第14話 調査
北の街道は人が少なかった。
グレンフォードを出て半日。街道は次第に細くなり、石畳が消えて土道になった。両側の木々が高くなった。山が近づいてきた。
グリムが前を歩いていた。
いつもより歩幅が広かった。ナナは気づいていたが、何も言わなかった。
レンが後ろを歩きながら言った。
「山が見えてきた」
ナナは前を見た。木々の向こうに稜線が見えた。雪はなかった。夏の終わりで、山肌に緑が残っていた。
(あの山の麓に、サイクロプスがいる)
依頼書には「山麓近辺に出没する怪物の生態調査」とだけ書いてあった。サイクロプスとは書いていなかった。だがグリムはすぐに分かったはずだ。
そしてナナも知っていた。あの夜、村で追い払った個体が、ここにいる。
グリムが足を止めた。
「ここから先は気をつけろ。音に敏感だ」
「サイクロプスの範囲ですか?」
「近い。村の人間から聞いた話では、この辺りから足跡が出始めるらしい」
地面を見た。街道の端に、大きな窪みがあった。足跡だった。人の足跡の3倍はある。
(やはり大きい。あの夜見たときと同じだ)
「レン、高い場所に上がれますか?全体を見渡したい」
レンが近くの木を見た。太い幹の木だった。しばらく見上げてから、幹に手をかけた。するすると登った。建物3階分ほどの高さで止まった。
「どう見える?」
「森が広い。山麓まで続いている。……北東に何かいる。大きい。動いている」
「距離は?」
「300歩以上。今はこちらを向いていない」
(300歩。十分な距離だ)
「グリム、北東に確認できました。今は向いていません。近づきますが、200歩以内には入らないようにします」
グリムが頷いた。表情が固かった。
慎重に進んだ。
レンが木から降りて先頭を歩いた。足音を殺すのが上手かった。ナナとグリムがその後ろについた。
木々が密になった。地面に苔が生えていた。湿っていた。足音が吸収された。
レンが手を上げた。止まれ、の合図だった。
3人が止まった。
前方の木々の間に、何かがいた。
大きかった。
立っていた。人の形をしていたが、人ではなかった。身長は3人分をくらい。肌が灰色で、岩のように見えた。頭に目が1つだった。
先日のサイクロプスだった。
後ろを向いていた。木の幹を手でつかんで、根元から引き抜こうとしていた。木がきしむ音がした。根が少しずつ浮いてきた。
(あの夜も、木を踏み倒していた。力は想像以上だ)
グリムがナナの隣に来た。声を出さなかった。ただ、前を見ていた。
ナナはグリムを見た。
グリムの手が、大剣の柄に触れていた。触れているだけで、抜いていなかった。指先が白かった。
(今すぐ戦いたい。そう思っている)
ナナはグリムの腕に軽く触れた。
グリムが振り返った。ナナが首を横に振った。
グリムの表情が動いた。怒りではなかった。何か別のものだった。
しばらくそのまま立っていた。
サイクロプスが木を引き抜いた。太い幹を肩に担いで、ゆっくりと歩き始めた。音に敏感だという話通り、耳が動いていた。だがこちらには気づいていなかった。
遠ざかっていった。
3人、しばらく動かなかった。
安全な距離まで戻ってから、観察した内容を記録した。
ナナが書いた。グリムが補足した。レンが地形を描いた。
「行動域は山麓から森の中まで広い。昼間でも動いていた」
「あの時、村で追い払ったときは夜だったから分からなかったが、昼も動くのか」
グリムが言った。感情を押し込んで、事実だけを話していた。
「サイクロプスは本来夜行性のはずです。昼間に動いているのは、この個体が特殊なのかもしれません」
グリムが少し目を細めた。
「……そうだ。俺たちが討伐依頼を受けたとき、昼に出てきた。それが想定外だった」
(昼に動く個体。それが仲間を全滅させた理由の一つか)
「足が遅かった。あの大きさの割に、動きが重い」
「そうですね。あの夜も同じでした。瞬発力はどうでしょう。走る場面は見られませんでした」
「木を引き抜く腕力がある。振り上げてから着地までが遅い。隙がある」
(グリムは戦闘を想定して見ていた)
ナナは記録を続けた。
