クーラーボックスが一つ。
うぎゃあああああああああああああああああぁぁぁ……。
はい、ユーミでーす。ただいまですね、私は空の上から大陸と海の間くらいのところに向けて絶賛降下中です。とても寒いし肌が切れるようですね。息もとても苦しいです。なんでそんなことに? 私もさっぱり分かりません。このまま海に落ちたら溺れるし、陸に落ちたらミンチですね。
人間は空気抵抗によって減速されるために最大で時速200キロで落下するそうですよ。
って冷静に解説しとる場合かああああああああああああああああぁぁぁ……………………。
「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬっ! ぎゃあああああっ、誰かああああああっ!!」
痛い痛い痛い。ガチで風痛いから。喉が枯れそうだ。酸素足りてない?
高空から落下すること数分、何度目か叫んだとき、私も無駄なことしてんな、とか冷静になりつつあったときに、その声が響いた。
「ぎゃあああああああああッ!! 誰か助けてっ!?」
『はい、こちらはスキル:クーラーボックス、インフォメーションです』
誰?! え、スキル? スキルなに? インフォメーションってなんだっけ? 案内所的な?
「とにかく助けて落ちる痛いのはもう嫌だあああああああッ!」
『ダメージのかかるエネルギーの収納、反転取り出しを自動設定します』
「なに? ダメージ?」
って、そのまま落ちるんかーい!
あれ、でも寒いのは変わらないけど痛みは和らいでるな。体の痛みがなくなって少し冷静になってきた。けど地面までもう少しだ。このまま私はミンチになるようだ。ハンバーグ好きだしね。いや、ハンバーグ好きで自らミンチになりたがる人なんていないからね? いないよね?
マジで墜落する5秒前。あ、死んだ。
ズドン、と、体が柔らかい物に潜り込む感じがした。どうなったんだろうか。また死んでまた上空に放り出されたのか? 永遠に落下する地獄とか聞いたことあるー。ここは地獄だったのか。ちゃんと食べて供養せずにリリースした魚が祟ったのかな? 河豚とかリリースしなきゃしょうがないじゃん。また釣ってやる。
お、どうやら周りの白い煙が今度は綺麗に晴れていく。空が青いなー。雲は流されたみたいだね。キョロキョロと周囲を見渡すと、……………………なんじゃこのクレーター。
私は鉄より硬かったのか隕石のようにクレーターを作っている。体のあちこちを見てみるが、無傷だ。関節があらぬ方向に曲がっていたりはしない。だんだん冷静になってきて逆に混乱してくるってどうなの?
ホコリが落ち着いたので周囲を見回してみる。うーん……南国みたいな遠浅の海、エメラルドグリーンの海がどこまでも広がっている。水平線が見えるが波が凄く穏やかなので内海のようだ。島がいくつか見えている。
砂浜がものすごく広い。右を見ても左を見ても地平線になっている。地平線や水平線の距離は地球の大きさの星なら人の身長から見た場合だとたかだか五キロの範囲ではあるが、こんなにどっちを向いても地平線ってなかなかないんじゃないだろうか。白い砂浜にはピンクや水色の貝殻が落ちているが……。本当に作られたように美しい景色だ。
そっか、人工の構造物がないんだな。だからどこまでも広く感じるんだ。日本なら狭い土地だから山や建物が必ず視界を塞ぐ。そっか、地球って広いんだなぁ。……ここが地球とは思えないけど。
地球って地の球だから、英語でもアースは大地だし、地面があれば地球って呼んでも問題ないんだよね。異世界の地球とみても間違いではないわけです。そもそも天動説が主張されている時代に「この惑星に名前をつけよう」なんて思う人がいるはずがない。なのでここは地球とか大地という意味の言葉で呼ばれている可能性は高いわけね。
そもそも言葉が違うか。どうも異国どころか異世界っぽいし。なんで分かるかって……人間が墜落して小規模ながらクレーターができてるのにピンピンしてることって地球のある世界で起こりえる現象じゃないからね。
ちなみにこのクレーターはせいぜい幅2メートル深さ数十センチくらいだね。落ちたのは砂浜だけど人間の質量じゃ空気抵抗がない状態で墜落してもこんなものでしょう。空気抵抗は感じてたけどいやに浮遊時間が長かったのは転移の影響だろう。うーん、やっぱりあれのせいだよねえ……。謎のメッセージの……。
ちなみに今の私の装備品は長袖の上着とデニムのパンツに長靴だ。いやあ、これで外出するほど女は捨ててないよ。あー、ダイバーズウォッチもスマホも持ってないわ。クーラーボックスの水洗いしてたもの。
それで、肩からそのクーラーボックスがぶら下がっておる。異世界に来てクーラーボックスひとつって、中々にハードじゃない? しかしあれだけ高空から落ちたのに壊れてないよ。
自動的に言葉が翻訳されたりしないだろうし、地域により法律が違ったりするだろうし、言語も国により違うだろうし、通貨も違うだろう。
実は異世界に放り出されるって凄い大変じゃね?
