第一話
──マートゥム歴 三〇二二年聖乙女の月。
雨がしとしとと道を濡らし泥濘むその日、ファート・ドゥ・リシャール・アーミッティウスは白いネグリジェ一枚で街を引き回されていた。
降り注ぐ雨に、彼女の白磁の肌へネグリジェは張り付き、彼女の淑やかな肌と柔らかな胸を、しなやかな脚までもを衆目の元へと晒していた。
男性に肌を晒したことも無いファートは、粗野な男からの歓声と下品な口笛に、小さく鼻を啜り、しかししっかりと前を見る。
ファートの美しいホワイトゴールドの髪は濡れて彼女の体へとまとわりつき、金色の瞳は羞恥に濡れている。
彼女は裸足を傷付けながら、自身へと死を与えるギロチンへと歩を進める。
辿り着いた断首台からは、僅かな鉄錆の臭いが漂う気すらした。過去にこのギロチンで無念を散らしていった者たちの香りなのだろう。
その瞬間だった。ファートはその体を執行人に押さえ付けられ、美しく穢れを知らない長い髪を後ろで掴まれる。
「何をするのです!」
思わず上げた声にも、執行人は反応などしない。
身を屈ませられたファートのネグリジェから、彼女の双丘が零れる。
その瞬間、言葉にならない羞恥にファートの瞳から涙が溢れ、彼女の幼気な反応に男たちの口笛と歓声が一層激しくなる。
ファートはその背中を執行人に踏みつけられ、美しい髪をほとんど根元から鋏で切り落とされる。
淑女たれと両親から厳しく躾られてきたファートにとって、長く美しい髪は重要なものであった。
「やめて、……どうか、どうか許して……」
震えるファートの声に、執行人が唾を吐きかける。
「恨むんなら王族へ謀反を謀った自分を恨むんだな」
「わたくし、そんなこと……」
ファートは全てを言わせてもらえることもなく、断首台へとその首と手首を固定される。
ファートの呼吸が浅く、速くなる。恐怖から彼女は失禁し、それだけが雨に濡れ震えていた彼女の体を暖める。
斧が振り下ろされる鈍い音が聞こえ、刃が擦れる鋭い音がファートの耳へと届き、そして彼女は首を失い崩れ落ちる自分の姿を、空を舞いながら見つめたのだった。
ファートは飛び起きる。
彼女の体は汗でしとどに濡れ、その呼吸は荒く美しい金色の瞳からは涙が溢れていた。
思わず自分の首へと手をやり、そこが繋がっていることに安堵してもう一度涙を流す。
「ここは……わたくしは、死んだのでは……」
囁くようなファートの声は掠れていた。
外はまだ日が昇りきっておらず、空の裾から光が差しているだけだった。
「……ゆめ……なんて、なんて嫌な夢……良かった……」
ファートはしなやかな自身の腕で細い体を抱き締める。ふと、彼女は自分の手指が記憶よりも細く小さい気がすることに気がついた。
ベッドへと座ったまま、自身の腕を伸ばしてまじまじと見る。
「わたくし……こんなに小さかったかしら」
彼女は立ち上がり、ルームシューズへと足を入れるとクローゼットの扉を開き姿見を露出させる。
その鏡の中へ映ったファートの姿は、彼女の最後の記憶である一九歳の頃より四年は前である、一五歳ほどの容姿をしていた。ホワイトゴールドの緩い巻き毛はまだ胸の下ほどまでしか無く、目鼻立ちにもまだ幼さが残っていた。
「そうだわ。もしも、今日が三〇一八年なら……わたくしにお姉様ができるのだわ」
ファートは頬を赤らめ、嬉しそうにその白い指で両頬を包む。
その日は、彼女に三歳年上のオリーブ、二歳年上のジャンヌという腹違いの姉が訪れる日であった。
愛人であった平民のデュオンヌ・カピュソンが亡くなったことで、父であるアドルフ・デュ・ベニシュ・アーミッティウスが二人の娘を連れ帰ったのだ。
ファートの母であるサロメはアドルフへ「相談もせずそんなことを!」と声を荒らげてはいたが、最後には折れて二人の少女を娘として迎え入れたのだ。
「わたくし、ずっとお姉様が欲しかったから、とっても嬉しかったの……こんなに嬉しい気持ちを、二度も……二度、も……」
