第3章 【ティア王女】①
魔王の唯一残した子――ティアの部屋はガゼルの執務室とは少し離れた反対側の塔にある。
部屋といっても、その階のフロア丸ごとが彼女に与えられている。
もちろん彼女の生活スペース自体はそれほど広いわけではなく、ほとんどは彼女を世話する使用人の部屋や、ティアに会いに来る客人などの応対をする、応接間などだ。
ガゼルが座るのも、そんな来客用の応接間の一つだ。
全体的に薄暗い魔王城ヴェルヘルミナの中では比較的明るく、ところどころ金の装飾のなされた壁や机。絢爛豪華なシャンデリアなど、魔族なりに見栄が張られた部屋といえる。
「お待たせしたわ。ガゼル。久しいわね」
丁度ガゼルが、目の前に出されたこれまた美しい装飾のティーカップに手をかけたころ、正面の扉から一人の少女が悠然と現れた。
「いや、待ってなどいないよ。ティア王女殿下もまた一層と美しくなられて」
「ふふふ。相変わらずお世辞が上手ね」
軽く頬を染めながら席に座る少女。
ガゼルが美しいといったのはお世辞ではないだろう。
魔王の娘、《ティア・メリル・ハドリアヌス》はまごうことなき美少女だ。
まばゆいばかりの金色の長い髪をサイドで三つ編みに結び、白い肌の中で際立つ利発そうな真紅の瞳。
きりっとした長いまつげと薄い眉はとても整合が取れており、鼻から口元のラインなどは芸術性すら感じられる。
小柄ですらっとした体つきに、金髪が映える黒の地のドレスはよく似合っていた。
ガゼルは少し年下の彼女と会うたびに、その成長具合に驚くとともに、妹のことも思い出す。
ティアと同じように美しい髪を持つレイア――。
無事なら今頃はティアと同じ歳くらいであろうか。
「わざわざ来てもらったのに遅れちゃって申し訳ないわ。本当は私があなたのところに行こうと思ったのだけれど」
ティアは微笑みながら話しかける。
「こちらと違って東の塔は――むさくるしいところだからね。とても王女殿下をお連れできるような場所じゃないよ」
「あら、みんな貴方みたいに、王女に敬語を使わない蛮勇ばかりなのかしら?」
朗らかな微笑みをを小悪魔的な笑みにかえてティアが言う。
「勘弁してくれ。君が敬語をやめろと言ったんじゃないか」
「ふふ、ごめんなさい。でもあなたが私のことを『王女殿下』なんて他人行儀な呼び方するからダメなのよ」
困った顔をするガゼルに、可愛らしくぷーっと頬を膨らませるティア。
「わかったよティア。俺が悪かった」
「よろしい」
ふたたび朗らかに微笑み、ティアは満足げに頷く。
ティアとガゼルは知らぬ中ではない。
もちろん知り合いだから敬語を使わないわけではなく、これはかつてガゼルと彼女が出会った経緯に一因がある。
「―――さて」
唐突にティアはまじめな顔になり、話を切り出す。
「・・・ガゼル。父はどこですか?」
今日ガゼルがよばれた理由の根幹だ。
ヴォルザードの死は、一部の幹部や、魔素の流れに敏感な種族には、「勇者王の登場による緊急の出動」といってある。
魔王の不在の原因を『死』と知っているのはガゼルと一部の側近だけだ。
しかし、聡明なティア―――特に情報戦に長ける彼女のことだ。
そんな出回っている話が嘘であることなど見透かしているのかもしれない。
何よりも彼女は魔王の身内、当事者の一人だ。事実を知らなければならないだろう。
ガゼルはそう判断し、話を切り出す。
「ティア。落ち着いて聞いてくれ」
真剣なまなざし――嘘を許さないという意思のこもったティアの真紅の瞳をまっすぐに見つめ返し、ガゼルは言った。
「君の父・・・魔王ヴォルザードは―――亡くなった」
「――――‼」
一瞬にしてティアの顔から血の気が引いていった。
「死因は窒息死。地獄サソリの饅頭をのどに詰まらせたらしい」
「そん・・・な・・・」
ティアは顔をこわばらせたまま動かなかった。かすかに出てくる声もすぐにかき消えてしまう。
「大丈夫かい?」
「大丈夫よ―――。ただ・・・・少し・・・・・・一人にさせて」
やっとのことでティアは声を絞り出した。
「・・・・ああ」
なすすべなくガゼルは部屋から退出した。
単刀直入に言い過ぎたかもしれない。
いくら大人びているといってもまだティアは年頃の少女だ。
そんな少女が急に父親の死を告げられて、平気でいられるだろうか。
物心ついた時から両親のいなかったガゼルに、彼女の心中を推し量ることなどできなかったのかもしれない。
「王女殿下はしばらく一人で考えることがあるようだ。中に入らないように」
ガゼルは応接間を出た先にいたティアの侍女にそういいつけ、自分の執務室のある塔へと戻った。
●
ガゼルが去ってから、ティアはしばらく誰もいない応接間の椅子に座り、茫然としていた。
――父がいない。
いつもならこの魔王城のどこにいてもわかるほどの魔王の覇気が、今日は全く感じられなかった。
情報を集めると、急な出陣という噂が流れているとわかる。
ティアは嫌な予感がした。
何やらこの噂は信用できないと思ったのだ。こういう時のティアの直感はよく当たった。
一刻も早く信用のある情報を集めたかった。
そう思って呼び出した、ガゼルからの報告。
―――魔王ヴォルザードは亡くなった。
あの偉大な父が。
世界中のだれもが恐れ、大魔境のだれもが敬う、史上最大の魔王が死んだ。
のどに饅頭を詰まらせるなんて間抜けな死に方をするとは誰も・・・本人さえ思っていなかっただろう。
でもティアには少し納得できることだった。
ヴォルザードには昔から少し抜けているところはあった。
娘であるティアはよくそれを知っている。
敵のことや世界のこと、さらには未来のことまでなんでも見通す父だったが、自分の足元についてはてんで無頓着だった。
家臣に演説する傍ら、後ろから見ると裏返しになっている襟元。
水だと思って即効性の毒を一気に飲み干し、みんなを騒がせた晩餐。
世界中のだれもが知らない魔王の素顔。
それを知っているというだけでティアは軽い優越感に浸れたものだ。
そんな少ないながらも大切な父との思い出。
振り返ると次第に涙が出てきた。
大粒の涙はとまらない。
心の中に刻まれた多くの思い出が、もうこれ以上増えることがないのだと思うと胸が締め付けられる。
―――そうだ・・・もともと自分は父のことが嫌いだった。
大粒の涙を止めることもせず、ティアは追憶する。
いなくなってしまったたった一人の家族の触れ合いを思い出しながら・・・・・。