2日目は別の角度から観察した。
サイクロプスは1頭だった。縄張りの範囲は広かった。同じ道筋を繰り返す傾向があった。習慣的な移動だった。
(あの夜と同じだ。足跡のルートを何度も使う)
夜は洞窟に戻った。洞窟の場所を特定した。入口は狭かった。大きな体が通るぎりぎりの幅だった。
(入口が狭い。中で動けない)
「洞窟の入口で待ち伏せれば、動きを制限できる」
グリムがナナを見た。
「今はまだ無理だと言っただろう」
「今は、ですね。情報として覚えておきます」
グリムは少し黙った。
「……そうだな」
3日目の朝、記録をまとめた。
行動域の地図。移動ルートの傾向。弱点の候補——遠近感の弱さ、音への依存、洞窟入口の狭さ、動きの重さ。
グリムが地図を見ていた。
「これで倒せるか?」
「今の3人では難しいです。ただ人数と準備があれば、可能だと思います」
「人数と準備」
「はい。入口で動きを止めて、遠距離から複数で攻撃する。音を制御して接近を気づかせない。それだけの手が必要です」
グリムが地図から目を上げた。
「……いつになる?」
「今すぐではありませんが、できないとは思っていません」
グリムは少し間を置いた。
「約束できるか?」
ナナは少し考えた。
「約束します。必ず、グリムが仇を取れる機会を作ります」
グリムが短く息を吐いた。
「……わかった」
レンが地図を眺めていた。
「帰るぞ」
グリムが立ち上がった。
3人でグレンフォードへ向かった。
帰り道、グリムが少し後れた。ナナが振り返ると、グリムが山を見ていた。
遠くなっていく稜線を見ていた。
ナナは待った。
グリムがまた歩き始めた。ナナの隣に来た。
「お前に聞いていいか?」
「はい」
「仲間を失った者が、その後どうなるか——お前は何か知っているか?」
ナナは少し間を置いた。
「いくつか知っています」
「聞かせてくれ」
「ほとんどは、その後1人で戦い続けて滅びました。ただ1人だけ——仲間を失った後、新しい仲間を作ることを選んだ者がいます」
「そいつはどうなった?」
「長く生きました。私が知っている記憶の中で、最も長く生き延びた者です」
グリムは少し黙った。
「そうか」
それだけ言った。
3人で歩いた。
街道が広くなった。石畳が戻ってきた。グレンフォードの城壁が見えてきた。
前魔王が言った。
『今の話、作ったか?』
(作っていない。記録に書いてあった)
『……そうだったか。細かいことは忘れていた』
(お前が書いたことだ)
『100年前のことだ。仕方ない』
ナナは少し口の端を動かした。
城門をくぐった。
グレンフォードの夕暮れが広がっていた。
調査依頼の完了報告をベラに済ませた翌日、グレンフォードに客が来た。
昼過ぎだった。ナナが宿の食堂で魔王概論の続きを読んでいると、グリムが入ってきた。
「表に客だ」
「誰ですか?」
「紅き牙のリーゼ」
ナナは本を閉じた。
宿の外に出た。
リーゼが通りに立っていた。1人だった。腰に剣を下げていた。旅装だった。グレンフォードまで歩いてきたのだろう。
ナナを見た。
「よう」
「どうぞ中へ」
「外でいい。長くならない」
リーゼが腕を組んだ。
「負けた。認める。お前たちの実力は本物だ」
「ありがとうございます」
「礼を言われることじゃない。事実を言っているだけだ」
リーゼが少し間を置いた。
「一緒に動かせてくれ。黒い翼に加わりたい」
ナナはリーゼを見た。
「条件を聞かせてください」
「条件?」
「あなたには紅き牙があります。14人の団長です。その立場を捨てて来るわけではないでしょう」
リーゼが少し目を細めた。
「……察しがいいな」
「当然の疑問です」
「紅き牙はダリオに任せる。私はお前たちと動く。だが紅き牙が危なくなったときは戻る。それが条件だ」
ナナは少し考えた。
「逆に提案があります」
「なんだ?」
「紅き牙ごと来てください」
リーゼが少し固まった。
「……全員か?」
「はい。14人全員で黒い翼に加わってほしいと思います」
「理由を聞いていいか?」
「あなただけ来ても、紅き牙のことが気になって判断が鈍る場面が出ます。それは困ります」
