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三  猪尾豊水の初講義


 さて。ここらで一度、物語の首座にこの時代の日本を迎えてやらねばなるまい。

 当時、この国は酔っていた。

 酔わしめたのはほかでもない、海を跨いだ大陸から吹いてくる風だ。

 西暦一八八八年、明治は二十年の節目を迎えた。二十年。赤子だった者の尻から青臭さが消えるまでの、ほんの僅かな時間である。その、国が生きてきた歴史を思えば、しゃっくり一ツほどなでしかないその内に、日本人は刀を捨て、髷を切り落とした。じゃんぎり頭をぽんぽんと叩き、牛を煮て食べ、葡萄酒を飲んだ。なるほど、西洋の先進諸国からしてみれば、猿に見えても仕方なかったかもしれない。矮小で、人真似ばかりする、肌の黄色い猿。この時代、ようよう“国家の一臣民”という意識を持ち始めた日本人は、どの国に行っても嘲笑された。


 その、猿の国にも、真似事以外で他国に誇れる分野があった。学問がそれである。


 東京大学予備門というものがある。

 明治は十年に設立された、当時の最高学府である。秋奈少年が上京する一年前には、第一高等中学校とその名を改めている。が、本質は同じだ。将来の内閣総理大臣を夢みる若き有志者は、皆一様にこれを目指した。

 そもそも我が国の教育水準は、鎖国体制の中にあり、諸外国の干渉を頑なに拒んでいた頃からして十分に高かった。

 その頃の日本は、いわば、藩という小さな国が集まる連邦国家である。西欧の小模型ミニチュア・ヨーロッパといってもいい。一単位の規模は小さいものの、同程度の力を持った国家が絶えず競合し、成長するという点では変わらない。更にまた、国の滞淹たいえんが連邦の長たる江戸に聞こえれば、地位が脅かされる恐れも往々にしてあるという点で、西欧よりも人物の教育にかける思いは強い。つまり、各藩がある程度独立した国家としてりながら、いつも御上の機嫌を窺わねばならない一種独特な日本の社会形態が、この国の教育水準を高らしめたというわけ。

 話を元に戻したい。

 東京大学予備門。改め、第一高等中学校。雇われている教師の大多数は外国人である。日本政府が諸外国よりあまねく求めた賢才異才の人物ばかりで、その年俸は、時の太政大臣・三条実美よりも更に高額だったという。そうまでして政府が学問により一層の力を入れた理由には、戦争の二文字が関わってくる。

 我が国の戦法は関ヶ原を終いに停滞して久しく、火器の知識も十分でない。そうでなくとも世界中が足並みそろえて帝国主義に走りつつあるこの時代だ。鎖国という鎧を脱いだ今、日本は猛獣の前に置かれた一斤の美肉に等しい。明治の世にあって、先進国に倣った指導者の教育と軍備の増強――白人が蔑んで言った“猿真似”というやつ――は、この国が生き残るためにすべからく為すべき大事だいじであった。事実、この時代最も西洋色が早く、深く浸み渡ったのは、かの予備門と陸海併せた軍部であったから、真似芸をして見せる猿は猿で大真面目だったのだ。

 とにかく、そういう歴史的背景は抜きにしても、第一高等中学校の書生と聞けば当然皆が一目置いた。自然、第一高等中学校こそ栄達の道の始発点たりという気運が満ちてくる。先に触れたように、酔郷とでもいうべきこの時代の日本では、一ツの流れが出来あがると、疑うでもなく皆が皆それに身を委ねた。細魚浦さよりうら秋奈も例外ではない。それに彼は十六歳、良くも悪くも、酔いの回りやすい年頃である。無論、存分に酔った。


 有難くも上京の切符を手に入れたこの酔いどれ小僧は、意気揚々と故郷は四国の地を発った。もちろん、目指すは第一高等中学校である。そのためにはまず適当な学舎に身を置いて、二年か三年ほど学ばなければならない。ならないのだ、が。

 ――落ちて、しもうた。

 国元の叔父の強い勧めで、通うなら春乃木学舎しかないと決めていた秋奈である。しかし滑った。面接官の前で鼻毛を抜いたのだ、結果など見ずとも知れている。

 と、思っていたのだが。


  ◇


 佐々木の使用人が、一通の封書を持って離れに走ってきたのは、例の大失態から五日の後。

 差出人・垣下大吉――春乃木学舎の学長である――と書かれたそれを、秋奈は摘まむようにして持った。その顔のしかめっぷりときたら、まるで汚れた褌を手にしたよう。それで、ため息さえつきながら封書を開いた。すぐに閉じた。が、刹那置いてからまた開いた。紙を破かんばかりの勢いである。そして墨の匂いが感じられるほどぐっと鼻を書面に寄せ、今度は舐めるようにして文字を追った。くりくりと、やや愛らしすぎるこの少年の目は、たった三行ほどの文書の上を、何度もせわしなく往復した。

