崩壊
紗雪さんは、案外あっさりと貸してくれた。
「いいわよ」
その一言だけで、念書も何も求めず、その場で私の口座に300万を振り込んでくれた。
「まあ、飼い主として病院代くらいは出してあげるわ」
私はただ、ただ頭を下げた。
どんな言葉を返しても足りない気がして、声にならなかった。
感謝も、屈辱も、怖さも全部入り混じって、喉がつかえたままだった。
---
店には絶対に言えない「個引き」をしてしまった。
でも昌也にだけは、全部打ち明けた。
きっと、共犯者になって欲しかったのだと思う。
理解してくれるなんて甘い期待をしていた。
でも、昌也は激しく拒絶した。
「信じられない。お前は変わった。
300万円だぞ。分かってんのか?
そんな女じゃなかっただろ?」
「頭冷やすわ」
そう言って、上着と財布だけ掴んで家を出て行った。
このままじゃ、私を殴ってしまいそうだからって。
---
私は殴られたってよかった。
殴ってでも、そばにいて欲しかった。
どうして、どうして昌也に相談せずに、紗雪さんにお金を借りてしまったんだろう。
昌也のいない冷たいベッドに潜り込んで、泣き疲れて眠った。
真夜中に目が覚めても、昌也は帰ってこなかった。
---
次の日、バイトも店も休んで、母の病院へ向かった。
母の病状が悪化したのでと職場に連絡して、今月末まで働いたら、その後しばらくお休みをもらうことにした。
結局、朝まで昌也は帰らなかった。
でも、今夜こそちゃんと話し合おうと思っていた。
一度全部話して、謝って、しばらくは二人で過ごすって決めていた。
時給がいいだけで昌也が嫌がる仕事はもうしないって、そう約束するつもりだった。
もっと深い夜職に踏み込むのはやめようと思った。
病院の治験でも、長距離トラックでも、何だってやるつもりだった。
最初からそうすればよかったのに。
病院の会計で支払いの手続きをして、
「お願いします、母を助けてください」
と頭を下げた。
仕事で来られないことも考えて、前払いにさせてもらった。
---
家に帰ると、部屋の空気がどこか違った。
静かすぎて、胸がざわついた。
クローゼットを開けると、昌也の服だけが消えていた。
パニックみたいに部屋中を探し回った。
キッチンカウンターの上に、封筒と手紙が置かれていた。
『好きな女は自分が守りたかった
でも300万は無理だったから、50万だけ置いていく
さよなら』
封筒の中には、綺麗に数えられた50万円が入っていた。
慌てて昌也に電話をかけた。
LINEを送った。
全部ブロックされていた。
共通の友達にも連絡を取ったけれど、
「300万はないわ、人格疑うわ」
「昌也はもう連絡取りたくないって」
誰も繋いではくれなかった。
---
部屋で泣き崩れた。
どこで間違ったんだろう。
第四王子になった時?
ビールを運んで、初めて指名をもらった時?
それとも、コンカフェで働こうと思ったあの日?
一番そばにいて欲しかった人の温もりを、自分で手放してしまった。
それが、何より悲しくて、苦しくて、たまらなかった。
---
それでも生きていかなければならない。
思い描いた私になれなくても、
まだ母がいるのだから。
紗雪さんからのDMが届いた。
同伴のお誘いだった。
紗雪さんにも、今月末でバイトを休むことを伝えなくてはいけない。
お金もきちんと返すと伝えなくては。
私は紗雪さんに返信するためにスマホを手に取った。






