第九話
ファートが初めて主催する舞踏会ということで、社交界はその話題で持ち切りだった。
「アーミッティウス家のご息女が舞踏会を行うとか」
「ええ、伺いましたわ。わたくしの家には無事、招待状が届きまして、安心しましたわ」
扇で口元を隠した女性が穏やかな口振りで言葉を交わす。
美しく座った彼女たちは並べられた菓子にも手を付けず、ただ紅茶とワインだけを口に運んでいる。
ものを食べなければ太らないと信じ込んでいるのだ。
「わたくしのところはファート様直筆の招待状でしたわね」
「ま、まあ……わたくしのところもそうでしたわ」
誰が招待状を書いたか、その程度のことですら彼女たちにとっては重要なことであった。
ファートが直筆で書いた招待状は少なく、一〇〇通程度であった。王城に勤める大臣や王太子を含めれば、ごく少数と言っても過言では無い数である。
その中で直筆の招待状が送られてきた家は、侯爵家までの上級貴族のみで、伯爵家の中でも両家の関係が良い家だけが選ばれていたのだった。
それ以外の家の者は、ファートの専属メイドであるアニエスが代筆したものであった。下級貴族に至っては専属メイドですらない者が書いたものすらある。
誰の筆跡かという、ただそれだけのことが未来の家の格を決めるのだから、彼女たちの社交界は熾烈を極めるのだ。
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採寸が終わった日からほんの一週間ほどが経過した頃、屋敷は既に慌ただしい雰囲気に満ちていた。
その日、シャルルからの連絡を受けたファートは第一応接間へと訪れていた。
ファートはジャンヌとオリーブを応接間へと呼び、シャルルがデザインしたドレスを着用してゆっくりと歩を進める。
グラデーション風に織られた若草色のシルク・タフタは七分丈の袖で、鎖骨すら出ない清楚なジュエルネックのバッスル・ドレスを着用している。ウエストには細く金糸で精緻な刺繍が成されており、スカートは控えめに広がっている。
その美しいホワイトゴールドの髪は美しく編み込まれ、白いリボンを用いて後頭部で纏められ、顔の両側に丁寧に巻かれた髪が垂れている。
玄関ですれ違ったシャルルにファートは微笑み、それにシャルルは浅く礼をすることで応える。
ふたりの姉が既に到着していた第一応接間へとファートが到着すると、ジャンヌとオリーブは未だにギクシャクとした動きで、けれどしっかりとしたカーテシーをして見せる。
「ふぁ、ファート、ごきげんよう」
その様子に、ファートはパッと表情を明るくして微笑み、浅いカーテシーで返す。
「ごきげんよう、ジャンヌお姉様、オリーブお姉様」
嬉しそうに微笑んだファートがテーブルに着くと、マエリスを手で呼んだファートがひとつ指示をする。それにより席順が以前シャルルが来た時と変化し、ジャンヌがファートの右隣へ、オリーブが左隣へと移動した。
「ウォルト様をお呼びになって」
ファートの言葉にアニエスは「かしこまりました」と深く礼をし、応接間を出て行く。その後からマエリスが続き、応接間の扉に鍵をかける。
暫しの時間の後、応接間の扉がノックされる。
「失礼致します、アニエス・ビガールでございます、シャルル・フレデリック・ウォルト様をお連れしました」
アニエスの声に、ファートが「どうぞお入りになって」と告げる。すぐにマエリスが鍵を開け、シャルルが第一応接間へと足を踏み入れる。
その瞬間、マエリスがシャルルの鞄を受け取り、アニエスが応接間の鍵を閉める。
「先日ぶりでございます、ファート嬢」
「ええ、ごきげんよう。ウォルト様」
ファートが右手の手袋を抜き、シャルルへ指先を揃えて差し出すと、シャルルはその手を取り、指先へと口付ける。
その様子を椅子に座ったまま呆と見つめていたジャンヌとオリーブへ、コゼットとロゼールが軽く咳払いをする。
それに、彼女たちは慌ててドタバタと立ち上がり、浅いカーテシーを見せる。その様子にシャルルは僅かに驚いたような表情を見せる。
