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婚約破棄された令嬢ですが、私の調合がないと王宮は回りません  作者: 渚月(なづき)


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第四話 包み紙の裏

オルデン領に来て一月が過ぎた。


私の調合した薬は、小さな診療所の棚を少しずつ埋めていった。解熱薬、整腸薬、傷薬。どれも基本的なものだけれど、正しい手順で作れば効果が違う。


住民たちの足取りが、目に見えて軽くなった。



「リーネ先生、今日もお薬もらえますか」


「先生はやめてって言ったのに」


「だってナタリア先生がそう呼べって」


診療所の窓口で、農夫の奥さんに薬を渡す。整腸薬の飲み方を説明しながら、ふとナタリアを見た。彼女は知らん顔で包帯を巻いている。


(……いつの間に「先生」になったんだろう)


悪い気はしなかった。



変化は、患者の数だけではなかった。


ヴェルトが、週に一度の領地視察に私を同行させるようになったのだ。最初は薬草の自生地を確認するためだったけれど、いつからか領地全体の状況を見て回る巡回になっていた。


「この地区は井戸水の質が悪いんです。住民の体調不良が集中している」


「煮沸の指導だけでも、かなり改善するはずです。あと、ここに自生している浄化草——この根を砕いて井戸に沈めれば、雑味が取れます」


馬の背に揺られながらの会話は、いつも実務的だった。けれどヴェルトは、私の提案をひとつも聞き流さなかった。翌日には必ず、実行の可否を調べて報告してくれる。


「浄化草の件、試しました。三日で水の濁りが減っています」


「早い。記録を取ってもらえますか?」


「もう取っています」


彼はそう言って、メモ帳を見せた。几帳面な文字で、日付と数値が並んでいる。


(……この人は、記録の価値がわかる人だ)


それが、たまらなく心強かった。



転機は、ある荷物と共にやってきた。


行商人が持ってきた薬の中に、小さな紙包みが紛れていた。触媒粉ではない。中身は乾燥薬草——それも、宮廷薬師局の薬草園でしか育たない希少種だった。


包みを開いた瞬間、指先が震えた。


この薬草は、私がかつて研究していたものだ。高濃度の魔力を含み、正しく調合すれば従来の十倍の効果を持つ万能薬の原料になる。宮廷でも、扱えるのは限られた人間だけだった。


(……なぜこれが、辺境の行商に紛れている?)


包み紙を裏返した。


そこに、あの筆跡があった。


小さく、震えるように書かれた文字。


「配合比率七対三では失敗する。五対五で試されたし」


——師匠の字だ。


宮廷薬師局の老薬師。私に調合の基礎を叩き込んだ人。権力には逆らえないけれど、弟子を見捨てられない、不器用な人。


包み紙の裏にメモを忍ばせる——あの人らしいやり方だった。



「ナタリア、この薬草を見たことは?」


翌朝、診療所で訊いた。


「ないわね。宮廷の薬草園にしかない種類でしょう? なんでこんなものが」


「……届いた、みたい」


「誰から?」


「古い知り合いから」


ナタリアはそれ以上追及しなかった。ただ、じっと私の顔を見て、小さく頷いた。


「あんたには、味方がいるのね」


その一言が、思いのほか胸に沁みた。



師匠のメモは、ただの助言ではなかった。


「五対五」という配合比率は、私が宮廷で試す前に追放された、未完成の研究に関するものだ。つまり師匠は、私の研究記録を読んで——そしてその先を、自分で試したのだ。


もしこの配合が正しければ、従来の魔法薬とはまったく異なる効能を持つ薬が作れる。


(……でも、七対三では失敗すると書いてある)


これは警告でもあった。セレスティーヌが私の記録を書き写して使っているなら、この未完成の研究にも手を出すかもしれない。そしてその配合比率は、私のノートには「七対三で実験予定」と書かれている。


つまり——あの人がそのまま真似をすれば、失敗する。


(……師匠は、それを知っている)


胃の奥がざわついた。これは武器にもなるし、毒にもなる情報だ。



その夜、ヴェルトが診療所に来た。いつもの夕方の報告ではなく、少し遅い時刻だった。


「遅くにすみません。ひとつ報告が」


「どうぞ」


「王都から、辺境領への薬の原料供給を制限するという通達がありました」


予想はしていた。けれど、実際に聞くと空気が冷たくなる。


「理由は?」


「表向きは『在庫管理の見直し』です」


ヴェルトの声は平坦だった。感情を殺しているのがわかる。


「……見直し、ですか」


「ええ。実態は、おそらく」


彼は言葉を切った。私を見ている目が、静かに怒りを含んでいた。


「——嫌がらせですね」


私が先に言った。


「辺境の薬師が成果を出しているという噂が、王都に届いた。それが面白くない人がいる」


ヴェルトは否定しなかった。


「供給が止まっても、しばらくは領内の薬草で凌げます。でも——」


「長くは持たない」


「ええ」


沈黙が落ちた。



ヴェルトが帰った後、私は机に向かって師匠の包み紙をもう一度広げた。


「五対五で試されたし」


この薬草が手に入ったのは、偶然ではない。師匠は、供給が止まることを見越していたのだ。


(……この薬草で、新しい薬を作る。従来の原料に頼らない、辺境でも持続可能な調合法を)


ノートの新しいページを開いた。


日付を書き、「新調合研究——記録開始」と記す。


その下に、師匠のメモの内容を書き写した。そして、最初の仮説を立てる。


(……観察、仮説、検証、証拠。手順は同じ。ただし今度は、結果を誰にも奪わせない)


窓の外で、また領主館の灯りが揺れていた。


——ヴェルトのメモ帳と、私の調合ノート。ふたつの記録が、いつかこの領地を守る盾になる。


そう信じなければ、ペンを持つ手が震えてしまいそうだった。


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