そもそも今は呼吸できてるけど空気の分子の割合は同じなのか、生物が存在できる分子バランスなのかも分からない。下手したらこのまま死ぬ。
地球のある世界だって火星や木星や金星では人は生きていけないのに、物語の異世界の物理バランスってたいてい地球と変わらないんだよね。
そもそも人間が存在する以上根本的な物理現象が大きく変わるのはおかしいんだけどね。人間の目や鼻や耳や舌が普通に機能する異世界って地球のある世界で全く人間と変わらない姿の異星人に会ったことない時点で超絶レアケース。それだけで神様に感謝しないと駄目なくらいの確率なわけで。
その辺りのご都合を神様がなんとかしてくれてると考えるより死後の夢の世界と考えた方がしっくりくる。つまりこんな物理的に私が存在できる世界で魔法的な現象が起こっている事実からある程度この世界の物理が想像できるということだ。私ならその辺りが適当な夢は見ないだろうし、ここが現実的な世界でも死後の夢でも私にはあんまり関係ないということだ。
まあ他人の夢の中の可能性もあるけど、物理的には安定してるっぽいしやはり関係ない。全くファンタジーだと言われても何の法則もない世界ならそもそも考える意味がない。考えても及ばないことも考えても仕方ない。
潮の香りはするし海の輝きは目に映ってるし口の中はホコリっぽくて砂の味がしてるし波の音は聞こえる。空は青いし物質の構成も地球と変わらない地球型惑星と確認する。
そもそも呼吸もできない星で食べ物も炭素系じゃなかったら死ぬので、どちらにしろ生きていられるならそれは物凄いラッキーだ。例えば地球以外の星にテレポートしたら地球と同じ太陽のような恒星系で生命が存在できるハビタブルゾーン内で人間が暮らせる気温で人間が構成されて生存できる物理条件だったってくらいラッキー。
……ありえないよねえ。神様的な何者かが介入しない限り。そもそも異世界に転移したっぽいんだからまずそれを、生存環境にあるかを確認しないと駄目だよね。人間のセンスで見て「綺麗」なお姉さんに召喚されたけどその星に酸素はありませんでした。終わり。とかありえるよね。文字通りお話にならないけど。
それで、そのとってもありえないレアな地球型惑星で暮らせるだけで超チートだけど、うーん、持ってる物はクーラーボックスただ一つ。しかもさっきまで洗ってたわけで中身は空っぽ。
やっぱり生きていくのは無理だよねえ。このクーラーボックスが普通で、落ちてきたのが私じゃなければだけど。
実は生存可能な異世界であることが実感できてきた辺りで、私はめちゃくちゃワクワクしてる。
近くに森もあるし、植生は分からないけど、それだけで人類の生存が可能な環境なのは窺える。
ならばやるでしょう! 無からのサバイバル生活からのスローライフ!! 人生の延長戦!!
いえーーーーーーーーいっ!! この世界に送ってくれた神様、有り難うーーーーーーーーー!!
エリが、あんたなら火星でも生きていける、とか言ってたけど、それはさすがに無理。窒息して凍る。金星とか一瞬で焼け死ぬしね。地球型惑星とかどれだけラッキーなのかと。
さあやるぞ! 始めるぞ熱いスローライフを!