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Cendrillon  作者: しし
1/7

出会い

「行くしかないか」

急に届いたバイト先からの緊急呼び出しに、「行けます」と返事を打ちながら呟いた。


昼は飲食店、夜は男装コンカフェ。

休む暇なんてない。でも、やらなきゃならない。

バイト代10万円がなければ、どれだけ節約しても入院費は払えない。

母さんのためだろ、と自分を叱咤する。


ロッカー室で制服を脱ぎ捨て、深いため息をつく。

時計を見ると血の気が引いた。時間がギリギリだ。

バッグを掴んで、冷たい夜の街に飛び出した。



池袋駅から徒歩7分。

小さな雑居ビルの4階に男装カフェ『Cendrillon』はある。

キャストは“王子”、お客さんは“お姫様”。

店長は“侍従長”、黒服は“衛兵”と呼ばれ、店全体がちょっとした舞台のように役割を演じるコンセプトだ。

座席数30、所属する王子も10人しかいない。私はその末席、第10王子だ。


ただ、キャストが調理補助まで全部やる小さな店だからこそ、食品管理資格を持っている私は意外と重宝されていた。

正直、自分には似合わない世界だが、シフトを入れてもらえることには感謝しかない。


ビルの階段を駆け上がりながら、息を整える。

店の扉を開けた瞬間、空気が変わった。

湿気のように重たい気配。いつもより笑い声が少ない。

エントランス脇のスタッフルームの前で一瞬ためらったが、ノックして中に入った。


「あー、ショウくん! 助かるわ! 今すぐドリンク入って!」


侍従長の声が響く。

バッグをロッカーに放り込みながら荒っぽく指示を出してきた。

いつもの軽さはあっても、声が鋭く、目が明らかにギラついている。


「……何かあったんですか」

怖くて聞けないはずなのに、口が勝手に動いた。


侍従長は答えずに出て行った。

慌てて近くの王子に目をやると、相手は曇った顔で小さく口を開いた。


「……彩葉さんが飛んだって」

「え?」

「紗雪さんとの同伴、ドタキャンして……そのまま消息不明」


ゾッと鳥肌が立った。


彩葉さんはこの店で一番の有名キャスト、第2王子だ。

このお店には人気・実力ともに圧倒的な二人の王子がいる。


一人目は“知名度の彩”。SNSでバズを稼ぎ、新規の姫様はだいたい彼女目当て。

写真では完璧、リアルでも強引な王子様スタイルで心を掴む。

しかし、お姫様同士が指名をめぐって揉めることも多く、長く指名してくれる人は少ない。


二人目、第1王子の遊さんは“実績の遊”。

友達みたいに安心させてリピーターを掴む。

この店は永久指名制じゃないから、彩葉さんから遊さんに乗り換えるお姫様もいた。


そのバランスで成り立っていたお店。

その第2王子が、唯一長く通っていた太客・紗雪さんとの同伴をすっぽかして消えた。


冷たい汗が背中を伝った。

店の空気が張り詰めていた理由が、ようやく分かった。

シャレにならない事態だった。



その後は無言でドリンクを作り続けた。

王子たちも侍従長も、彩葉さんの客対応でピリピリしている。

グラスが割れる音がしても、誰も謝らなかった。


この日は目立たないことが肝心だった。

余計なことを言ったら、自分に全部飛んでくる。


ドリンクの注文が一段落した頃、衛兵の一人が近寄り声を潜めた。


「ソファ席にいる侍従長のヘルプに入ってください」


言葉より、表情のほうが怖かった。

「絶対に機嫌を損ねるな」と目が告げていた。


作るドリンクももうなかった。拒否権はない。


おしぼりを手にソファ席へ向かう。

そこには侍従長と遊さん、そして同伴をすっぽかされた紗雪さんがいた。


紗雪さんは二人の間に座り、誰もいない空間を見つめていた。

