第四話
二人の義姉がアーミッティウス家へ来てから二ヶ月と半分が経ったその日、不意にファートは思い立った。
「おはようございます、お嬢様。起きていらっしゃいますか」
「ええ、入ってよろしくてよ」
今日もまた、アニエスとマエリスがしずしずと部屋へ入ってくる。
アニエスは扉を開き、マエリスが押すメイドワゴンが引っかからないように押さえる。
そのワゴンの中には、ファートが使用するためのメイク用品やシャワー用品までが入っているため、必需品なのだ。
「おはようございます、お嬢様」
「ええ、今日は予定があるから、お父様にお時間を頂けるか伺って頂ける?」
「かしこまりました、では本日のお風呂はわたくし、マエリスが担当させて頂きます」
「それでは、わたくしは旦那様の専属執事へと連携をして参ります」
アニエスは踵同士をぴったりと付け、爪先を四五度に開いたまま深く頭を下げる。
マエリスの手によって磨き上げられたファートは、彼女の手によってギチギチと音が鳴るほどにコルセットを締め上げられる。
その上に体へ吸い付くような絹で作られたペチコートを着用し、クリノリンを腰へと取り付けられる。
「本日、お父様の了承を頂けたらクチュリエをお呼びするから、彼のデザインしたドレスを選んでちょうだい。アクセサリーはそれに似合うものを」
「かしこまりました、お嬢様。それでは、ウォルト様がデザインされたドレスですので、クリノリンではなくバッスルへ変更させて頂きます」
「ええ」
先程ファートの腰へ取り付けられたクリノリンを外し、代わりに後ろ部分が膨らんだバッスルへと変更される。
白金の布と金、銀の糸で精緻な刺繍が施されたバッスル・スタイルドレスを着用する。
マエリスの手で背中の留め具が閉じられていき、ドレッサーの前へファートが座った時、ドアがノックされる。
「お嬢様、戻りました。お入りしてもよろしいでしょうか」
「ええ、結構よ」
「失礼いたします」
ドアを開きアニエスがその体を部屋へと滑り込ませる。
「失礼致します。お嬢様、旦那様が朝ですとお時間を取っていただけるとのことです」
「そう、では早めに準備をしなければいけませんわね」
メイクの最後に白粉を叩き、ファートは立ち上がる。その頭にはパールで作られた髪飾りが取り付けられ、同様にパールで作られたピアスとネックレスで体が飾られている。
ヒールは美しいシルバーの糸で織られたもので、ファートのお気に入りであった。
手には薄い金色のクラッチが輝いている。
「行きましょう」
マエリスが差し出した手へ自身の指先を重ねて立ち上がったファートがゆっくりと歩き出すと、その後ろをアニエスがドレスの裾を軽く持ち上げて歩き出す。
屋敷の二階、最も奥まった場所に家長であるアドルフの部屋はある。
重厚な樫で作られた扉には精緻な模様が掘られており、その四隅と中央にはアーミッティウス家を示す城のクレストに赤と黄色の本を模したリース、黒い盾地には貿易船と錨、広大な畑を示す花々が描かれている。
両側にはサポーターである黄金のユニコーンが盾を支え、周りには黒地のカーターが美しく飾られている。
スクロールには“L'autre est mon ami.”と書かれている。
その扉前にはアドルフの専属執事が立っている。彼はファートの姿を見ると微笑みを浮かべて四五度のお辞儀をする。
「おはようございます、お嬢様。ご主人様がお待ちです」
そう告げると、執事は扉をノックする。
部屋の中からアドルフの低く静かな声が聞こえ、執事がその重厚な扉を開く。部屋の壁際には数多の本が入った本棚が並び、入口側へ向けられた、樫で作られた頑丈な机には蜜蝋で作られた蝋燭が灯っている。
その机の上には数えられないほどの書類が積み重ねられている。
「どうしたんだ、ファート」
