第2章 【四天魔将】② 戦神ボレアス・殲滅の翼ディース
《大陸中央部》―――世界で最も激しいといわれる戦地での戦いも、今日をもって決着が着いた。
数多の死体の山を背景に、一人の男がその場で戦慄を感じていた。
彼の名前はトム。
しがない一介の兵士だ。
トムは目の前の光景に言葉を失っていた。
(こんな筈ではなかった)
世界で最も頼りになる最強の剣士、《勇者マエケナス》の補佐。
最前線ではあるが、人間軍の最高戦力の側近というのは、下手な後衛よりは安全とも思えた。
勇者以外にも、名のある剣士やA級冒険者など、精鋭を集めた最強の部隊だ。
このメンツなら魔王にだって負けることはないと言えた。
しかし目の前に広がる光景はそれとは真逆の物だった。当初黄土色であった土は、流れる血によって真っ赤に染まり、戦前はあふれかえるほどいた兵は、誰一人として残っていいなかった。
そう、全滅したのだ。
勇者も、戦士も、冒険者も、魔法使いも、傭兵も、何千人もいた最強の部隊が、ひとりの男に壊滅させられたのだ。
青いオールバックに、太い眉。
ニヤリと笑う口元からは、獣のような歯がギラリと光っている。
その体躯は2mを越える程で、身に着ける鎧の隙間から見える異常なほど発達した筋肉は、男の身体能力の高さを思わせる。
丸太のように太い腕に握られた、これまた巨大な大剣は返り血にまみれて真っ赤に染まっており、男がたった今行った虐殺が現実であることを思い出させるには充分であった。
そして何より際立つのは、彼の頭部より生える、一本の捻じれた漆黒の《角》。
それは彼が、人ならざる者―――魔人であることを意味していた。
「なんだ、もう最後の一人かあ?」
獣と言ってもいいほど獰猛な眼をぎらつかせながら、魔人が口を開く。
トムは答えない。
いや、答えられなかった。
魔人の覇気に圧倒されて、舌すらまともに動かないのだ。
「はぁ・・・あっという間だったなあ」
つまらなさそうに巨躯の男が言い終わった瞬間――トムの短い人生の幕が下りた。
魔人によって息をのむ間もなく首と胴体が寸断されたのだ。
まだ二十四歳だったトムだが―――彼がここで命を落としてしまったのは仕方のないことだ。
いや、彼だけではない。
トムと同じ部隊だった勇者や冒険者や戦士にすら同じことが言えるだろう。
なんといっても彼らが挑んだのは魔王軍最強―――四天魔将《戦神ボレアス》だったのだから・・・・。
●
「終わったようね」
一方的な虐殺の痕跡にしかめた顔をしながら、一人の褐色の美女がボレアスの元にやってきた。
「―――ディースか」
声をかけてきた美女――ディースに気付くと、青い髪を掻きながらボレアスが答える。
ディースは黄土色の長髪と、褐色の肌をもった艶麗な女だ。
その豊満な体つきと露出の高い衣装が人目の惹くのは勿論、何よりも彼女の存在を際立たせるのはその背中に生える身の丈程の漆黒の翼だ。
「今代最強の勇者だというから期待していたんだが―――がっかりだな。やはり《勇者王》くらい出てこないと張り合いがない」
特にそんなディースの容姿に気を止めることもなくボレアスは神妙な顏で言う。
「そんなこと言えるのも大魔境ではあなたぐらいね。同じ四天魔将でも、私には勇者とその精鋭3千人を相手にするなんて死んでもやりたくないわ」
「なんだディースよ。多人数の殲滅は得意分野ではないのか?」
ボレアスは怪訝な顔で聞き返す。
魔人の中でも数少ない《有翼種》であるディースは、大空から極大魔法の照射によって、大軍を一人で相手取ることが出来るのだ。
その殲滅能力の高さから、人間達には《殲滅の翼》として恐れられている。
ディースが四天魔将に名を連ねるのも、そんな広範囲殲滅能力が評価されているからである。
「それはそうだけど・・・・勇者は流石に手に余るわよ」
ため息をつきながらディースは答えた。
勇者はその身に宿る加護により、魔法に対する耐性が高い。
手練れの勇者ならば、その加護と防御術式でディースの極大魔法を無効化してくるだろう。
そうなると白兵戦でいまひとつ劣るディースに勝ち目はない。
勇者の《光の刃》が届かないところまで飛んで逃げ帰ることになる。
「ふん。四天魔将が情けないものだな。あの小僧に代わって貰ったらどうだ」
すると、ボレアス超然とした顔で毒を吐いた。
ボレアスは力こそ全てと考える魔族である。
力の強い者が力の弱いものを支配し、淘汰する。それこそが魔族の本来の姿だと確信していた。
自身が魔王軍の四天魔将に甘んじているのも、かつて一騎打ちの末ヴォルザードに敗北したからだ。
ディースに対しても、飛行能力という希少性に一定の評価を下してはいるものの、一騎打ちでの能力が低い彼女を、自身と同格であることは認めてはいなかった。
もっとも、ヴォルザードがディースに四天魔将の地位を与えているのは、単体の戦闘能力ではなく、大空を自在に駆れる利点の戦術的価値による。
彼女さえいればその索敵能力と機動性によって敵の潜伏位置など掌の上だろう。合理主義者のヴォルザードからするとディースの能力は有用だった。
「はあ――相変わらずね・・・・。まあいいわ。そう、その坊やから手紙が届いたわ」
ディースは古風な考え方をするこの男に半分呆れながらも、自身の懐から一通の羊皮紙を取り出す。
わざわざディースが部下も連れず全速力で飛んで来たのはこの手紙が原因だった。
「―――《紫炎書》だと!?」
緊急事態を知らせる《紫色》の書簡に、流石のボレアスも驚きの声を上げる。
「あなたの所にも出したらしいけど、恐らく届かないから『私に迎えに行け』と書いてあったわ」
ボレアスは魔王軍中央方面司令官という肩書ではあるものの、実際に率いる兵は一個中隊にも満たない数だ。
もともとボレアスが強者しか好まないため、自然と少数精鋭に収まったのだ。
そのため、他の四天魔将の軍団と比べて規模が小さく、本陣も特に置かない。
伝令がそれを見つけることは困難だろう。
そのためガゼルは、大空を自在に飛べ、索敵能力に優れるディースに、ボレアスの捜索を任せたのだ。
「迎えに? まさか召集か? 折角《勇者》を討ち取り、大陸中央部に一挙に躍り出るチャンスだというのに」
ディースの言に不服を述べるボレアス。
「ダメよ。部下は別にいいけど、最低でもあなた自体には帰還命令がでているわ」
「命令だと? 陛下ならまだしもあの小僧ごときが我に命令など―――」
「―――《全魔冥宴》よ。陛下が亡くなったわ」
ボレアスが文句を言う前に、ディースが淡々と言い放った。
「・・・・・・確かか?」
ボレアスは一瞬目を見開き―――低い声で言った。
《全魔冥宴》は絶対に欠席が許されない。
なにせ魔王軍でもっとも敷居の高い会議だ。
今まで重要な決定はすべて全魔冥宴において行われた来たといっても過言ではない。
そして――信じられないことに、かつて、絶対強者であるボレアスですら破ってみせた史上最強の大魔王、ヴォルザードが死んだという話。
もしも本当なら全魔冥宴を開くには十分な理由だ。
「それを確かめにいくのよ」
ディースの言葉に、ボレアスはゆっくりと頷いた。
かすかに口元を歪めながら・・・。