不意に、ファートの言葉が途切れる。
「どうして、わたくし……お姉様が訪れることを、知っているの?」
ファートは思わず唾液を嚥下する。そして、鏡の中の自分と視線を交わした。
ホワイトゴールドの長い髪、大きな金色の瞳は長い睫毛で彩られている。
先程まで火照っていた白い肌は、いまは色を失い薄青くなってすらいた。
「わたくしは、どうして……未来のわたくしの姿を、知っているの」
呼吸が僅かに揺れる。
「わたくしは……夢で、未来を……見てしまったというの……?」
震える声が、空気を僅かに揺らした。
「この、わたくしが……アーミッティウス公爵家の第一子たるわたくしが……第一王子の婚約者たるわたくしが……」
言葉を一度飲み込んだファートは、怯えたような瞳で鏡の中の自分を見つめて、赤い唇を開く。
「第一王子の婚約者たるわたくしが……王族へ、謀反を謀ると、いうの……?」
ファートは鏡の前から二時間もの間、動くことができなかった。
夢の中と同じ白いネグリジェには、夢とは違いドロワーズを身に着けている。傷付いていた足にはルームシューズを履いている。
「違います……わたくしは、決して……決して、この国を裏切ることなど、しませんわ……」
囁くような声が、部屋の空気を揺らす。
その時だった。
扉が静かにノックされる。
「お嬢様、起きておられますか」
静かなメイドの言葉が優しく耳へ届く。
「ええ、起きてます。どうぞ、入ってらして」
「失礼します」
普段からファートの世話を申し付けられている二人のメイドが部屋へと入ってくる。
栗色の髪は決して一本も見えないよう白いリネンで作られたキャップへ押し込められ、後ろ髪は纏められている。木綿のスカートに白いエプロンが垂れたメイド服で、二人のメイド──アニエス・ビガールとマエリス・モニエが入ってくる。
「おはようございます、お嬢様」
「ええ、ごきげんよう」
「本日はご主人様により、重要な会食があると申し付けられております」
アニエスからの言葉にファートは頷く。
「そう。会食なら、今日は柔らかな印象のドレスがいいわ」
「かしこまりました」
「お嬢様、お湯の準備をしておりますので、こちらへおいでください」
マエリスが告げ、ファートの前をしずしずと歩く。ファートの部屋の隣に併設されている浴室へと足を踏み入れると、そこには外から運び込まれた暖かな湯で満たされた浴槽が置かれている。
その前で、マエリスがファートのネグリジェのボタンを外し、その体へと温かな湯をかける。
その瞬間、ファートの呼吸は僅かに乱れる。
しかし、彼女はそれを悟られないよう目を閉じて呼吸を整える。その、ほんの数瞬のファートの動揺はマエリスには伝わらなかった。
「お嬢様、温度は問題ありませんか?」
「ええ、問題無いわ」
ファートが浴槽へとその身を沈めて深く息を吐き出す。そのホワイトゴールドの髪を、マエリスは桶に溜めたお湯で優しく濯ぎ石鹸を泡立てて丁寧に洗う。
たっぷりの香油で華やかに仕上げられたファートの体が薄布で拭われ、白い肌の上へコルセットを着用する。
呼吸が浅くなるほどにきつく締め上げられた体にも苦鳴ひとつ零すことも無く、柔らかな若草色のドレスを身に纏う。首元から手首まで隠し、裾は長く後ろへ垂れている淑やかなドレスだった。
ドレッサーの前へ座ったファートの美しい髪は何度も櫛を通され、パールで飾られる。
彼女の顔へ、化粧が乗せられていく。ファンデーションに、最も白く美しく顔を整えるヴェネチアン・セルースが叩かれる。
そして、最後にピンク色をしたルージュで唇を飾り、ファートは立ち上がる。
「どうかしら」
「お美しいです、お嬢様」
「本日の会食での主役になれますわ」
二人のメイドの言葉にファートは微笑むことで返し、ルージュと同じピンク色のヒールを履く。
ファートのために扉を開けたマエリスに視線を向け微笑むとゆっくりと歩く。