「おはようございます、お父様。お目通りさせて頂けて嬉しいですわ。わたくし、ドレスを新調させて頂きたいのです。それと一緒に、お姉様方にもドレスをお作りしていただきたいのですわ。いかがでしょう」
アドルフは「ふむ」と彼の細い顎を撫でる。
そして、面白そうに唇を笑みの形に歪めると、彼は頷く。
「良いだろう。なら、せっかくだ。ファートももうじき成人だろう、メイドや執事の力を借りても構わないから、舞踏会を開いてみろ」
アドルフの言葉に、ファートはその美しい形をした唇へと指先を触れて小さく唇を開く。
「まあ、よろしいのですか? わたくし、ずっと舞踏会を開いてみたいと思っておりましたの。公爵家のご友人もお誘いして、……わたくしの婚約者も来て下さるかしら」
「来てくれるだろう、アルセーヌ王子は招待の届いた舞踏会には訪問する方だ」
「嬉しいですわ。アルセーヌ様にお会いできるの、お久しぶりですから。ありがとうございます、お父様! わたくし、素晴らしい舞踏会にしてみせます」
アドルフは頷き、「ウォルト殿には私から連絡をしておこう」と告げる。
「ありがとうございます、お父様。失礼いたします」
ファートは美しいカーテシーを披露し、部屋の中で待機していた執事が扉を開けるのを待つ。
執事は軽く礼をしてからそのノブを回し扉を開く。それにファートは微笑むことで返し、部屋を出る。
「アニエス、お姉様方へ本日第一応接間へ来て頂けるように言伝をお願いしても良いかしら」
「かしこまりました」
「マエリスは、わたくしをお部屋へ送ったら下女に軽いお菓子と紅茶を作るように伝えてちょうだい」
「かしこまりました」
二人の返事に、ファートは頷いて自身の部屋へと向かう。一階からは微かに、二人の姉へ付けたメイドが姉へ礼儀を叩き込んでいる声が聞こえてくる。
自身の専属メイドを二人とも姉へ付けることはできず、その日のうちに屋敷内のメイドから二人を選定したのだった。
一人はロゼール・シャネル・アルノワで、もう一人はコゼット・デュクロであった。
二人ともに貴族の娘であり、ロゼールは男爵の娘である。彼女は金色の美しい髪に大きな瞳をした女性で、アルノワ男爵家の一人娘であった。アーミッティウス公爵家で奉仕をすることで少しでも良い嫁ぎ先を見つけようという魂胆であったのだ。
コゼットは亜麻色の髪をした女性で、デュクロ子爵家の三女であった。シスターになるかメイドになるかと二択を出され、コゼットはアーミッティウス家のメイドになることを選んだのだ。
その二人のメイドが、オリーブとジャンヌへ礼儀作法を叩き込んでいる。
「マエリス、お姉様方の礼儀作法のお勉強はいかがかしら」
「はい、お嬢様。コゼットからあまり良い言葉は聞いておりません。礼儀作法を教え始めてから既に二ヶ月半が経過しておりますが、歩き方、体の使い方、言葉遣いに至るまで平民の癖が抜けないそうです」
マエリスの言葉に、ファートは困ったように眉を下げる。
「それは困りますわね。わたくし、お父様から舞踏会を開くよう指示を出されましたから、三ヶ月後までには形になってくださると嬉しいのですけれど……」
「どうでしょうか」
マエリスは一度ファートのドレスの裾を床へと下ろして彼女の部屋の扉を開く。
彼女の部屋の扉は白樺で作られているため、アドルフの部屋の扉よりも僅かに明るい印象を与えている。
扉が開かれると、その中へファートは足を踏み入れて柔らかなクッション座面の椅子へと進む。その上へと座ると、マエリスは「それでは、キッチンへ行ってまいります」と告げる。
「ええ、それから、モンラッシェを頂けるかしら」
「かしこまりました、すぐにお持ちします」
マエリスの言葉にファートは微笑むことで返し、机の上へと立てられていた本を手に取り、ページの半ばほどに挟まれていた栞を取ってページを捲り始める。




