始まる。
まずは八話まで投稿しました。よろしくお願いします。
県庁のある隣町へと続く上り坂の途中にある古びた木造の、わりと大きな家。私の家である。
周囲には家はないが、田舎なのは間違いない。付近に並ぶのは森ばかり。
それに比べて真新しいガレージ。の、表にある小さな庭で、水汲み場から長いホースを伸ばして、私はクーラーボックスに水をかけて洗っていた。
かなり汚れてるけど傷一つ付いてないとかどれだけ頑丈なんだこのクーラー。長いこと使ってるのに塗装も剥げてない。日本製だけどファンタジーなくらい強いね。買ってから十年にはならないのかな。
曇り空で少し肌寒いが、腕捲りをして飛沫を浴びながらも束子で擦っていくと汚れはすっかり落ち、代わりに足下の水溜まりには油が浮かんでいる。ずいぶん汚れていたようだ。自動車のオイルを被ったんだから仕方ないけどね。
あー、手も足も冷たい。長靴だから余計にひんやりする気がする。そろそろお昼だから暑くなってくれていいのに。
このクーラーボックスは父さんも私もよく使っていた。容量は25リットルと少なめだけれど頑丈で、重さも五キロちょい、山ごもりしたり無人島に持っていったりするのにも重宝したものだ。私は体力はあるんだよねえ。
これ一つに釣竿とか香辛料とか詰めて、無人島で美味しい物を食べて一週間こもろう、とかしたこともあったなぁ。我ながらチャレンジャーだな。一応女なんだけどね。
夏休みの貴重な時間を使ってやる遊びがそれって女としてはどうなのよ、と、ため息を吐きながら親友のエリには言われたね。仕方ないじゃん、恋人とかいないしこんな性格じゃできそうにもないし。むしろエリと付き合ってるとガチで信じてる友達もいたぞ。私はノーマルだよ。……しかし懐かしいな。
我が家は超アウトドア家系で、爺ちゃんなんかは猟銃を持って猪を獲ってきたりしていた。婆ちゃんは山菜採りやキノコ採り、母親は山登り、父親は無人島や山奥でサバイバル、私は釣りが好きである。
あ、ちなみに無人島はうちの土地だ。山も幾つかある。住むにはどこの土地も不便だけどね。実家を建て替えることもしてないし、爺ちゃんたちも両親も山にはこもるくせに家にこもる発想は無かったらしい。逆だろ。まあ私も無人島にこもる気だったけど。
私は釣りガールというには少し年を重ねた二十四才の女だ。まだガールだよね! ……まだガールだよね! ね? 二十だし。四捨五入すればギリギリ二十だし! 成人はガールではないとエリに突っ込まれそうだな。
ちなみに母親は山で遭難して亡くなったし、爺ちゃんは海釣りしていて落ちて亡くなったし、婆ちゃんも毒キノコにチャレンジして死んだ。父さんは数日前に川に出かけてトンネルの中で対向車に突っ込まれて亡くなった。流石にあの2メートル近いガチマッチョな鉄の男も車には勝てなかったか。私も勝てないよ、動いてたら。……動いてなくても負けるんだけどね。
今はその、事故車の後始末をしているところだ。
私の名前は川原湧水、釣りガールだよ。友達はだいたい私をユーミと呼んでいる。身長が178センチあって焼けた茶髪でいつもショートヘアーで、エリには王子と呼ばれていた現在二十四才の女だけれどガールだよ。
町中で眼鏡でオタク丸出しでちっちゃいエリに王子と呼ばれると皆に二度見三度見されるけど胸も見られるけど一応膨らんでるし王じ……じゃなくてガールだともさ。体重? 聞くなや。ガールに聞くなや。
黒髪ロングで要領がよくて頭もよくて料理も上手くてちっちゃくて可愛い、男子にも女子にもモテまくってたエリとは違って、私は男より女の子にモテるけどね。チョコはよくもらうから好きだよ。なんか手の込んだのもらうと怖いよね。ありがたいけどね。
エリは見た目はあれでも中身はオタクで変態だったんだけど、本当にどうしてかみんなに守りたいタイプと思われてたなぁ。私を喧嘩に巻き込んだりして、本当は腹黒いやつなのに。
私も料理は好きだし。カレースパイス調合したり餃子は皮から作ったりパスタ打ったりするくらいなのでかなり好きな方だと思う。女の子らしいでしょうが。……女の子ね?
まあそれは置いといて。悲しくなってきたし置いといて。
一人になった家は寂しい。少し寒い気もする。もう春も終わろうというのに、心が寂しいと体も冷えるのかな。なんだよ父さんのバカ。一緒に無人島こもる約束だったのに。そのためにアルバイト一旦辞めたのに。
ちなみに父さんは自営業だ。何をしてるのか知らないけど脅迫電話がかかってきたり私も襲われたりした。え、大丈夫なのかって? 返り討ちにしたに決まってるじゃん。正当防衛の範疇でボコボコに……誰だ今男前って言ったの。
その謎の自営業のお陰で私は働かなくても食えるし感謝はしてるけどね。本当に犯罪に手を染めたりはしてないっぽかったけどなにしてたのよ。
私はどうせ結婚も諦めてるのでこれからは両親の残した不労所得で山にこもったり海にこもったり無人島暮らしして自由を満喫するつもりだ。つもりだった。過去形なんだなあ、これが。
それが、悲しいことに無理になったからね。
いや、クーラーボックスをガレージの奥の物置きに仕舞おうとしたら、足下が油で濡れてて。父さんの壊れた車から溢れてたんだね。それで足を滑らせてその車に頭を持っていった。へし曲がった車体の角に見事に持っていったよ。
私の頭は屈強な男の頭をもかち割れる鉄の頭だけど、本物の鉄には勝てなかったね。いやあ、硬いなバンパー。さらに車体がへこんでたけど。
……痛かったけどすぐに目の前は暗くなっていった。まあ血がスッゴい出てるなー、とかうっすら笑いながら死んだから、エリが見たらどう思うやら。怖いよなあ。すまん友人。
ちゃんと死体見つけてよエリー。そう言えば許可も得ないで遺灰を海に撒いたら死体遺棄で捕まるらしいよー。腐る前に見つけてねー。遺産残してあげれたら良かったのにね。遺書書いてないわ。
そんなわけで私は爺ちゃんたちと両親を追いかけていった。もう少しあとにするつもりだったんだけどねー。二百年くらい。私なら生きそうでしょ? エリが盛大に頷くのが見えた気がするけど、あんたそこは否定していいのよ?
やがて周りは真っ白になった。雲の中に突っ込んだみたいだ。天国って本当に空の上にあるのか。宇宙飛行士は天国は見つけられなかったらしいけどそもそも天国は物理的な空間、なんて誰も言ってなかったよね。
なんでこんなに寒いの? あれ、なんかこれ、落ちてない?
よく見れば青空も覗いている。そして体には明らかな加速がついていて、暫くすると冷たい風が肌を切るように吹きつけてきて、そして遥か下に緑と青の広大な景色が……大陸と海かな?
どんだけ高いところから落ちてるの、これ。死んだのにまた死ぬ。釣りガールは二度死ぬらしい。
ってそんな冷静に考えてる場合かああああああああああああああああぁぁぁ……………………。
ガチで死んだな。いや、死んだけども。こんなリテイクは勘弁してよね。