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婚約破棄された令嬢ですが、私の調合がないと王宮は回りません  作者: 渚月(なづき)


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9/10

第九話 証拠は静かに

学術院の勧告が宮廷に届いてから、一週間。


王都が揺れている、という噂が辺境にまで届いた。



最初に動いたのは、宮廷薬師局だった。


勧告を受けて、七対三配合の万能薬を「念のため」回収すると発表した。けれど発表の文面は巧妙だった。「安全性をより確実にするための自主的な品質確認」——危険性を認めたわけではない、という体裁を保っている。


「……上手いですね」


ヴェルトが、行商人から受け取った王都の公報を読み上げた。


「回収はするが、非は認めない。セレスティーヌの名前も処分も出ていません」


「予想通りです。体面を守ることが最優先ですから」


けれど、と私は続けた。


「回収した薬を検証すれば、結果は出ます。学術院が見ていますから、握り潰せない」



二週間後、学術院から第二の書簡が届いた。


今度は私宛ではなく、王国全土の薬局に向けた公式通知だった。


内容は二つ。


一つ目——七対三配合の万能薬に、長期保存による毒性リスクが確認された。即時使用停止を勧告する。


二つ目——同薬の考案者として登録されていたセレスティーヌの申請について、学術院が調査を開始する。


(……動いた)


公報を読む手が震えた。怒りでも喜びでもなく、ただ、長い道のりがようやく形になった実感。



王都からの情報は、断片的に、しかし確実に届いた。


行商人の伝聞。領主間の書簡の噂。そして——師匠からの、包み紙の裏のメモ。


学術院の調査は淡々と進んでいるらしい。セレスティーヌが提出した調合記録と、私が提出した記録。二つを照合する作業。


日付の比較。実験過程の詳細度。そして——筆跡の分析。


師匠のメモにはこう書かれていた。


「調合記録室の原本が照合に出された。あなたの記録が先であることは、日付が証明している」


(……日付が証明している)


ナタリアが言ったことを思い出す。日付のない記録は、記録ではない。


そして、日付のある記録は——嘘をつかない。



調査の結果が公表されたのは、さらに三週間後だった。


学術院院長グレンヴィルの名で発表された報告書。私はその写しを、ヴェルトから受け取った。


報告書の内容は、感情を一切排した事実の羅列だった。


——宮廷薬師局次席セレスティーヌが学術院に提出した調合記録の複数箇所において、先行する研究記録との著しい類似が確認された。


——日付の照合により、リーネ(元宮廷薬師局次席)の記録が時系列上先行していることが認められた。


——七対三の配合比率は、リーネの研究過程における「未検証の仮配合」であり、完成形ではない。これを完成品として申請した行為は、学術院の登録制度に対する重大な不正と認定する。


淡々と。静かに。ただ事実が並べられている。


(……これが、証拠の力だ)



報告書の最後に、勧告が二つ記されていた。


一つ——セレスティーヌの学術院登録をすべて取り消す。


二つ——宮廷薬師局に対し、過去の調合記録の全面的な照合調査を求める。


「全面的な照合調査」


ヴェルトがその部分を読み上げたとき、声が少しだけ震えていた。


「これは——あなたの研究だけではなく、薬師局全体の記録が対象になる」


「ええ。セレスティーヌが横取りしていたのは、私の研究だけではないかもしれない」


「だとすれば」


「薬師局の信頼そのものが問われることになります」



王太子が動いたのは、報告書の公表から三日後だった。


宮廷からの勅令。セレスティーヌを宮廷薬師局次席から解任する。理由は「学術院の調査結果を受けた措置」。


勅令の文面は短く、事務的だった。王太子の名前は署名にあるだけで、個人的な見解は一切含まれていない。


(……体面は、最後まで守るつもりか)


王太子は、自分が間違っていたとは認めない。セレスティーヌを切り捨てることで、自分は「正しい判断をした」という形を作る。


それは予想していた。そしてそれでいい。


私が欲しかったのは、謝罪ではない。記録の正当性だ。



「リーネ」


ナタリアが診療所の入口に立っていた。手に、何かの書類を持っている。


「王都から、あんた宛に正式な書簡が来てるわ。学術院の封印つき」


受け取る。封を切る。


——学術院は、リーネの新規調合法(五対五配合・治癒促進薬)を正式に登録した。登録者名「リーネ」。登録日は、最初の申請日に遡及する。


「……遡及」


最初の申請日。あの夜、ヴェルトと二人で書き写した日付。


(……あの夜の記録が、認められた)


膝の力が抜けそうになって、壁に手をついた。


「ちょっと、大丈夫?」


「大丈夫。……大丈夫」


涙が出そうだったけれど、ナタリアの前では泣きたくなかった。代わりに深く息を吸って、書簡をもう一度読んだ。



その夜、診療所の前のベンチに座っていた。


足音が近づいてきて、隣に誰かが座った。見なくてもわかる。


「——おめでとうございます」


ヴェルトの声だった。


「おめでとう、でいいんでしょうか。まだ終わっていないかもしれません」


「それでも。あなたの名前が、あなたの仕事の上に戻った。それは祝うに値します」


黙って隣に座っている。肩が触れるか触れないかの距離。


星が出ていた。王都では見えない、辺境の澄んだ空。


「……ヴェルト」


「はい」


「あの夜、一緒に書き写してくれて——」


言葉が続かなかった。ありがとう、では足りない気がして。


彼は何も言わなかった。ただ、隣にいた。


それで十分だった。


——翌朝、領都の門に再び馬車が着いた。今度は宮廷の紋章入りではなく、王太子の私紋がついた、小さな使者の馬だった。


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