#143 夢の中、見たものは…………
目を開けるとそこは古びたアパートの一室だった。
そしてその部屋には1人の子供が体育座りで部屋の隅で気配を消していた。その子には全身、特に顔に生々しい傷があり、見るに堪えない姿だった。そしてその子の瞳からはハイライトが消え、生気を感じられなかった。
「ここは………………昔の家?」
俺にはこの部屋に見覚えがあった。この部屋は俺が3歳になるまで暮らしていた部屋だ。
こんなにも汚かったんだな。あの時は死なないように、親の機嫌を取る為に必死だから部屋の汚れなんて気にしてなかったかなら。
「あの時の俺はこんな死んだ目をしてたんだな……………」
部屋の隅で座ってる子もとい、小さな頃の俺は今にでも死にそうな顔になっていた。
〈ガチャ〉
アパートの部屋が開いた。その瞬間小さな頃の俺は体をビクッと震わせて玄関の方を凝視し始めた。この頃の俺にとっては玄関が空いた時に入ってくる人によってその後に地獄になるか天国になるかが決まってたから。
そして部屋に入ってきた人を見て小さな頃の俺は一目散に玄関の方へ走って行った。
部屋に入ってきたのは………………俺の唯一の味方だった母親だった。母親はかなり痩せていたがそれでも綺麗な人だった。
母親は入ってくるなり飛びついてくる俺を笑顔で抱きしめてくれた。
「ごめんね、遅くなちゃった。すぐご飯にするからね」
母親はそう言うと俺の頭を撫でてキッチンに向かっていった。
俺は母親の笑顔を見れて安心したのか、さっきまでの死にそうな顔から普通の男の子の顔に戻っていた。
今俺は……………走馬灯を見ているのだろうか。
今まで生きてきて昔の記憶なんて見た事も無かったのに。まるで終わりを迎える人生の振り返りをしてるみたいだ。
なんて思っていると急に目の前が暗くなって辺りが暗闇に包まれた。そして再び世界に光が戻ると
時刻はさっきまでの夕方ではなく夜中になっているらしく、カーテンからは月明かりが差し込んでいた。そして部屋の中には泣いている小さな俺を守るように覆い被さっている母親とその母親に向かって暴力、暴言を吐いてタバコを吸って男が2人を見下ろしていた。
「お願い!!この子には手をださいないで!!!!」
母親は懇願するように立っている男に言うが男は一切聞き入らず、
「るせぇなぁ、だったらもっと金稼いでこいよ!!!こんな役にもたたねぇガキなんか産みやがって」
男はそう言うと母親に向かって蹴りを入れた。
母親は一瞬呻き声を上げたがすぐに「だいじょうぶ、だいじょうぶだよ」と小さな声で言った。この時の記憶は少しだけあるが、あの時は自分に言ってたと思ってたけど、今見るとこれは……………俺に向かって言ってくれてたのか。
「チッ………………さっさと稼いでこねぇと売り飛ばすからな」
男はそう声を荒げるとテーブルの上に置いてあった一万円札を鷲掴みにして家を出て行った。
男が出て行って遠くに行ったのを確認するとようやく母親は俺を包み込む体をどかした。そして俺に向かって笑顔に「怪我はない?お母さんは大丈夫だからお風呂入って寝よっか」と言って頭を撫でていた。俺は泣いていることしか出来なかった。もっとこの時に、「お母さんも大丈夫?」とか言ってあげれてたらあんな事にはならなかったのだろう。
そしてまた世界が暗転した。
◇ ◇ ◇
目を開けると部屋の隅で俺は泣いていた。時間は昼間だった。そして、母親はもういなかった。母親は死んだのだ。ストレスによって体は痩せ細り、怪我は治らずにどんどん積み重なっていき、さらには早朝からずっと肉体労働を強いられ、精神も体もボロボロにされていた。けど、そんなボロボロの母親でも俺の前ではどんなに辛くても、苦しくてもずっと笑顔だった。そんな母親の苦しさも3歳だった俺には察する事も出来なかった。