近づくと、侍従長が軽い調子で言う。


「紗雪さん、若くて可愛いのが来たんで、俺はしばらく席を離れますね。

呼んでくれたらすぐ戻りますよ」


紗雪さんは小さく頷き、私に一瞥をくれた。


「こんばんは、お席につかせていただくのは初めてです。

第10王子ショウといいます、どうぞよろしくお願いします」


紗雪さんは私を見なかった。

虚空をじっと見つめ、たまに何かを追うように目を動かす。

まるで、本当にそこに誰かが座っているみたいだった。


遊さんが話を振ると、紗雪さんは小さく返事をした。


「あやさん、平気かな……?」

「……どこ行ったんだろう」

「……大丈夫だよね?」


同じ言葉を何度も呪文のように繰り返す。


遊さんは必死に笑顔を作りながら答えた。


「大丈夫ですよ」「きっと連絡来ます」


でも声が少し震えていた。


私もおしぼりを畳む手が止まった。

呼吸が浅くなるのが分かった。

誰もが太客を怒らせないように、壊れ物を扱うみたいに言葉を選んでいた。


遊さんの笑顔もだんだん引きつっていた。

でも紗雪さんは同じ言葉を繰り返し続ける。


喉がカラカラだった。

このままだと本当にヤバい。

侍従長もいない。衛兵も助けてくれない。

遊さんがちらっと私を見た。

「なんかして」って、無言で命令してきた。


飲食店では、笑顔で場を持たせることも仕事だった。

子ども連れの団体客が泣き叫んだとき、芸みたいなことをして時間を稼いだ。

あのときは笑ってもらえた。

ここは舞台。俺は王子。“王子”ができないなら、“道化”でもやるしかない。


心臓が跳ねた。新人だって言い訳はできない。やるしかなかった。


「……あの、紗雪さん」


そっと声をかけると、紗雪さんの目線がゆっくり私に向く。

まだ冷たい。でも、やるしかなかった。


「俺、ビールジョッキ12個同時に運べるんです」


唐突だったかもしれない。

でも口は止まらなかった。


「昼の飲食店で働いてて、そのへんのスキルだけめちゃくちゃ鍛えられてて」


遊さんが一瞬目を丸くした。

紗雪さんは何も言わない。でも少しだけ目が動いた。興味を持ってくれた?


「……見てみたい?」


沈黙のあと、かすかに顎が動いた。頷いた。

心臓がドクンと鳴った。行ける、やるしかない。


「じゃあ、ちょっと待っててください」


慌てて立ち上がり、バーカウンターに飛び込む。

ジョッキを素早く用意し、片手に4個ずつ持ち、さらに上に2個を積んだ。左右で計12個。

こぼすな、崩すな。できるはずだ。


ビールをなみなみ注ぎ、呼吸を整える。

店内の視線が一斉にこちらを向いた。

王子も衛兵も一瞬動きを止めた。

でも私はやった。


「お待たせしましたー!」


ゆっくり、崩れないように慎重に。

でも堂々と、演技も込めて。ソファ席まで運ぶ。


紗雪さんの目が見開いた。

遊さんも「おおっ」と声をあげた。


ソファのテーブルにきれいに12個並べたとき、

紗雪さんは初めて、少し笑った。


「……すごいね」


小さな声だった。でもちゃんと笑っていた。


「……あやさん、こういうの見たら笑ってくれたかな」


ぽつりと呟いた紗雪さんに、遊さんがすかさず声を弾ませた。


「紗雪さん、ショウくん、場内指名どうですか?

今日だけの特技披露料金なしサービスですよ〜」


紗雪さんは目を伏せて、でも口元は緩んで「……うん。指名で」。


その瞬間、遊さんも私も同時に小さく息を吐いた。

ソファの空気が少し柔らかくなった。



彩葉さんは今どこで、何をしているのだろう?

接客中にふと思うたびに、考えるのをやめた。


この街の闇は深く、

覗き込んだら落ちてしまいそうだから。







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