関係妄想
妄想に始まり、暴走に終わる。
藤原メシヤを一言であらわすと、そうなるだろう。
(馬鹿は死ななきゃ直らないって言うけど、メシヤは死んでもこのままの気がするわ)
馬鹿は天才に勝る。
「何か言いたそうだね、マリア」
顔に出ていたかと取り直すマリア。
「あんたも根気とよくやるわねえ」
妄想が実を結ぶことは、残念ながら少ない。ところがわれらが主人公のメシヤは、そこから形あるものへと、曲がりくねりながらも軌道に乗せて行く。
「マリアさま。やり続けなければ、ゴールへは辿り着きませんから」
レマはメシヤのそこに惹かれている。
「そうじゃなキャ、あんな変わったメニュー作れないヨ」
普通だったら、『そんな売れない物を作るな!』で終わりである。
「異様にネアカよね。起こったことをなんでもプラスに置き換えるというか。
関係妄想とは、どんな出来事でも自分に関係があるように捉える一種の病気なのだが、果たしてこれを単に病気と決めつけて良いものかどうか。
「悪い出来事を自分に結びつけるのはそうかも知れんが、これが何か意味のあることなのかもしれないと感じるのは、優れたところだろう」
決して、自分中心に考えているわけではない。そうするとよくない出来事が起こることを、メシヤは熟知している。
「マリアによく『そんなの関係ないじゃない!』って怒られるなあ」
ダジャレはこじつけなので、なんでも結びつけてしまう癖がある。ちなみにこじつけのこじとは故事のことで、それっぽく言い表すことである。言葉の由来はダジャレで溢れている。
「マリアさん、お兄ちゃんのことお願いしますね」
どきっとするマリア。
「ノンストップで躰を壊すことがありますから」
割れ鍋に綴じ蓋のメシヤとマリア。
「あたしそんな自覚ないんだけど、メシヤといるとツッコミ役になるのよね」
ダウンタウンの見所は、ボケ役の松本氏がツッコむシーンである。
「僕もボケ役のつもりはないんだけどなあ」
いや、君は間違いなくボケだ。
メシヤの作品が完成した。各テーブルに飾る、金細工の調味料入れである。
伝統工芸の街・石川へは、幾度も訪れているメシヤ。
平時はともかく、有事のリーダーにはエンジニアの素養が求められる。
「工部省を復活させないとな」