母親が死んでも男は一切悲しみを見せずましてや「やっとゴミが消えてくれたおかげで女を連れて来れる。あ、けどこのゴミはどうするか…………」などという人として終わっている発言をしていた。結局この男にとって母親は金の湧き出る便利な道具としか見ていなかったのだ。ちなみにこれは後から知った事だが、母親は家に帰ってくる途中で倒れてしまったらしい、そしてその日は俺の誕生日だったらしく、母親の手には当時俺が好きだった恐竜の図鑑2冊とケーキが買い物袋の中に入っていたらしい。
そして母親が死んだ三週間ぐらい経っただろうか、それまでは毎日母親からご飯を貰っていたが、その母親もいなくなり、ご飯を食べるのは3日に一回になった。当然俺は痩せ細っていき、さらには今まで母親が庇ってくれた暴力の吐口にされ、これまで以上に怪我が増えることになった。けど、そんな地獄のような生活は突如として消え去っていった。男は母親が死んでから部屋に連れ込んでいた女と蒸発していった。
当時の俺はそんな事も知らず、いつ帰ってくるかわからない恐怖に怯えながら部屋の隅で固まっていた。
そして男が蒸発してから一週間くらい立った頃だろうか、玄関がこじ開けられ大家さんと警察が部屋に入ってきてボロボロになった俺を保護した。警察は隣に住む住人から「いつも聞こえていた子供の泣き声がしなくなった、子供の命が危ないかもしれない」と通報を受けたらしい。そして俺はそのまま孤児の子供が集まる施設に移されそこで生活をすることになった。
そしてまた世界が暗転した。
今まで通りならこの先は施設の頃の記憶が映るのだろう。
そして俺の予想は的中し、目の前には施設で暮らすようになった俺が部屋の隅で固まっているのを見ていた。
施設暮らしになってもあの頃のトラウマがあるのか、一切部屋を出ず一日中部屋に篭っている生活をしていた。その施設には俺以外にも結構な数の子供がいたがそのほとんどが「海外出張などで子供を連れて行くことのできない子」として預けられていて親を失った自分とは根本的に違かった。
そして、施設に暮らし始めてから数ヶ月が経った頃に俺の人生を変える出来事が起きた。
ある夏の日、俺のところに「母親の姉」と名乗る人物が訪れてきたのだ。その人は夫と1人の娘を連れて俺の元にやってきた。
「僕が葵くん?」
「…………」
「初めまして、私は葵くんのお母さんのお姉ちゃんなの」
「…………」
「ごめんね、力になってあげれなくて。あの子ったら全然私たちには教えてくれなかった、ずっと…………1人で抱え込んでた。あの子に子供がいるなんて、お葬式の時初めて知ったくらいだもの」
「…………」
「それでね、もう遅いかもしれないけど、今からでも葵くんの力になりたいの。葵くんが良かったらだけど……………うちの子に、ならない?」
そして、俺は神崎家の養子になった。
◇ ◇ ◇
「葵」
そんな懐かしい記憶を眺めていると突然背後から名前を呼ばれ、そして急に世界は崩壊していって真っ白な空間に1人の女の人が立っていた。そしてその女の人には見覚えがあり
「お………母さん?」
そこには本当の母親、明里が立っていた。
俺は無意識のうちにお母さんの方へに走り出して、抱きついていた。
「葵……………大きくなったね。ごめんね、葵のこと、守ってあげれなくて」
「ううん、俺も、ごめん、もっとお母さんに………………」
俺の頭の中は謝罪の言葉でいっぱいだった。
もっとあの時こうしてれば、なんてたらればが無限に湧いてくる。
「いいの、葵が生きてる。それだけでお母さんは助けられてたわ」
「けど……………」
それでも口を開こうとする俺をお母さんは手を後ろに回して優しく撫でてくれた。その瞬間に昔の、懐かしい感覚が蘇ってきて、目からは大粒の絵が溢れ出してきた。
「本当だったら、もっと楽しい生活を送らせてあげたかった、幼稚園にも行かせてあげたかった、一緒に小学校にも、中学校にも、高校にも、楽しい思い出も、悲しい思い出も、嬉しい思い出も、一緒に全部を感じたかった」
