第五話
マエリスから届けられたモンラッシェを、ファートは一口含む。
ドレスの色と同じ、薄金色の美しい色合いだった。ファートは、躾られていたのだ。
「女性が飲むべきは、まず女性のお酒。ワインやリキュールやキュラソー、甘いカクテルでなければならない」
そう告げた父の顔を、ファートは良く覚えている。
優しい父の顔の向こうに、厳しい瞳があったのだ。
「そして、その日着ている服に似合うものでなければならない」
静かな父の声は、まるで呪縛のようにファートの体を包む。
モンラッシェの美しさを、ワイングラスを視線より高く持ち上げて揺らすことで確認する。
その時、扉がノックされた。
「お嬢様、戻りました。失礼してもよろしいでしょうか」
「ええ、よろしくてよ。入ってちょうだい」
ファートの言葉に、アニエスが「失礼いたします」と告げて部屋の中へと足を踏み入れる。
「お姉様へ言伝をして頂けた?」
「はい、ロゼールへ言伝を行いました」
「良かったわ。楽しみ、待ちきれませんわね」
嬉しそうに頬を緩めて、指先で自身の柔らかな頬を包む主人の姿に、アニエスとマエリスは眩しそうに目を細める。
「では、それまでにできることを終わらせなければ。アニエス、便箋と封筒を用意してちょうだい。マエリスはペンとインク壺、あと封蝋を」
「かしこまりました」
アニエスとマエリスの言葉が重なり、二人揃って頭を下げる。まるで歴戦の兵士のようにアウレアとマエリスは必要なものを揃えていく。
ファートの机の上に、新品のペンが置かれる。ガチョウの羽に金属製のペン先が取り付けられたものだ。
そして、開けたばかりの新品のインク壺。
美しい金と銀の箔押しが成された便箋は厚く、質の良い紙が使われている。封筒も同じく、便箋と同じ色に箔押しが成されている。地が白であるのは、紙を漂白できるほどの財力があるという証明でもある。
机の上にはラベンダーの香油も置かれた。
封蝋は、家の盾を示す黒に銀色のラメが輝く特注品であり、スタンプは家紋が精緻に彫られている。
ファートは揃えられた一式の道具を前に、ペン先へ適量のインクを付けて壺の縁で軽くインクを拭ってから、便箋へとペンを滑らせる。
ファートの字は最初の一文字が縦に大きく、やや丸みを帯びている。
その字は読みやすく、美しい。
マエリスとアニエスはその招待状の中身を見ないよう、ファートの両側へと控えてまっすぐ前を見つめている。
ファートが書く文字は黒インクが美しく光り、便箋に吸われて滑らかになる。
一枚目の招待状ができると、ファートはその便箋を角を合わせて丁寧に折り封筒へと納めて封蝋を垂らしてスタンプを押す。
そして、封筒の裏面に相手の名前と自身の名前を記載する。
その行動を何度も、何度も繰り返していく。
そして、最後に最も重要な一枚を書き始める。
“親愛なるアルセーヌ様”
その一文から始まる招待状は他の招待状とそう変わりはしない。
しかし、より一層心を込めているのか、文字は美しく便箋の上を踊っている。
ファートにとって、アルセーヌが舞踏会へ参加してくれることは、もっとも重要な喜びであった。
最後に裏面へ名を記載すると、重要な上級貴族、王族、また大臣たちへの招待状を書き終える。
「アニエス、この手紙を郵便へ持って行ってくださる? 王族へは、直接王城へお願い」
「かしこまりました」
アニエスが深く頭を下げ、腕に掛けられた木籠へと丁寧に封筒を入れていく。
「王城へ届ける招待状は、騎士に護衛をして頂いて。アニエスは行く前に騎士団の詰所へ寄ってちょうだい」
「かしこまりました、お嬢様。必ずお届けいたします」
「ええ、あなたのこと、信用しているわ」
ファートはそう告げると、マエリスへと視線を向ける。
