人の仕事です」
レンは少し目を細めてから、村の方へ走った。
翌朝、村長が改めて訪ねてきた。
猪は村の猟師が仕留めた。かなりの大きさで、肉は村全体で分けられることになったという。
「本当に助かった。礼を言う」
「お役に立てて良かったです」
「これは手間賃だ。それと食料も持っていけ。大した量ではないが」
「ありがとうございます」
村長はまたナナを見た。
「ナナ、と言ったな」
「はい」
「10歳で、あれだけのことができる子を、わしは他に知らん」
何を答えればいいか、少し考えた。
「できることを、やっただけです」
村長は何か言いかけて、やめた。代わりに短く笑った。本当に小さな笑いだった。
「グレンフォードまで行くんだったな?気をつけて行け」
「はい」
村を出た。
街道に出ると、グリムが口を開いた。
「お前、本当に10か?」
「はい」
「足跡で猪と分かって、怪我まで見抜いて、罠を3箇所に仕掛けた。どこで覚えた?」
「色々と」
グリムは少し黙った。
「レンにも同じことを聞かれたろ?」
「はい」
「で、同じ答えを返したわけだ?」
「はい」
グリムはそれ以上聞かなかった。ただ、歩きながら一度だけ、横目でこちらを見た。
(疑っているわけではない。ただ、気になっている)
その目を見て、そう思った。
前魔王は何も言わなかった。珍しく、静かだった。
街道を歩きながら、村を振り返った。
柵の向こうに、畑が見えた。誰かが出て作業をしていた。昨日まで子供が外に出られなかった村で、今日は普通の朝が始まっていた。
それだけのことだった。
それだけのことだったが、少し、胸に残った。
前を向いた。
グレンフォードまで、まだ距離がある。