「…………」
「けど、葵はしっかり成長してくれた。明るく、優しく、そして…………大切な子を命を懸けてでも助けられる、優しい子に育ってくれた。これはお母さんの誇りだよ。よく頑張ったね、偉いよ、葵」
「うん………………頑張ったよ、お母さん」
そして、それから俺はお母さんとこれまでの出来事をいっぱい話した。話をするたびにお母さんは笑ってくれたり、怒ってくれたり、時には共感してくれた。俺の心はなんとも言えない幸福感に満たされ、ずっとこのままでも良いんじゃないかと思い始めていた。
◇ ◇ ◇
そして、結衣を助けたところまで話し終えると急にお母さんは立ち上がった。
「お母さん?どこ行くの?」
お母さんは悲しそうな顔をして
「ごめんね、約束なの。葵が全てを話すまで、それがお母さんと神様がした【約束】。そして、その時が来てしまった。ずっと来てほしくなかった時間が」
お母さんがそう言うと真っ白だった空間が突如崩壊して辺りは彼岸花が咲き乱れた平原になり、空には数多の星々が輝きを放っていた。
「お母さん、俺、やだよ。やっと会えたのに、また離れ離れなんてやだよ!!」
「ごめんね、けど、約束だから。これ以上は一緒にはいられないわ」
お母さんは悲しそうな顔を浮かべていた。
「だったら、俺もお母さんの方に…………そしたらずっと一緒にいれるし、もっとお話も………」
「ダメよ…………こっちは死者の世界、生きてる者はこっちにはこれない。死者がそっちへ行けない様に、生きてる者もこっちへは来ることが出来ない」
「け、けど…………今俺は、死にかけてる。このまま無理矢理にでもそっちに行けたら…………」
お母さんとずっと一緒にいたい。そんな気持ちで俺がその言葉を口にした瞬間、今まで笑顔だったお母さんの顔は急に笑顔を失い、怖い顔になった。
「あおい!!今あなたなんて言おうとしたの」
「え…………お母さんと、ずっと、一緒にいたいって…………」
「葵がここまでお母さんを大切に思ってくれてるのは嬉しい。けど、葵は今なに?誰なの?」
お母さんが言っている意味がわからなかった。俺は?俺は…………
「お母さんの子供…………」
「それ以外には?」
それ以外?俺には何がある?
俺はお母さんの子で………………ダメだ、これ以外何も思い浮かばない。
「葵は……………葵も、お母さんじゃないの!!お母さんと同じように、葵にも帰りを待っている子供がいるんじゃないの!?」
「…………っ!」
お母さんのその言葉で全てを思い出した。
俺には、葵には
「結衣……………」
「そうよ。もしここで葵が死んじゃったら、葵と同じ道を辿らせてしまうわ。そんな事にならないように、あの時葵は結衣ちゃんを引き取ったんじゃないの?」
そうだ、俺には待っている人が、結衣がいる。
俺は結衣に同じ目にあって欲しくないから引き取ったのに、それなのに、自分勝手な事で、同じ道を辿らせようとしていた………………そうだ、戻らなきゃ。結衣のために
そう心で決めた瞬間、自分の後ろに扉が現れた。
「葵、お母さんは、ずっとここで待ってるわ。貴女が結衣ちゃんを幸せにして、人生を謳歌して、ここにまた来た時は、今度こそ一緒に、お母さんと行きましょう」
「…………うん!」
「葵、頑張ってね」
俺が振り向いて扉に向かう。
そしてあと一歩で扉をくぐる瞬間に
「待って!」
お母さんに呼び止められた。
「なに?」
振り返ってお母さんの方を向くと
「頑張るのよ!」
お母さんは俺に抱きついて涙を流していた。死んでいるはずだから、何も感じないはずなのに、どこか温かさを感じた。
「うん……………行ってきます!!」
「行ってらっしゃい……………私の宝物」
そして俺は扉を通った。
次回、最終回
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