「マエリス、これからクチュリエがいらっしゃいますから、髪を上げていただけるかしら」
「かしこまりました」
マエリスは頭を下げ、立ち上がったファートのドレス裾を軽く持ち上げてドレッサー前へと向かう。
ドレッサーに座ったファートの柔らかく長い髪を、マエリスは優しく纏めて編み込んでいく。
編み込んだその髪を後ろで纏めていく。編み込まれた髪へパールと金のリボンを編み込む。
その時だった。
屋敷のノッカーが鳴らされる。そして、メイドにより扉がノックされる。
「お嬢様、クチュリエのシャルル・フレデリック・ウォルト様がご到着なされました」
その言葉を聞きながら、ファートは白い肘までもを覆う手袋を着用する。
「そう、まずお姉様方を応接間へお連れいただける? 第一応接間が良いわ。それから、ウォルト様を応接間へご案内して、シャンパンをお願い」
「かしこまりました」
扉向こうで告げたメイドに、ファートは立ち上がり、扉へと向かう。マエリスは扉を開けて、ファートが足を止めなくても良いように努める。
シャルルがデザインした薄金色のヒールが、静かに一定の間隔で床を叩く。
第一応接間へ到着すると、その扉の前へ二人の姉が到着していた。彼女たちは繰り返される運動と、いままでよりも少ない料理に体型がほっそりとしており、ドレスに着られているような様子が随分マシになっていた。
「ごきげんよう、ジャンヌお姉様、オリーブお姉様」
「あ、ああ、えーっと、こんにちは」
「おい、ごきげんようだろ、こないだコゼットさんが教えてくれたじゃないか!」
言葉遣いと立ち姿はまだまだただの平民でしかない二人に、ファートは困ったように唇を指先で隠す。
第一応接間の扉が開かれ、まずファートが足を踏み入れ、一番上の姉であるジャンヌが入り、次いで二番目の姉であるオリーブが入る。
「それでは、シャルル・フレデリック・ウォルト様をお連れいたします」
コゼットがそう告げて深くお辞儀をすると、部屋を出て玄関へと向かう。
ほんの数分でシャルルは姿を現す。静かな靴音は、革靴の裏にゴムが貼られているのだろう。
黒い髪に黒い髭をたっぷりと蓄えた、濃い茶色の目をした男性である。
その体はシルクのシャツで覆われており、首元にはリボンタイが飾られている。ベルベットのパンツは美しく光を反射し、靴は美しく磨かれている。
ジャケットとハット、ステッキは玄関で預けているのだろう。
「ごきげんよう、ファート嬢。またあなたにお会いできて光栄です」
柔らかな声に、ファートは「わたくしもですわ」と微笑み、その手指を揃えて差し出す。
シャルルはその手を軽く取り、指先へと口付ける。
ふと、シャルルが所在無くそこに立っている二人の姉へと視線を向ける。
「ファート嬢、あちらは?」
「そうですわ、ご紹介しなければ。こちらはわたくしの義姉の、ジャンヌ・アーミッティウスとオリーブ・アーミッティウスですわ」
シャルルはその二人をじろじろと見つめる。その唇は固く引き結ばれており、いまにも「このふたりが?」とでも言いそうである。
「そうでしたか、ですがその……どうにも貴族には」
「はい、ほんの二ヶ月半前に平民からアーミッティウス家へ訪れましたの」
「なるほど……それで、ファート嬢。本日のご要件はどのような?」
シャルルの言葉に、ファートは微笑む。
「三ヶ月後に、わたくしが主催をします舞踏会がありますの。その時のドレスをお作りいただきたいのと、お姉様おふたりの舞踏会用のドレス、普段使いのドレス、ネグリジェをお作りいただける? 日傘とバッグも欲しいわ」
シャルルは軽く顎を撫でてから、重々しく深く頷いた。
「分かりました。では……最初に舞踏会用のドレスをお作りしましょう」
シャルルがそう言うと、ファートは嬉しそうに「ええ、楽しみですわ」と告げるのだった。




