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婚約破棄された令嬢ですが、私の調合がないと王宮は回りません  作者: 渚月(なづき)


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第五話 日付印の重さ

新しい調合の研究を始めて二週間。


十四回の試作。七回の失敗。三回の部分的成功。そして——四回目の成功で、ようやく安定した結果が出た。



師匠の言う通り、配合比率は五対五だった。


希少薬草の魔力成分と、オルデン領に自生する一般的な薬草。この二つを等量で合わせ、低温でゆっくり抽出する。


できあがった薬は、見た目はただの透明な液体だ。けれど一滴を傷口に垂らすと、通常の傷薬の三倍の速度で治癒が進んだ。


「……三倍」


ナタリアが、自分の腕につけた小さな切り傷の経過を見て呟いた。


「嘘でしょう」


「嘘じゃない。記録を見て」


十四回分の実験データをまとめた表を見せた。日付、配合、条件、結果。すべてが揃っている。


「あんた、本当に記録が好きね」


「記録は嘘をつかないから」



この薬の意味は、効能だけではなかった。


従来の高効力薬は、宮廷薬師局が独占する特殊な原料を必要とした。つまり王都の供給が止まれば、辺境では高度な治療ができなくなる。


けれどこの新しい調合法なら、原料の半分は辺境の薬草で賄える。供給を絶たれても、完全には止まらない。


(……これは、ただの薬じゃない。独立の手段だ)


その重大さを、私は理解していた。だからこそ、慎重にならなければいけない。



ヴェルトに報告したのは、成果が安定してからだった。


「新しい薬ができました。従来の三倍の治癒速度で、原料の半分は領内で調達できます」


彼の手がメモ帳の上で止まった。顔を上げる。その目に、一瞬だけ光が走った。


「……それは」


「ええ。王都の供給制限の影響を、大幅に軽減できます」


「素晴らしい」


ヴェルトの声は抑制されていたけれど、言葉の裏にある安堵は隠しきれていなかった。


「ただ、問題があります」


「何ですか」


「この調合法を公にすれば、宮廷が黙っていません。辺境が独自の薬を開発した——それ自体が、王都にとっては脅威になる」


彼は少し考えて、頷いた。


「公にしない、ということですか」


「今はまだ。でも、いずれ必要になります。そのとき、この調合法が私のものだと証明する手段が要る」


「記録がある」


「記録だけでは足りません」



王立学術院。


その名前を知ったのは、領主館の書庫で古い法令集を調べていたときだった。


王国の学術・技術に関する最高権威機関。新しい調合法や魔法技術を「発見」として公式に登録する制度がある。登録されれば、誰がいつ何を開発したかが国の記録として残る。


そして——その記録には、日付印が押される。


(……日付印)


鼓動が速くなった。


宮廷薬師局の記録は、内部文書だ。改竄も隠蔽も、権力があればできる。でも学術院の登録は、国の公式記録として保管される。薬師局の手が届かない場所に。


「ヴェルト」


「はい」


「王立学術院に、調合法を登録する方法を調べてもらえますか」


彼は一瞬だけ目を細めた。私の意図を察したのだろう。


「登録には、学術院の認証が必要です。通常は推薦者が——」


「推薦がなくても提出できる方法はあるはずです。法令集にそう書いてありました」


「……読んだんですか」


「昨夜、三回」


ヴェルトの口元が、かすかに動いた。笑ったのかもしれない。


「調べます。ただ——学術院の院長は、簡単には動かない人物だと聞いています」


「どういう方ですか」


「公爵位を持つ老齢の学者で、中立を貫くことで知られています。証拠と論理にしか動かされない、と」


(……証拠と論理にしか動かない)


それは私にとって、最も戦いやすい相手だった。



登録の手続きを調べるうちに、もうひとつ重要なことがわかった。


学術院への提出物には、研究の全過程——仮説、実験記録、結果、考察——を所定の書式で提出しなければならない。そして提出された文書には、学術院の日付印が押される。


この日付印は、後から改竄できない。


つまり、私の調合ノートの記録を学術院の書式に転写して提出すれば、「リーネという薬師がこの日付までにこの調合法を開発していた」という動かぬ証拠になる。


そしてもし——もしセレスティーヌが、私の過去の研究も自分の名前で発表しようとしたなら。


学術院の日付印が、すべてを物語る。


(……先に出したほうが、本物)


単純だけれど、覆しようのない事実。



その夜、調合ノートの全ページを書き写す作業を始めた。


学術院の書式に合わせて、一から書き直す。膨大な量だった。でも、急ぐ必要がある。


「手伝いましょうか」


振り返ると、ヴェルトが入口に立っていた。


「書類仕事なら慣れています。書式の転写くらいは」


「……いいんですか。領主の仕事があるのに」


「領主の仕事です。この領地を守る薬を守ることは」


彼はそう言って、机の反対側に座った。


二人で並んで、書き写す。静かな部屋に、ペンの音だけが響いていた。


(……ああ)


横顔を盗み見る。灯りの下で、ヴェルトの目は真剣だった。私のノートの数字を、一字一句間違えないように、丁寧に写している。


(……この人は、私の記録を大事にしてくれる)


それがどれほど心強いか、本人はたぶん知らない。


ペンの音が続く。夜が更けても、隣の椅子は空にならなかった。


——王都からの荷物が、また一月届かなかった。けれど、焦りより先に来たのは、不思議な静けさだった。


最終話の執筆が完了していないため、

六話~十話については明日中には投稿させていただければと思います!

もし、続きを読んでみたいと思っていただけましたら、

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