第13話 帰路
リーベンスを出たのは昼前だった。
3人で歩いた。来たときと同じ街道を戻る。荷馬車はない。マルコはリーベンスでしばらく商売をしてから戻ると言っていた。
「またグレンフォードに来たときはよろしく頼みます、団長さん」
別れ際にそう言っていた。愛想のいい男だった。
街道は晴れていた。
ナナは歩きながら魔王概論を読んだ。荷物から出して、歩きながら読んだ。グリムが前を歩いていた。レンが後ろを歩いていた。2人とも何も言わなかった。
本の文字は古い書き方だったが、読めた。
最初の章は魔王という存在の説明だった。魔王は生まれるものではなく、選ばれるものだという書き方だった。何によって選ばれるのかは明確に書いていなかった。ただ、「器」という言葉が何度も出てきた。
(器、か)
『そうだ。魔王の力は人を選ぶ。力だけではなく、意志の形を見る』
(意志の形?)
『何を守るか。何のために動くか。それが定まっている者に宿る。定まっていない者には宿らない』
(私の意志の形は定まっているのか)
『さあな。お前が決めることだ』
ナナは本のページをめくった。
2章は歴代の魔王についての記述だった。名前と、簡単な記録。勝ったこと、負けたこと、何を目指していたか。
どの魔王も、長くは続かなかった。記録によれば、最も長く生きた魔王でも30年だった。
(短い)
『魔王は孤立する。力があるから孤立するのではない。理解されないから孤立する』
(理解されなかったのか、過去の魔王たちは)
『ほとんどはそうだ。力だけを見られて、その力を恐れられて、最後は討たれた』
(前魔王も?)
少し間があった。
『……我もそうだった。力で押し通そうとした時期があった。それでは続かないと分かったのは、滅ぶ直前だった』
ナナは本を少し閉じた。歩きながら、街道の先を見た。
(だから魔王概論を書いた。次の者に伝えるために)
『遅すぎた知恵だが、ないよりはましだと思った』
グリムが振り返った。
「本を読みながら歩いて、足元は大丈夫か?」
「問題ありません」
「……そうか」
グリムが前を向いた。
レンが後ろから言った。
「その指輪、魔力が変わった」
ナナは少し間を置いた。
「分かりますか?」
「少し。落ち着いた感じがする」
(レンは魔力に敏感なのか)
「そうですね。落ち着きます」
レンはそれ以上何も言わなかった。
林の区間を通った。昨日、紅き牙と戦った場所だった。痕跡がいくつか残っていた。地面に大剣が当たった跡。折れた枝。
グリムがその場所を通るとき、少し速度を上げた。何も言わなかった。
林を抜けた。
日が傾いた頃、宿場に着いた。
来るときに泊まった宿だった。主人がナナを見て、一瞬だけ顔が止まった。覚えていたのだろう。何も言わなかった。
食堂で夕食を取った。グリムが黙って食べていた。レンも黙っていた。ナナは本を読みながら食べた。
グリムが言った。
「行儀が悪い」
「すみません」
本を閉じた。
食事が終わった。部屋に戻った。3人で1部屋だった。
グリムがすぐに横になった。レンが窓の外を少し見てから、目を閉じた。
ナナは灯りの下で本を読み続けた。
3章は魔王と仲間についての記述だった。過去の魔王の多くは単独で動いた。仲間を作らなかった。作れなかった、と書いてある魔王もいた。
(なぜ仲間を作れなかったのか?)
『力の差がありすぎた。仲間と思っていても、相手は恐れていた。あるいは利用しようとしていた。対等に扱われることがなかった』
(前魔王は?)
『……我も、最後まで1人だった。それを後悔している、と書いたはずだ』
ナナはページを戻した。確かに書いてあった。短い一文だった。
「仲間を作れなかったことを、今も悔いている」
(今も、と書いてある)
『書いた時点では、まだ生きていた。今も、という言葉を使った』
(今はどうなのか?)
『……今はお前がいる。それで十分だ』
灯りが揺れた。風が窓の隙間から入ってきた。
グリムの寝息が聞こえた。
ナナは本を閉じた。目を閉じた。
翌日、昼過ぎにグレンフォードに着いた。
まず宿に荷物を置いた。それからギルドに向かった。
ベラがカウンターにいた。ナナを見て、短く頷いた。
「戻ったか。護衛依頼は?」
「完了しました。依頼主のマルコさんを無事にリーベンスへ届けました」
「道中、問題は?」
「盗賊に遭いました。全員、戦闘不能にして立ち去らせました」
ベラが少し手を止めた。
「何人だ」
「14人です」
ベラの手が完全に止まった。
「14人」
「はい」
「お前たち3人で」
「はい」
ベラがナナを見た。グリムを見た。レンを見た。また書類に目を落とした。
「……報告書を書け。詳細を」
「はい」
報告書を書いた。状況、対処方法、結果。事実だけを書いた。ベラが受け取った。読んだ。
「紅き牙か」
「そう名乗っていました」
「有名な盗賊団だ。14人全員を3人で無力化した、か」
ベラが報告書をしまった。
「依頼達成の記録をつける。それと」
ベラが少し間を置いた。
「Eランクの規定達成数まで、あと3件だ。次の依頼を選ぶときの参考にしろ」
(あと3件でDランクへの昇格試練が受けられる)
「分かりました」
掲示板を見た。Eランクの依頼が5件あった。確認した。
そのとき、グリムが1枚の依頼書を取った。ナナに渡さずに、しばらく自分で読んでいた。
ナナはグリムの顔を見た。
表情が少し固かった。
「グリム」
「……北の山麓の調査依頼だ」
グリムが依頼書を渡した。
グレンフォードの北、山の麓近くに出没する怪物の生態調査。討伐ではなく調査のみ。報酬は銀貨8枚。期間は3日以内。
(北の山の麓)
グリムの仇がいる場所だ。
「受けますか?」
グリムが少し間を置いた。
「……調査だけだ。討伐じゃない」
「はい」
「今の俺たちには、サイクロプスは無理だ。それは分かってる」
「はい」
「ただ、情報を集めておくことは——」
「無駄じゃないと思います」
グリムが短く息を吐いた。
「……受けよう」
「はい」
ベラに依頼書を持っていった。ベラが依頼書を見た。グリムを見た。それから何も言わずに登録した。
「気をつけろ」
それだけだった。
宿に戻る前に、報酬の計算をした。
今回の収入。金貨1枚と銀貨2枚。合計銀貨12枚。
3人で割ると1人あたり銀貨4枚。
グリムへの借り。宿代銀貨6枚。弓と矢銀貨10枚。ナナとレンの服銀貨6枚。合計銀貨22枚。
(4枚返せる。残りは18枚)
「グリム」
「何だ?」
「今回の取り分から、借りの返済として銀貨4枚を渡します」
グリムが少し目を開いた。
「今払うのか?」
「払えるときに払います。記録をつけておきたいので」
銀貨4枚を渡した。グリムが受け取った。少し間があった。
「……ありがとう」
「いいえ。残りは18枚です。次の依頼で返します」
グリムは何か言いかけて、やめた。
レンが黙って自分の取り分を受け取った。
宿に戻った。
部屋に入った。
ナナは魔王概論を取り出した。続きを読む。まだ半分以上残っていた。
前魔王が言った。
『今夜中に読めるか?』
(読む)
『急がなくていい』
(急いでいる。明後日には北の山麓に出発だ。その前に読んでおきたい)
前魔王は少し黙った。
『……分かった。分からないところがあれば聞け』
(ああ)
ナナはページを開いた。
窓の外に夕暮れが始まっていた。
読み続けた。