『春乃木学舎ヘノ入学ヲ許可ス』

 間違いない。何度確かめてみてもそう書いてある。

 合格通知だ。

「よろしゅうございましたねぇ、坊っちゃん。今晩は鯛ですか」

 慎みもなく横から覗き見たか、年老いた女使用人が軽口を叩いたが、秋奈は苦笑することもできなかった。人間、あまりに喜怒哀楽の針が振れると、しばらく魂が散歩に出かけてしまうものらしい。

 追記しておくとこの秋奈少年、鯛などついぞ見た事もない。


  ◇


 転じて、こちらは細魚浦秋奈の故郷・讃州。

 製麺が盛んなこの地では、冬が深まるにつれて活気が増す。麺は冬に練られたものが一番美味いのだ。細魚浦の御母堂も、元は武家の女でありながら、あまりの貧乏に耐えかねて、この時期は製麺場へ手伝いにゆく。その帰り道、馬に跨った郵便配達員に会い、その場で便りを渡された。半月ほど前に上京した、家の長男からであった。

  ―― ヒト足先ニ“春”来タリ ――

 この一文から始まる手紙には、春乃木学舎に合格できた喜びと、以降机を並べることとなるともがらの名や出身地、印象などが、踊るような筆跡で丁寧にしたためられていた。家族はこれを見て驚いた。普段、感情を表すにもどこかのんびりとした秋奈少年であるから、この喜びようは珍しい。更には末尾に下手な俳句まで添えていた。


  羅馬字が桜よそいし春の上野


 どうやら作文の試験における一件を、彼なりの冗句で表したものらしい。(因ミニ此処ニ於ケル“冗句”ノ意味ハ、読者諸氏ノ御想像ニオ任セスル)が、いまだ四国より外に出た例のない細魚浦家に、大してその意味は理解されなかった。

 それよりも注目すべきは、この春乃木へ秋奈と同時期に入学した人物の顔ぶれである。

 後に三菱の創始者・岩崎弥太郎に認められ、明治の実業家としてその名を残す山内やまのうち陸枝りくえに始まり、大阪に移り、毎日新聞に入社したのち切れ味鋭い舌鋒をもって、日本の国会や政党の腐乱を滅多斬りにした笹山庄五郎、更には後年、英吉利イギリスに渡ってその実戦的戦術を学んだ安宍あじし優大ゆうたの名前もある。

 その、安宍と秋奈に纏わる挿話が一ツある。入学直後の事だ。

 厠に立った秋奈少年が教室に戻る途中、ふと中庭にうずくまる人影を見つけた。安宍優大である。癲癇てんかんでも起こしたかしらんと、慌てて濡れ縁から跳び下りてみたが、何ということはない、おたふくのような顔をけろりとさせて、蟻を見ていると安宍は言う。

「はあ、蟻」

「うん。だって、蠅を運んでおるんやもん」

 京都出身のこの少年は、いつも間の伸びた喋り方をした。そしていつも舌ッ足らずだった。この時もそうで、きっと小さな蟻一匹が、己の身体の何倍もある蠅の死骸を運んでいる姿に感激し、それで這いつくばって眺めていたのだと言いたかったのだろう。が、伝わらなかった。こういう癖は彼が死ぬまで変わる事なく、元々の性格も相まって、軍人という立場にありながら、ついに人から憎まれる事がなかった。


 さてこのように、秋奈少年の学舎生活は、実に多彩な面々と共に幕を開けるのだが、その二日目にして、国元では秀才と褒めそやされた少年達の鼻ッ柱が、痛烈なまでにへし折られてしまう。折ったのは歌舞伎な英語講師・猪尾豊水である。


「正直に言って」

 開口一番、猪尾はこう言ったものだ。

「皆さんの英語は死んでいます」

 とたん、教室はざわついた。

 初講義での事だ。緊張に神経を強張らせていた若き生徒たちは、それで余計に、彼の言葉に腹を立てた。すぐに反論の声があがる。

「けったいなお言葉。先生、そりゃどういう意味ですじゃ」

 輪島だ。土佐の生まれで、十九と年嵩としかさである。年長者の彼には同窓の代表たらんとの気概があるし、それに春乃木の学長とは同郷だ。幾分か驕りがある。それで、鼻息も荒く壇上の猪尾に食いかかった。

