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安心する場所

 それから数日が過ぎた。

 俺は相変わらず雨宮澪の隣の席で息を潜めて生きている。


 彼女が猫宮ちゅんであるという、おおよその確信を得てから俺の学園生活は少しだけ色付いた。

 授業中も彼女の指先が机の下であの内臓むき出しウサギを撫でているのを横目で見守るのが日課になっていた。


 そんなある日の昼休みだ。

 クラスでも中心的なグループにいる派手な女子が雨宮の席にやってきた。


 「ねえ雨宮さん一緒にご飯食べない?」


 学年でもトップクラスの美少女である雨宮とお近づきになりたい人間は後を絶たない。

 雨宮は読んでいた文庫本から顔を上げずに冷たく言い放った。


 「一人で食べるからいい」


 安定の氷点下対応だ。

 話しかけた女子は気まずそうに引き下がろうとしたがふと雨宮のカバンに目をとめた。


 「えっ何これめっちゃキモいんだけど」


 彼女の指先が俺の作った内臓むき出しウサギを指していた。

 俺の心臓がドクンと跳ねた。

 世間一般の女子高生にとってあのウサギがグロテスクで不気味なのは百も承知だ。


 だからこそ俺は誰にも見せずに一人で愛でていたのだ。

 それを指摘された雨宮の肩がビクッと揺れた。


 「……触らないで」


 雨宮の声はいつも以上に低く冷たかった。

 しかし俺は見逃さなかった。

 彼女がカバンを自分の方へ引き寄せるようにして必死にウサギのキーホルダーを隠したのを。

 その耳の先がほんのりと赤くなっているのを。


 「ごめんごめんでも雨宮さんってそういうグロいのが好きなんだね意外かも。あの、じゃあ」


 女子は少し引きつった笑いを浮かべて自分の席へ戻っていった。

 周囲のクラスメイトたちもチラチラと雨宮の方を見ている。

 完璧な氷の美少女が趣味の悪い不気味なグッズをつけている。

 そのギャップは良くも悪くも目立ってしまっていた。

 雨宮は俯いたままギュッとカバンの紐を握りしめている。


 あの内臓むき出しウサギは彼女にとって大切な人からのプレゼントなのだ。いや、これは自惚れか。

 とにかく、それを馬鹿にされて彼女がひそかに傷ついているのが俺には痛いほど伝わってきた。


 俺は居ても立っても居られなくなった。

 ここで俺が何か気の利いたフォローをできればいいのだがコミュ障の俺にそんなスキルはない。

 それに俺があのグッズの制作者だとバレるわけにはいかないのだ。

 だから俺は精一杯の勇気を振り絞って独り言のようにつぶやいた。


 「……俺はそれすごく可愛いと思うけどな」


 教室の喧騒にかき消されるくらいの小さな声だ。

 誰にも聞こえないはずだった。


 隣の席の雨宮だけはピクリと反応した。

 彼女がゆっくりとこちらを向く。

 その瞳は信じられないものを見るように見開かれていた。

 俺は慌てて持っていた購買のパンに噛みつき必死に前を向いた。

 心臓の音がうるさくてパンの味が全くわからない。

 雨宮はしばらく俺の方をじっと見ていたがやがて小さく息を吐いた。


 「……変なやつ」


 それはいつもの氷のように冷たい声ではなかった。

 呆れたような少しだけホッとしたような微かな温度が混じっていた気がした。

 机の下で彼女の指先が再びウサギの内臓を優しく撫でているのが見えた。


 俺の顔はきっと今茹でダコのように真っ赤になっているだろう。

 推しに自分の作ったグッズを大切にされさらに少しだけ心が通じ合ったような気がしたのだ。

 俺たちの秘密のスクールライフはこうして静かに少しずつ変化していくのだった。


 放課後の鐘が鳴り終わると俺は逃げるように教室を後にした。向かう先は校舎の最果てにある旧校舎の第四特別教室だ。そこが俺の所属する文芸部の部室である。

 名簿上の部員数は三十人を超えているらしい。だがそれはただの幽霊部員の寄せ集めだ。内申点稼ぎかあるいは帰宅部を誤魔化すための隠れ蓑にすぎない。

 実際に毎日顔を出すのは俺を含めてたったの四人だけだった。

 部室の引き戸をガラガラと開けるとすでにむさ苦しい先客たちが陣取っていた。


「おっす宇津見。昨日の深夜アニメの作画崩壊っぷり見たか」


 分厚い牛乳瓶の底のようなメガネを押し上げながら山田がニチャァと笑う。


「山田お前声がでかい。隣の茶道部にまでそのキモい声が聞こえるだろ」


 ボサボサの天然パーマを掻きむしりながら佐藤がだるそうに突っ込む。


「デュフフ。茶道部の連中なんて僕たちの高尚な会話を理解できないでござるよ」


 色落ちした深夜アニメの美少女Tシャツを着た鈴木が不気味な笑い声を漏らす。

 山田と佐藤と鈴木そして俺。

