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婚約破棄された令嬢ですが、私の調合がないと王宮は回りません  作者: 渚月(なづき)


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7/10

第七話 調合炉の火

隣の地区の熱病は、私たちの予想を超える速度で広がった。


三日で患者は五十人を超え、診療所はベッドが足りなくなった。ナタリアと私は交代で眠り、交代で調合し、交代で患者を診た。



「これ、ただの熱病じゃないわ」


ナタリアが、患者の容態記録を私に突きつけた。深夜の診療所、二人ともまともに眠れていない。


「通常の解熱薬が効いていない。熱が一度下がっても、半日で戻る」


「……見せて」


記録を読む。患者の年齢、症状、投薬後の経過。目を凝らして、パターンを探す。


(……これは)


前世の記憶がまた、頭の隅で明滅した。


「ナタリア、患者の住んでいる地区を地図で見せて」


地図を広げる。赤い印が集中しているのは、先月井戸の浄化を行った地区の——さらに下流。


「水だ。感染経路は水。しかも、上流から何かが流れてきている」


「何かって?」


「まだわからない。でも仮説は立てられる。調べに行く必要がある」



翌朝、ヴェルトと共に上流を調査した。


川沿いを半日かけて遡ると、山際に古い廃坑があった。坑道の入口から、薄い黄緑色の水が滲み出ている。


「……鉱毒か」


ヴェルトが呟いた。


「廃坑は十年以上前に閉じたはずですが、地下水脈と繋がっていたのか」


水を採取して、診療所に持ち帰った。



調合炉に火を入れ、採取した水の成分を分析する。この世界に化学分析の概念はないけれど、薬師の「鑑定調合」という技術で代用できる。特定の試薬と反応させ、色の変化で成分を推定する方法だ。


試薬を三種類。順番に滴下。


一つ目——変化なし。


二つ目——わずかに白濁。


三つ目——鮮やかな青紫色に変わった。


「……やはり」


鉱毒の一種だ。ゆっくりと体に蓄積し、免疫を弱らせる。解熱薬が効かないのは、熱病そのものが問題なのではなく、体の抵抗力が奪われているからだ。


「治療法は?」


ナタリアの声が緊張している。


「解毒が先。熱を下げるだけでは根本的な解決にならない。鉱毒を体から排出する薬が必要」


「そんな薬、作れるの」


「——作る」



調合炉の火を絶やさず、三日間。


解毒薬の調合は、これまでで最も難しい仕事だった。鉱毒に対応する成分を持つ薬草を領内で探し、配合を一から設計しなければならない。


前世の知識がヒントになった。キレート療法——重金属を体外に排出する治療法の原理を、この世界の薬草に置き換える。


失敗。調整。失敗。微調整。


三日目の夜明け、ようやく安定した解毒薬が完成した。


「——できた」


器に入った液体は、淡い金色をしていた。



最初の投与は、最も症状の重い患者に行った。


六時間後、熱が下がり始めた。今度は戻らなかった。


十二時間後、患者が自分で水を飲んだ。


ナタリアが、黙って涙を拭いた。


「……効いてる」


「効いてるね」


私も少し泣きそうだったけれど、まだ四十九人いる。泣くのは後だ。



一週間かけて、全患者に解毒薬を投与した。死者は出なかった。


廃坑からの汚染水は、ヴェルトが領主権限で水路を付け替えて対処した。三日で工事を終えたのは、この人の実行力の賜物だった。


「応急処置です。根本的には、廃坑そのものを封じる必要がある」


「それには予算と人員が要りますね」


「王都に申請するつもりです。疫病の記録と汚染の証拠を添えて」


ヴェルトの目に、静かな決意があった。



けれど——同じ頃、王都では別の問題が起きていた。


行商人がもたらした噂。宮廷薬師局が、新しい万能薬の開発を発表したという。セレスティーヌの名前で。


そしてその万能薬の配合が——七対三。


師匠が「失敗する」と警告した、あの配合比率だった。


(……やはり、あの人は私のノートの通りに作ったんだ)


七対三では、短期的には効果が出る。でも長期保存ができない。時間が経つと成分が分離し、最悪の場合——毒性が出る。


私はそれを知っている。師匠もそれを知っている。


けれどセレスティーヌは、知らない。


(……このまま黙っていれば、あの人は自滅する)


一瞬、そう思った。


でも。


七対三の薬が流通すれば、飲むのは一般の人々だ。患者だ。何も知らない人たちが、毒性のある薬を処方される。


(……それは、許容できない)


調合ノートを開いた。新しいページに書く。


「七対三配合の危険性について——学術院への緊急報告書」


これは復讐ではない。これは、薬師としての義務だ。


——報告書を書き終えたとき、窓の外が白んでいた。


机の上に、いつの間にか毛布がかけてあった。ヴェルトの字で「風邪をひきます」と書かれたメモが、毛布の端に挟んであった。


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