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魔王インヘリテンス  作者: Moscow mule
第3章 【ティア王女】
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第3章 【ティア王女】②


 幼少期のティアはおてんば娘だった。

 メイドや、執事の言うことなどまるで聞かず、まともに教育などさせてやらなかった。


 その代わりティアが好んで行ったのは過度な《いたずら》だった。

 家具や壁に落書きをするようなことはもちろん、メイドの服を盗んで街へ繰り出し盗みを働いたり、時には屋敷の庭で育てられている花たちを片端からすべてむしり取ってその日の夕食の鍋に放り込んだりなど、とにかく大人たちの世話を焼かせる問題児だった。


「ティア様のおてんばにも困ったものね。本当にあの冷静沈着なヴォルザード様のお子なのかしら」


 屋敷の使用人は揃いも揃ってそんなことを言っていただろう。

 かといってティアをきちんと叱る人間もいなかった。

 いや、そもそもまともに正面からティアを関わってくれるような人がいなかった。

 屋敷の使用人は皆、魔王ヴォルザードのことを恐れていた。

 そしてその魔王の娘のティアはまるで腫物のように扱われていたのだ。

 

 彼女をきちんと扱うべきヴォルザードはほとんど屋敷には戻らなかった。

 魔王に就任して何とか魔族をひとまとめにしたとはいっても、未だ大魔境の多くは人間達の支配下にあったのだ。魔族の長たるヴォルザードが暇な訳が無かった。


 そしてたとえ帰ってきたとしても、特にティアに関わろうとはしない。


 ヴォルザードは合理主義者だ。

 もともと男児ではなかった時点で自分の娘にそれほどの価値を見出せなかったのだろう。

 しかもそれが問題児だというのだ。

 ヴォルザードはティアへの興味を失くしていた。

 そんな父を、ティアも進んで避けていた。


 ティアには母親もいなかった。

 ティアの出産に伴い死んでしまったのだ。

 同年代の友達もいるわけがなく、ティアは独りぼっちだった。

 ティアが《いたずら》という行動に走るのは、そんな寂しさを紛らわすためだったのかもしれないし、ティアを放っておく父への当てつけだったのかもしれない。

 ともかく、そんな彼女が、ひねくれたように育ってしまうのはある意味仕方のない事だったのだろう。

 ティアのおてんばは幼少期を過ぎても変わらなかった。

 使用人たちはなかば彼女のことを諦めていたし、ヴォルザードも、ティアに会うことはほとんどなかった。


 ティアに転機が訪れたのはそんな時期だった。

 その日もティアはいたずらをするために街に繰り出していた。

 この頃になるとティアは悪だくみの常習犯として町人に記憶されていた。


 と言っても、彼女がどこで何をしようとそれに反論できる人はいなかった。

 なにせ彼女が問題児だということが判っているように、彼女の親が魔王であることも周知のことだったのだ。

 そして、魔王の娘がどんな悪さをしようと、それをとがめる程の勇気を持つ人間はいなかった。


 この日のティアのいたずらは、家具屋での落書き。陳列されている棚や机に、真っ黒のインクで落書きをして商品を台無しにしてやるのだ。


 悠々と店に入るティアをみて、店主はあからさまに顔をしかめるも、止めることはできない。

 何といってもこの金髪の少女は魔王の娘なのだ。

 下手に文句を言って魔王を怒らせようものなら、こんな小さな店は一瞬で潰れてしまうだろう。

 勿論、キチンと陳情を出せば、合理主義者のヴォルザードはこの娘の愚行を止めるよう動くのだが、そんなことは店主の知る所ではない。

 今日は運が悪かったと、店主は商品の被害が少ない事を祈ることしかできないのだ。


 ティアはすました顔で店内を練り歩き、落書きをする商品を見定める。

 陳列されているのはピカピカの新品ばかり。

 木製のタンスに、真っ白なカーテン。如何にも落書きし甲斐のある商品ばかりだ。


 ティアが家から持ってきたのは真っ黒のインクで満たされた小瓶と、それを使うための筆だ。

 正式な報告書などにも使われるこのインクは、一度書いたらなかなか落ちないことで有名だ。


 ティアは目標を手前のタンスに絞ると、嬉々とした顔で小瓶の蓋を開ける。

 中のインクがこぼれないよう、そっと筆に滲ませた。

 落書きの内容は決まっている。


『最低な魔王ヴォルザード‼』


『ヴォルザードのへっぴり腰‼』


 大きくて黒い文字で、とにかく父の悪口を書き殴るのだ。

 ピカピカの新品であったタンスは見るも無残な姿になっていた。

 ティアは書きあがった文字に満足げな表情をする。

 こうしているときだけ、ティアは自分の存在を肯定することが出来た。


 次の目標はタンスの隣に置いてある真っ白な机だ。

 如何にもティアに書いてくれといってくれんばかりの純白のキャンパスに、ティアの創作意欲も高ぶる。

 次に書くのは使用人の悪口だ。

 メイドのジェシカも、執事のポドルスキーも、ティアにとっては父と同じように、自分を見捨てた最低な大人達だ。


『淫乱女ジェシカ』


 そう書こうと思い、再び筆にインクをたっぷりと漬ける。

 そしてまさに今、黒に染まった筆先が真っ白な机に触れようかという時、


「こら、なにをやっているんだい」


 肩をつかまれる感触と共に声が響いた。


 予想外のことに咄嗟に振り返ると、そこには一人の青年がいた。


 短く切りそろえられた灰色の髪に、どこかで見たことのあるような鋭い金色の目。

 歳はティアより多少上というくらいだろうが、それにしてはやけに大人っぽくみえる長身の青年だ。


「全く、こんな筆なんて持ち出して・・・いったいどういうつもりなんだい、お嬢さん?」


 呆れた顔で問いかける青年に、ティアは対応できなかった。


(叱られた?)


