表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Cendrillon  作者: しし
2/7

指名卓



バイトを終えてようやく店を出たとき、夜風が冷たかった。

家に着くころには、もう24時を回るだろう。

紗雪さんにご馳走してもらったフードを少しつまめたし、あとはもう寝るだけだ。


電車の中ではため息ばかりついていた。


男装してる“だけ”の私に、どうしてあんなにお金を使ってくれるんだろう。

そんなことを考えてしまう。

王子役をちゃんとこなせているのか、期待に応えられているのか、不安で仕方なかった。


最寄り駅に着くころには、少し肩の力が抜けた。

『ショウ』から、本当の私『翔菜かな』に戻れた気がした。


ようやくアパートのドアを開けると、ふわっと灯りと生活音が出迎えてくれた。

奥のキッチンから同棲相手の昌也の声がする。


「おかえり、翔菜。……なんか食べる?」


歯を磨きながらこちらを向いた昌也が、目を細めて笑った。

その声を聞いた瞬間、さっきまで胸を締めつけていた重いものが少し溶けた。


「ありがとう、平気。もう眠い」


私がそう返すと、昌也は「おつかれ」って、低い声で笑った。

その言い方が妙に優しくて、じんわり胸が熱くなった。


お風呂から出ると、昌也がキッチンで甘酒を温めていた。

「身体にいいんだぞ。甘酒は飲む点滴だからな」

得意げに言うのがちょっと可笑しくて、タオルで髪を拭きながら笑ってしまう。


「点滴って飲むものじゃないでしょ」

「うるせーな、素直に飲め」


こんなくだらない会話がすごく大事だった。

一口飲むと、あたたかくて甘くて、疲れた身体に染み渡る。


飲み終わった頃、昌也が「歯磨けよ」って言いながらタオルを奪ってくる。

「はいはい」って口答えしながらも、心は軽くなっていた。

この人の前では変に取り繕わなくていい。

素のままでいられることが、たまらなくありがたかった。


電気を消した寝室で、背中からぎゅっと抱きしめられる。

昌也の胸に顔を埋めると、全身の力が抜けた。


「お母さんのためだからって、頑張りすぎんなよ。……俺は本当は、コンカフェで働いてほしくない」


耳元で低くささやかれる声に、少し胸が痛んだ。

「……ごめん。わかってる」

本当は泣きそうだったけど、なんとか言葉を絞り出した。


昌也の腕の中はあたたかくて、安心で、幸せだった。

そのまま眠りに落ちる寸前まで、私は彼の体温を感じていた。


白く冷たい指が、私を捕まえようとしていることに気づかないままで。



---


紗雪さんから場内指名をもらった週の土曜日。

今日はバイトがフル稼働の日だ。


カバンに携帯をしまおうとしたとき、通知が目に入った。


『今日、出勤ですか?』

紗雪さんからのDMだった。


(あー、失敗した……)

お姫様のほうからこんな連絡をさせるなんて。

後悔しながら、慌てて返信を打つ。


『出勤です。来てくれたらすごく嬉しいです』


画面を覗き込んだ昌也が「新兵かよ」って笑う。

私の精一杯の営業努力を笑うな、と軽く睨んでから、急いで服を着替えて玄関を飛び出した。


今日は開店前に、侍従長から“ありがた〜い接客マナー講習”がある。

私のため……紗雪さんのため……いや、結局は「お金のため」に時間を取ってくれる個人レッスンだ。


遅れるわけにはいかない。



---


案の定、講習では今日のDMのやり取りをダメ出しされた。


営業手段として「焦らせて追いかけさせる」のはアリだが、

「お前のはただの怠慢」だそうです。

……そのとおりです。


結局、今日の指導内容はこうだった。


1. 出勤日の事前共有


2. 毎日2回姫に連絡


3. 出勤日には営業DM


4. 行けないと言われたら寂しがり、行くよと言われたら喜べ


5.公式アカウント以外でのDM禁止



「まぁ結論は、素直なフリをしろってことだ。

男装キャストに求められてるのは“安心できる王子”だ。

怖がらせるな。

守ってくれるって思わせろ。

いいな。大事な太客だ。

優しくても、甘ったれさせても、最後は金を落とさせろ。

忘れるなよ」


そう言い捨てて去っていく侍従長の背中を見送りながら、

私の頭の中では

『手厚い、ありがたい、めんどくさい』

の三重奏が鳴っていた。



---


店が開店し、ドリンクやフードの対応で慌ただしくしていると、

衛兵の一人が来て「紗雪さんの来店と指名」を伝えた。


よし、と気合を入れて営業の空気をもう一度まといなおし、

私はエントランスへ向かった。


「紗雪さん、お待たせいたしました。本日ご案内させて頂きます、第10王子ショウです」


寂しげな表情をした紗雪さんに、そっと腕を差し出し声をかける。

彼女は私の腕に手を添え、歩き出した。


「……あやさん、まだ連絡ないんだ」


切ない声に、かける言葉が見つからなかった。

私はただ、そっと手を重ねて、そのままソファ席まで案内した。



---


席に着くと、紗雪さんは気を取り直したように、よく飲み、よく話してくれた。

たまに席を離れることもあったが、基本的にはずっと紗雪さんの卓についた。


ただ、話題のほとんどは別世界のことばかりだった。

仕事のパーティーの話、美術、芸術の話。

私にできるのは「へー」「すごい」「ほー」みたいな相槌だけ。


唯一ちゃんと話せたのは、食べ物の話だった。

パーティーや会食で食べた料理のこと、提供の仕方、使われているスパイスや食材、盛り付けや食器の話。

全部が新鮮で、知りたいことだらけで、気づけば


「食べてみたい」


なんて、子供みたいなことを口走っていた。


紗雪さんはコロコロと笑った。

「そんな目で食べたいなんて言われたら、困っちゃうわ。……まるで子犬ね」


恥ずかしかった。

自分の語彙力のなさ、知識のなさ、不甲斐なさ。

褒めてもらいたくて尻尾を振る犬みたいだ、と思ったら、押し潰されそうだった。


これが、私の「初めての指名卓」だった。

甘くて、苦い時間だった。





コンカフェと書いていますが、

ややホストよりかもしれません


同伴あり

アフター禁止

店外デート禁止

営業DMあり

フラワースタンドあり

シャンパンあり

指名制度あり

永久指名制度無し





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