「先日ぶりでございます、ジャンヌ嬢、オリーブ嬢」
「やだよ、嬢だなんてお貴族さまみたいじゃあないか」
ジャンヌがそう言った瞬間、オリーブが小声で叫ぶ。
「姉ちゃ、お姉様! そんな物言い、ウォルト様に失礼だろ!」
「あ、し、失礼しました、わ。ごきげんよう、ウォルト様」
ジャンヌはファートの見よう見まねで、指がバラバラに開かれた手を差し出す。
シャルルはその手を取り握手をすると、ジャンヌは理解が及ばないという表情で目を瞬かせる。
「ジャンヌお嬢様、指先を揃えずに出すと握手を、指先を揃えて出すと指先への口付けを求めるという意味になりますわ」
「そ、そうなのかい」
姉の誤ちを横目に、オリーブはギクシャクとした浅いカーテシーをして見せる。
「ごきげんよう、ウォルト様」
「ええ、先日ぶりでございます、オリーブ嬢」
シャルルは再度挨拶をやり直し、微笑んで見せる。それに安堵したような表情を浮かべたオリーブは、手袋に包まれたままの右手を、指先を揃えて差し出す。
その瞬間、ロゼールが「お嬢様、手袋を」と囁く。
オリーブは慌てて手袋を引き抜き、恥ずかしそうに笑ってシャルルへ再度指先を差し出した。その指先へシャルルは口付けをし、改めてファートへと頭を下げる。
「ウォルト様、わたくしのお姉様方のためにお時間を頂いて、ありがとうございます」
「あ、ありがとうございます」
ジャンヌとオリーブの声が揃い、ふたりで顔を見合わせる。
「いいえ、私も一週間前とこうして見違えるような姿を見ることができまして、幸いでございます」
改めてファートが席へと着くと、それを見たジャンヌとオリーブが座り、最後にシャルルが腰を下ろす。
彼らの前に置かれたワイングラスにピノ・グリが注がれ、人肌より少し温かい程度の紅茶が各々の前へと差し出される。
「それで、ウォルト様。本日のご要件をお伺いしてもよろしいかしら」
改めてのファートからの言葉に、シャルルは「はい」と口火を切る。
「トワルが完成致しましたので、一度ご試着を頂きたく、参じました」
「まあ、それは素晴らしい報告ですわね。それでは、試着をさせて頂いてもよろしいかしら」
「はい、勿論でございます」
頭を下げたシャルルに、マエリスが彼の仕事道具である鞄を持ち近付く。それにシャルルは「ありがとうございます」と告げ、鞄を手に立ち上がる。
両手が空いたマエリスはすぐにファートの元へと向かい、差し出されたその右手を取り立ち上がる彼女の体をエスコートする。アニエスはファートの裾をそっと持ち上げ、衝立の向こうへと消えていく。
ファートのドレスを、マエリスが脱がせていく。シュミーズとコルセット、バッスルだけを着用した状態でファートはシャルルの差し出したドレスをマエリスの手で再度着用していく。
仮布での仮縫いドレスとは言え、シャルルが選んだのは光沢の無い上質なコットンで、皺も寄らず肌に触れれば柔らかいものであった。
普段ファートが着用する布に比べれば天と地ほどの素材ではあったが、彼女のメイドたちにとっては手が出ないほどのものであった。
色も刺繍も無い、ドレスとすら言えない形だけを整えただけの簡素な布にも関わらず、ファートが着るとそれだけで高級なドレスに見えるほど、ファートには高貴な雰囲気が見られた。
「どうかしら」
「素晴らしいシルエットです、ファートお嬢様」
「ええ、調整も不要なほどに美しいですね、流石ファートお嬢様です」
マエリスとシャルルの言葉にファートは微笑む。そして自分でもそのドレスを見つめる。
「舞踏会用のドレスですから、肩をもう少し開いた方が良いかしら」
「そうですね、そこは調整いたしましょう」
「シルエットは気に入りましたわ。あとは刺繍の位置や図案ですわね、そちらはウォルト様の腕とセンスを信用しております」
「有難いお言葉です」
ファートの言葉に、シャルルは胸に手を当て、深く頭を下げる。




