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第3話 傷だらけの傭兵

 男を見つけたのは、森を抜けかけた頃だった。


 木々の間から村の輪郭が見え始めていた。畑の匂いがした。人の気配がした。もう少しで森を出られると思っていた、その矢先だった。


 レンが先に気づいた。


 立ち止まって、左手の茂みを顎で示した。


 ナナも止まった。音を聞いた。呼吸だ。浅くて、速くて、乱れている。それから——微かに血の匂いがした。


(負傷者だ)


 茂みを掻き分けると、男が倒れていた。


 大きな男だった。仰向けで、片腕を地面に投げ出して、目を閉じていた。体格は良い。筋肉の量が多い。だが今は、その身体のあちこちが血に染まっていた。腹に深い傷。右肩が大きく裂けている。着ているものはもはや原形を留めていなかった。


 近づいて膝をついた。呼吸はある。脈もある。だが浅い。


(かなりやられている)


「死ぬのか?」


 レンが後ろから言った。


「今すぐには死なないと思います。でも、放置すれば……」


 傷を確認した。腹の傷は深いが、臓器には届いていないように見えた。右肩は筋肉が裂けているが骨は無事だろう。問題は出血量だった。地面が濡れていた。かなり長い時間ここに倒れていたはずだった。


(治せるか?)


 魔法で傷を塞げるかどうか、試したことがなかった。火と水しか使っていない。治癒が可能かどうかも分からない。


 前魔王に聞いた。


(治癒魔法はあるか?)


 少し間があった。


『ある。光属性だ』


(使えるか?)


『使えるが——お前、光属性はまだ試したことがなかろう』


(ない)


『失敗するかもしれんぞ』


(他に手段がない)


『……度胸だけはあるな』


 呆れたような声だった。それでも教える気はあるらしく、続きが来た。


『イメージしろ。傷が塞がっていく様子を。光は「回復」と相性がいい。押しつけるのではなく、促すように使え』


(促す、か)


 手のひらを男の腹の傷に近づけた。


 光を意識した。温かいもの。明るいもの。傷口が閉じていく様子を頭の中で描いた。押しつけない。ただ、そこに向けて——促す。


 手のひらが淡く光った。


 柔らかい光だった。炎のときとは全く違う感覚だった。熱くない。むしろ温かい。傷口に向けて意識を流すと、何かが応えるように動いた。


 男が呻いた。


 傷口が少しずつ塞がっていった。完全ではなかった。深い部分はまだ残っている。だが出血が止まった。表面の肉が寄り合わさっていくのが見えた。


 手を引いた。手のひらが震えていた。頭が重い。視界が一瞬ぶれた。


(消耗が大きい)


『治癒は特にそうだ。生命力に干渉するからな。今の量でそれだけ消耗したなら、まだ慣れていない証拠だ。無理をするな』


(分かった)


 右肩も同じようにした。今度は加減が分かった。消耗は先ほどより少なかった。


 終えると、深呼吸をした。頭の重さが少し和らいだ。


「治せたのか?」


 レンが言った。


「完全ではありません」


 レンはしゃがんで男の顔を覗き込んだ。


「大きいな」


「そうですね」


「何者だろう?」


 背中に大きな剣を差していた。鞘は傷んでいる。使い込まれた剣だ。装備全体が古いが手入れされている。一人で動いていたらしく、仲間の痕跡は周囲に見当たらなかった。


(傭兵か冒険者か。一人で何かと戦ってこうなった)


 男が目を開けた。


 薄茶色の目だった。焦点が定まるまで少し時間がかかった。それからナナを見て、レンを見て、また木々の枝を見た。


「……生きてるか?俺?」


「生きています」


 男はしばらく黙っていた。天井を見ていた。


「お前が治したのか?」


「はい」


「……子供が?」


「はい」


 また沈黙があった。


「魔法か?」


「そうです」


 男はゆっくりと上体を起こそうとした。無理だと判断して止めた。代わりに首だけ動かして、自分の腹の傷を確認した。塞がっているのを見て、目を細めた。


「グリムだ」


「ナナです。こちらはレンです」


 グリムはレンを一瞥して、また天井を見た。


「助かった。礼を言う」


「どうぞ横になっていてください。傷はまだ完全には治っていません」


「そうか」


 素直に従った。大人しい男だと思った。あれだけ大きな身体をしているのに、今は子供に言われた通りにしている。


 しばらく沈黙が続いた。虫の声が聞こえた。風が木々を揺らした。


 グリムが口を開いた。


「お前の魔法、何か変だぞ」


 ナナは手のひらを見た。


「変、というのは」


「うまく言えないが——普通の魔法使いが近くにいるときとは、感じが違う。何というか、慣れない感じがする」


 断言するわけでもなかった。ただ、正直に感じたことを言っているような口調だった。


(慣れた者にはやはり何かが伝わるか)


『当然だろう。ただ何がどう異常かまでは、まだ分かっておらんはずだ。違和感の段階だな』


(それは助かる)


「珍しい体質なんです」


 そう言うと、グリムは少し考えてから、


「そうか」


 とだけ言った。それ以上は聞かなかった。


(不思議な男だ。あれだけ気になっているはずなのに、それ以上追求しない)


『情に厚い顔をしているな』


(顔で判断するのか)


『100年生きれば、人の顔を見れば大体分かる』


(それは素直に聞いておく)


 前魔王は満足そうに黙った。



 グリムが動けるようになるまで、その場で待った。


 太陽が傾き始めた頃、グリムはなんとか立ち上がった。まだ右肩をかばう動きがあったが、歩けた。


「歩けそうですか?」


「ああ。足は無事だ」


「傷が開かないよう気をつけてください」


「分かった」


 3人で森を出た。


 村が見えてきた。小さな村だった。畑が広がって、柵があって、煙が上がっていた。夕暮れの光の中に、ごく普通の村の景色があった。


 歩きながら、手のひらをもう一度見た。


 光。炎。水。


 この身体にはまだ知らない力がある。どこまで使えるのか、どこまで制御できるのか、まだ分からない。


(急ぐな、と言っていたな?)


『言った。だが——お前は少し、飲み込みが早すぎる』


(問題か?)


『問題ではない。ただ、早く咲くものは早く散ることもある。気をつけろ』


 忠告なのか、脅しなのか、判断がつかなかった。


 どちらにせよ、今は村に着くことが先だった。


 隣でグリムが歩いていた。まだ少し足取りが重い。その後ろをレンが無言でついてきた。


 夕暮れの村に、3人の影が伸びていた。

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