 これが我が文芸部の真の姿であり絵に描いたようなオタク仲間の集いだった。

 俺たちはパイプ椅子に浅く腰掛けていつものように無生産な雑談を始める。


 話題は昨晩のアニメから始まり新作ソーシャルゲームの理不尽なガチャの排出率、そして推しのVTuberがいかに尊いかという熱弁へと移り変わっていく。

 特に山田は俺と同じく猫宮ちゅんのリスナーであるため話が異常に盛り上がった。

 しかし俺はふと彼らの顔をまじまじと見つめてしまった。

 いつもなら気にも留めないことだ。

 だが改めて客観的に観察するとある異常な事実に気づいてしまうのだ。

 こいつらよく見ると顔のパーツが異常に整っている。

 山田は分厚いメガネと極度の猫背のせいで陰キャオーラ全開だが鼻筋はスッと通っているし輪郭もシャープだ。

 メガネを外して前髪を上げれば間違いなくファッション誌の表紙を飾れるレベルの造形をしている。

 佐藤は鳥の巣のような天然パーマと無精髭のせいで完全に浮浪者のように見える。

 だがその前髪の隙間から覗く二重の目は彫りが深くまつ毛も異様に長い。

 鈴木に至っては身長が百八十センチを超えていて手足も長くスタイルが抜群に良い。

 姿勢を正してその痛いアニメTシャツを脱ぎ捨てれば誰もが振り返るような高身長イケメンになるはずなのだ。

 類は友を呼ぶというがこれは少し異常な確率ではないだろうか。

 圧倒的な才能の原石たちがなぜか全員揃って致命的なまでに自分をプロデュースする能力が欠如しているのだ。

 オタクという分厚いコーティングのせいでその本来の輝きは完全に社会から隠蔽されている。


 俺はその状況に得体の知れない強烈な既視感を覚えた。

 ライトノベルやラブコメ漫画で死ぬほど見たことがある王道すぎる展開だ。


 「なあお前ら」


 俺はたまらず口を開いた。

 オタク特有の異常な早口で語り合っていた三人がピタリと止まって俺を見る。


「俺たちの今のこの状況ってなんかフィクションみたいじゃないか」


 俺の唐突な発言に三人は怪訝な顔を見合わせた。


「宇津見ついに現実と二次元の区別がつかなくなったでござるか」


 鈴木が心底哀れむような目を向けてくる。


「違うそうじゃない。お前ら自分の顔を鏡でよく見てみろよ」


 俺は身振り手振りを交えて必死に説明を始めた。


「山田はメガネを外せば超絶美形だし佐藤は髪を整えればワイルド系イケメンだ。鈴木はスタイル抜群のモデル体型だぞ。全員素材だけならクラスのカースト最上位にいる奴らよりよっぽど上だ」


 俺の言葉に三人はポカンと口を開けた。


「つまり俺たちは『磨けば光る隠れイケメンのオタク集団』という強烈な属性を持っているんだ。これってラブコメの序盤によくある設定そのものだろ」


 俺の熱弁を聞き終えるとホコリっぽい部室に数秒の沈黙が落ちた。

 そして次の瞬間三人は腹を抱えて爆笑し始めた。


「ひひっ、宇津見お前頭悪すぎだろ。俺たちがイケメン?冗談は顔だけにしてくれよ」


 山田が涙を流しながらパイプ椅子をバンバンと叩く。


「そもそも仮にそうだとしても俺たちを磨いてくれる都合の良い美少女なんて現実には存在しないんだよ」


 佐藤が自嘲気味に笑いながらボサボサの髪をいじる。


「左様。我らはこの薄暗い部室でひっそりと二次元を愛でて一生を終える運命なのでござる」


 鈴木がドヤ顔で謎の敗北宣言をした。

 こいつらは自分の途方もないポテンシャルに微塵も気づいていないらしい。

 そして絶対にこのオタクの沼から抜け出す気もないようだ。

 まあそれが俺たちにとって一番居心地が良いのは紛れもない事実だ。

 無理にリア充の真似事をしてヒエラルキーの上位に媚びを売るくらいならこの底辺で泥水をすすっている方がずっとマシである。

 フィクションならここで学園一の美少女が部室の扉を蹴り破って乗り込んできて俺たちを無理やり改造していくのだろう。

 だがここは現実だ。

 そんな都合の良いヒロインが現れるわけがない。

 そう自分を納得させながら俺はふと隣の席の氷の美少女のことを思い出した。

 雨宮澪。

 学園の誰もが恐れ近づけない絶対零度の美少女。

 そしてその正体は俺が愛してやまない甘えん坊VTuberの猫宮ちゅんだ。

 もし俺の隣にいるあの狂気的な手紙を書く少女が俺の現実に本格的に干渉してきたらどうなるのだろうか。

 ひっそりと息を潜めて生きる俺たちのこの平和なモラトリアムは一瞬で崩壊してしまうかもしれない。

 背筋に冷たいものが走り俺は小さく首を振ってその恐ろしい想像を頭から追い出した。

 今はただこのぬるま湯のようなオタク仲間との無益な時間を楽しむことにしよう。

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