 こんなことは初めてだった。

 どんないたずらをしようと、今までティアになにか言ってくる人なんていなかった。


(私は魔王の娘なのよ!)


 そう言ってやるつもりだったが、なぜか声は出なかった。

 予期していなかった咄嗟のことに、頭が追いついていなかったのだ。


「・・・・・・仕方ないな」


 黙っているティアをみかねたのか、そう言うと青年は懐から金貨を取り出し、店主にタンスと机の代金を払った。


「ついて来なさい」


 そしてティアはそういう彼の手に引かれるままついていった。


 気づくと二人はカフェにいた。


「―――それで、なんであんなことをしていたんだい?」


 青年は、すました顔で訊ねた。


「・・・・・・・」


 ティアは答えない。

 ひたすらムスっとした顔でそっぽを向いている。


「別に――責めているわけではないんだ。何か事情があるなら、力になれるかもしれないと思ってね」


 少し口調が和らいだだろうか。

 青年は頼んだコーヒーを口に運びながら話す。仕草がいちいち大人びているのが青年の特徴だ。


「君、ご両親は?」


「え?」


「君の親だよ。子供があんなことしているのに、何もしていないのか?」


 怪訝な顔で青年が言う。


「母親は―――いないわ。父も似たようなものね」


「―――へえ」


 初めてまともに口を開いたティアに対して青年の相槌は淡白なものだった。

 元からある程度予想していたのかもしれない。

 普通の子供があんな突拍子もないいたずらをして親が黙っているわけがないのだ。


「奇遇だね。俺も両親がいないんだ」


 しかし、彼の答えはティアの予想の斜め上を行くものだった。

 大人っぽいとはいってもおそらく自分と300歳ほども離れていないであろう青年が、あっけからんに言ったのだ。


 そこからは青年の思い出話だった。

 叱られると思っていたティアからは寝耳に水の話だったが、青年の話はとても面白かった。

 いや、内容は悲しいものもいっぱいあったのだが、彼にかかればそんな話も聞き手を引き込むエッセンスでしかなかったのだ。

 戦災孤児として何年も彷徨った話や、世話になった商店で妹と生き別れになった話。

 どれも軽い話ではないだろう。

 だが、ティアはじっと彼の話に耳を傾け、引き込まれていった。


 驚いたのは彼が魔王軍の一人だったということだ。

 最前線から離れるこの街に軍人がいるのは珍しい。


「――ああ、近いうちにちょっと変わった任務に就くことになってね、上司とこの街で待ち合わせているんだ」


 聞くとそう教えてくれた。

 詳しい内容までは流石に言えないのだろうか。

 結局その日は夜まで彼の話を聞くことになった。

 ティアにとって、こんなに長い時間人と話したのは初めてだったかもしれない。


「さて、長くなってしまったけど」


 彼の身の上話も終わった頃だろうか、一息ついて彼は言った。


「環境って言うのは簡単には変えられない物なんだ」


「環境?」


「ああ。例えば、俺は今じゃそこそこの魔王軍人だが―――人生の大半は貧乏な商人の雑用として過ごしてきた」


 懐かしむような彼だったが、眼差しは真剣だ。真っ直ぐにティアをみている。


「君が昼間みたいなことをしてしまうのも、あるいは環境のせいかもしれない。話してみると普通の―――寧ろ利発さすら感じる君が、意味もなくあんなことをするなんて思えないんだ」


 ティアは静かに聞いていた。

 今日会ったばかりの青年が、長年一緒に暮らしたメイドや執事、はたまた父ヴォルザードよりも、自分をきちんと見ていることが分かっていたからだ。


「でも・・・環境っていうのは、勝手には変わらないんだ。環境を変えるには―――まず自分から変わらなければならない」


 彼の目からは何故か一抹の悲壮感のようなものが伝わって来る。

 これは経験談なのだろう。


「―――おっと、すっかり遅くなってしまったね。そろそろ帰ろうか」


 外が暗くなっていることに気付き、青年は慌てて会計を済ませた。


 青年は家まで送ると言って譲らなかったが、ティアは全力で断り、仕舞いには走って帰ってきた。


 家具の弁償やら、カフェの代金やらいろいろと迷惑をかけてしまったのに失礼だったかもしれない。


(でも、叱った子の家が魔王の屋敷なんて知ったら大変)


 自分のことを初めて見てくれた青年が、父に怒られてしまうなんてことは避けたかったのだ。


(でも、すごく・・・不思議な人)


 ティアはそんなことを思いながら、その日を終えた。

 

 



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