 が、猪尾は落ち着いたものである。

「まるで役に立たないという事よ。――輪島。あなたのお国元の中学校ではどんな教科書を使っていたかシら?」

「中学では、ミルを読んじょりました」

「『自由之理』ネ」(※注1)

 憮然として輪島はうなずく。だったら何だ、とでも言いたそうな顔である。

「The object of this Essay」

 一呼吸置いてから猪尾の口から発せられたのは、楽音かとさえ思わせる、それは美しい言葉であった。輪島をはじめ、その場にいた全員が思わず息を呑む。

「is to assert one very simple principle. 冒頭は確かこんなだったわよね?」

「そ、そうです」

「日本語に訳して頂けるかシら」

「『この論文の主題は、実に簡単な原則にある』。……」

 猪尾はにっこりと笑った。

「じゃあ輪島。この英文を、意味はそっくり残したまま、別の単語で言い換えてみなさい」

「えっ」

 言われて輪島は言葉に詰まった。――出来ない。

 当然である。猪尾もそれを分かっている。その上で問うた。

 原因は当時の教え方にあった。

 明治初期、英語の授業では海外の書物をそのまま教科書とするのが一般であった。パーレーの『万国史』、スエルの『希臘史』、そして先述したJ・S・ミル著の『自由之理』がよく選ばれた。これを教師が読み聞かせ、更にそれを和訳してみせ、生徒らに復唱させるのが通例だ。とはいえこの時代、教師自身が教師たるため教授さるるべき教育が、まるで不十分であったために、その和訳からしていい加減なものだった。が、それはともかくこの形態、生徒がただの鸚鵡よろしく口吟するばかりのこの形態を、猪尾はよろしくないと言う。

「今までの授業は受動的に過ぎまシた。あなた達はいつも聞くばっかりで、自ら考え、答えを導き出す機会を与えられなかったのよ。これがあなた達の一ツ目の不幸。更にはその、聞いてきた英語がどれも死んでしまっていた事、これが二ツ目の不幸」

「その、英語が死ぬとかいうお言葉の意味がよく分からんのじゃが」

 拗ねた口調の輪島が割って入る。回りくどい猪尾の物言いが、どうも彼にはもどかしいらしい。

 猪尾はそれにも気を害する様子はなく、指をぱちんと一ツ鳴らすと、教壇を下り、並ぶ机の間を練り歩いた。歩きながら、分厚い本を一冊ずつ配っていく。

「今、輪島は、わたシが言った英文を見事に訳してくれたわネ。うん、綺麗な翻訳でした。だけど、至極簡単なその一文を、別の単語で言い換えてやることは出来なかった。なぜ? ――輪島の英語が、わたシが言うところの“死んでいる英語”だったからよ。

「はい。皆さん、よォく聞いて頂戴ネ。これまで皆さんが学んできた英語は、残念ながら、どれもが一文の塊としてしか在りませんでシた。でもネ、文章というのは一ツ一ツの単語から成っているのよ。そして単語はどれもがそれぞれ色鮮やかで、息づいていて、様々にその形を変えてシまいます。それを理解しないまま、文章丸々の意味を暗記したところで、生きた言葉は習得できまセン。金が詰まった千両箱も、鍵が開かなきゃただの重石。そうでショ? その中にある、金の一粒一粒にこそ価値があるのに、使えなきゃ意味がないじゃない。

「素晴らしい事に、皆さんは既にこの千両箱をお持ちだわ。うふふ。輪島。小さくならないの。今回の失敗はあなたの罪じゃないもの、気を落とさないで。輪島、あなたは重い千両箱をお国元から持ってきたわ。あとは蓋を開けてあげるだけ。――さて。そこで鍵となるのがコチラ」

 澱ない弁論に聞き入っていた生徒諸子は、その言葉でようやく我に返り、手元に置かれた本を見た。そしてたれもが揃って目を剥いた。

「はァい。これ、読んだことある人ォ」

 猪尾は幼子のような無邪気さで、やや灼けた腕を振って示したが、あとに続く腕はなかった。

 猪尾が言うその“鍵”とは、あろうことか、この国の古典名作『源氏物語』だったのだから。




(『猪尾豊水の初講義』 お仕舞い)

(注1)『自由之理』

経済学者ジョン・スチュアート・ミル(英)による著作で、現在は『自由論』の名で知られている。『自由之理』は、明治初期における同著の名称。

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