リーゼが少し目を細めた。
「私の心配をしているのか?それとも黒い翼の戦力が欲しいのか?」
「両方です」
リーゼはしばらくナナを見ていた。
「……14人を養える依頼が取れるのか?」
「今すぐは難しいです。でも増やしていきます。それに紅き牙には戦闘員以外もいると聞いています。補給・斥候・衛生——そういう役割は依頼の規模が上がれば上がるほど必要になります」
「オズのことも知っているのか?」
「名前だけは」
リーゼが短く息を吐いた。
「簡単に返事はできない。ダリオがいる。他の連中もいる。私1人で決めることじゃない」
「当然です。時間をかけて頂いて構いません」
「お前たちの拠点を見せてもらえるか。ダリオに話す前に、自分の目で確かめたい」
「今日これからでいいですか」
「ああ」
ナナはグリムを振り返った。グリムが頷いた。
グレンフォードを案内した。
ギルド、宿、市場、街の規模。リーゼは黙って見ていた。時折、何かを確認するように足を止めた。
リーゼが少し考えるような顔をした。
掲示板の依頼書を一緒に見た。リーゼが依頼書を1枚ずつ確認した。報酬、規模、危険度。手慣れた目つきだった。
「Eランクばかりだな」
「今はそうです。規定数まであと2件です」
「Dに上がれば依頼の幅が変わる」
「はい。そうです」
リーゼが掲示板から離れた。
「1つ聞いていいか?」
「はい」
「お前は何を目指している。傭兵団の団長として、どこまで大きくするつもりだ?」
ナナは少し間を置いた。
「今は答えられる答えを持っていません」
「なぜ?」
「まだ言葉に出来そうにないからです。ただ——小さくするつもりはありません」
リーゼはナナを見た。しばらく黙っていた。
「……グリム」
「何だ?」
「この子に付いていく気になったのはなぜだ?」
グリムが少し考えた。
「引っ張られた」
「引っ張られた?」
「気がついたら付いていた。気づいたときにはもう遅かった」
リーゼが短く笑った。
「そうか」
それから真顔に戻った。
「一度、仲間に話す。返事は数日後でいいか?」
「構いません。ただ」
「ただ?」
「返事をくれるなら、紅き牙の拠点で聞かせてください。全員の顔を見た上で話したいです」
リーゼが少し目を細めた。
「……お前、来る気があるのか。盗賊団の拠点に?」
「はい」
「怖くないのか?」
「あなたが同席するなら問題ありません」
リーゼはしばらくナナを見ていた。
それから、また短く笑った。今度は最初より少し長かった。
「分かった。3日後に迎えに来る」
「よろしくお願いします」
リーゼが踵を返した。歩き出してから、振り返らずに言った。
「グリム」
「何だ?」
「あのとき——返り討ちにされたとき。峰で打ってきただろう」
「ああ」
「なぜ殺さなかった?」
グリムは少し間を置いた。
「ナナがそう言ったから」
「……そうか」
リーゼが歩き続けた。
街の出口に向かって、まっすぐ歩いた。振り返らなかった。
グリムがナナを見た。
「3日後、本当に行くのか?」
「はい」
「盗賊団の本拠地だぞ?」
「知っています」
グリムは少し黙った。
「……レンには話したのか?」
「まだです。今夜話します」
グリムが空を見上げた。
「14人か。急に増えるな」
「戦力として考えてください。補給・斥候・衛生がいれば、今より大きな依頼が取れます」
「分かってる。ただ——」
グリムが少し間を置いた。
「あの女、信用できるのか?」
「できます」
「根拠は?」
「返り討ちにされた後、1人で来た。仲間を連れてこなかった。それだけで十分です」
グリムはしばらく黙った。それから頷いた。
「……分かった」
2人で宿に戻った。
前魔王が言った。
『14人、か』
(そうだ)
『急に増える。まとめられるか?』
(大丈夫だ)
『根拠は?』
(まとめなければ意味がないからな)
前魔王は少し黙った。
『……お前らしい答えだ』
宿の扉を開けた。
レンが食堂の隅で弓の手入れをしていた。顔を上げた。
「話があります」
レンが弓を置いた。
「なんだ?」
ナナは椅子を引いた。
3日後のことを話した。




